物乞いなんてどこにでもいる
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ごちゃごちゃした旧市街


 ごちゃごちゃしているのが旧市街で、すっきりしているのが新市街。
 新しい街と古い街。二つの街を並べてみると、その違いは歴然としている。
 言うまでもなく、僕が好きなのは旧市街の方だ。何か特別な用事がない限り、新市街に足を向けることはない。

 僕にとってインドの旧市街はめくるめく空間だ。迷路のように入り組んだ路地裏。狭い店が肩を寄せ合うようにして連なる商店街。悠々と寝そべる野良牛。人とリキシャとオート三輪が殺到して大混乱に陥る交差点。すべてが刺激的で驚きに満ちている。







 旧市街と新市街を見分けるのは簡単だ。グーグルマップ上でもその違いははっきりと見て取れる。道路がまっすぐに走り、碁盤の目状に区画整理されているのは新市街で、その反対に道路がジグザグに走り、ところどころ行き止まりになっているのが旧市街なのだ。




旧市街と新市街の違いはグーグルマップでも確認できる。上がバレーリーの旧市街で、下がバレーリーの新市街である。


 インドの街が素晴らしいのは、旧市街の建物を取り壊さずにそのまま残しながら、外側に新市街を広げているところだ。貧しい庶民が混み合った旧市街に住み続ける一方で、お金持ちは広々とした郊外へ移り住む、という流れが出来上がっているのだ。これは文化財や景観を保護するためではなく、さまざまな規制や複雑な地権などが絡まり合って、政府主導の再開発が進まなかった結果だ。強引なやり方で古い街を壊し、近代化をスピーディーに推し進める中国とはまったく対照的なのである。



旧市街には百年以上も前に建てられた住宅も多く、訪れる人を「時間の旅」へといざなってくれる。






 インドの旧市街は小汚い場所だ。上下水道の整備も遅れているので、あちこちに小便のにおいが漂っている。道はあまりにも狭く、人も車も牛も数が多すぎる。しかしそれと同時に、人と人との距離がとても近いので、都市でありながら親密な雰囲気が漂っている。江戸時代の長屋横丁もきっとこんな空間だったのだろう。









 旧市街に住む人々は気軽に声を掛けてくる。チャイをご馳走してくれたり、お菓子を分けてくれたり、以前からの知り合いのようにフレンドリーに接してくれる。彼らが外国人に慣れているわけではない。英語が話せるわけでもない。その証拠に、僕に対して「あんたアメリカ人か?」と訊ねる人も多い。これは「ガイジン=アメリカ人」という素朴な思い込みがあるからだ。不思議なのはアメリカ人に次ぐ人気ナンバー2が「オーストラリア人」であることだった。超大国アメリカのネームバリューが圧倒的なのはわかるが、なぜオーストラリアのプレゼンスがこれほど高いのだろう。まぁオージーって暇なのか、どの国にもよくいるけどね。

「ジャパンから来たんだよ」と僕が答えると、
「おぉ、メイド・イン・ジャパンか!」と返されることもあった。
 まぁ間違いではないけれど、正面切って「メイド・イン・ジャパン」って言われると、まるで自分が電気製品にでもなったみたいで、ちょっと複雑だった。

 僕のサインを欲しがる若者もいた。そんなものもらってどうするんだろうと思いながらも、差し出されたノートにサインを書く。中には紙幣にサインをしてくれという少年もいた。そういえばインドでは計算やメモが書き込まれた紙幣を見かけることが多い。適当な紙がないときに、お札をメモ帳代わりに使う習慣があるようだ。








ギャンブルとスクラップの街

 マハラシュトラ州にあるラトゥールは、地方都市の中でもかなり規模の大きな街だった。南仏の小都市を思わせるオシャレな響きだが、実際のラトゥールは小さな商店がごちゃごちゃと建て込んだ、いかにもインドらしい街だった。交差点には野菜や果物を売る台車が所狭しと並び、ムスリム地区からは礼拝を呼びかけるアザーンの声が響いてくる。



ラトゥール郊外には建築現場から出たくず鉄を再生するスクラップ工場が建ち並んでいた。長い鉄を切断する男、ブリキでバケツを作る男、溶接する男。鉄に関する様々な仕事が行われていた。






 ラトゥールには他の街では滅多に見かけることのないギャンブルの店がいくつもあった。入り口にいかにも怪しげなカーテンがかかっているので、すぐにそれとわかる。中を覗くと、薄暗い部屋の中にピカピカと光る電子ルーレットのようなマシンが5台ほど置いてある。硬貨を入れ、アタリが出ると何倍にもなって出てくる仕組みのようだ。こうした私営のギャンブルは、インドでも違法行為のはずだ。しかし白昼堂々と営業しているところを見ると、当局からも大目に見られているようだ。見回りに来た警官には賄賂を払っているのかもしれない。



ルーレットのようなマシンが並ぶ店


ギャンブル店の入り口にはいかにも怪しげなカーテンがかかっている


 ルーレット屋の隣にはロト屋があった。ロトは小口のスピードくじだ。当選番号はインターネットに繋がったパソコンの画面に4桁の数字として発表される。この数字が自分が買ったくじ番号と一致すればアタリだ。くじは1口10ルピーで販売され、当たったら900ルピーが払い戻されるそうだ。はっきり言って安い。インド人の所得水準を考えてもずいぶんローリスク・ローリターンだ。パソコン画面に数字が現れるだけ、という仕掛けのショボさにも脱力してしまう。それでも地元のおっさんたちはくじを握りしめて大声を張り上げたり、大げさに喜び合ったりして、かなり熱くなっていた。人は不確実なものに惹かれる。「当たるも八卦当たらぬも八卦」というドキドキ感を味わいたいという欲求は、人類に共通したものなのだろう。



ロト屋では発表されたアタリ番号を掲示板に書いていく。


ギャンブルと酒は切り離せないものなのか。この町には酒屋とバーが多かった。インドのバーはどこも退廃の匂い漂う、掃きだめのような場所である。客はもちろん男だけ。オシャレに飲むという発想はない。



物乞いなんてどこにでもいる

 ラトゥールの旧市街には物乞いの姿が多かった。寺院の周辺やバスターミナルや市場など、人の集まるところには必ず何人かの物乞いが座って、通行人に右手を差し出していた。片手がない者、片足がない者、目が見えない者、皮膚がただれた者。身体に何らかの障害を持つ人が多かった。





「どうしてこんなに物乞いが多いんだろう?」
 市場で靴屋を営む男に訊ねてみた。流暢に英語を話す人だったから、詳しい事情が聞けるかもしれないと思ったのだ。
「さぁ、そんなことは知らないよ」
 靴屋は興味なさそうに首を振った。
「物乞いなんてどこにでもいるじゃないか。あいつらは働く気がないから働いていないだけだよ。インドだけじゃない。アメリカにもイギリスにもいるだろう。リッチな人間とプアーな人間がいるのは、この世界じゃ当たり前のことじゃないか」
「でも日本には物乞いはいないよ」
 僕がそう言うと、靴屋は絶句した。そんな国が存在するなんて到底信じられないというように。日本にもホームレスはいる。けれども彼らが道行く人にカネやモノを恵んでくれと手を差し出すことはない。空き缶を拾ったり、廃棄された食料を集めたりして食いつないでいる。それは世界的に見て、かなり特殊な状況だ。

「じゃあ、日本人は全員働いているのか?」と靴屋は僕に訊ねた。
「もちろん働けない人もいる。でも、そういう人は国からお金をもらって暮らしているんだ」
 その答えは靴屋をさらなる混乱に陥れてしまったようだ。
「働けない連中に国がお金を配るっていうのか? そんなことしたら、誰も働かなくなるんじゃないのか? いったいどうなっているんだ? 日本って国は」
 日本の生活保護制度にも問題はあるだろうけど、少なくともインドのように「働けない奴はすぐに物乞いへ転落」とはならない社会は誇るべきものだと思う。





「あんたたちはインドが貧しい国だと思っているんだろう?」と彼は言った。「でも本当はそうじゃない。知っているか? スイスの銀行に一番多く金を預けているのはインド人なんだ」
 彼が言いたいのは、おそらくこういうことだ。インドには物乞いも多いが、スイスの銀行口座に莫大な資産を預けている大金持ちもいる。だからインドが貧しい国だと決めつけないでくれ。

 それは事実なのだろう。しかし決して自慢できるものではない。本来であれば課税され、貧困層に分配されているはずの富裕層の資産が不法に外国に逃避していることで、インドの経済格差はさらに広がっているのだから。

 もちろんどんな国にも格差はあるし、ホームレスや物乞いもいる。インドで問題なのは、その格差があまりにも大きすぎること。そして格差ががっちりと固定されていることだ。優秀な人はものすごく優秀だし、お金持ちはびっくりするほどお金持ちだが、貧しい人が貧しさから抜け出すことは非常に難しい社会なのだ。

 インド社会は、個人が分不相応の夢を抱くことを抑圧してきた。「運命をそのまま受け入れろ」という強い圧力のもと、親の仕事を子がそのまま受け継いできた。カースト制度とは「格差の再生産」に他ならない。

 変化に乏しい前近代には、このような流動性に乏しい社会システムがうまく機能したのだろう。しかし時代は変わった。グローバル化と情報化が進み、素早い変化が求められるようになった現代社会では、格差の固定化は社会から活力を奪い、イノベーションを妨げる原因になっている。





 僕はインドが好きだ。美しさも醜さも、豊かさも貧しさもひっくるめて好きだ。
 でも街に物乞いがあふれている光景だけは、どうしても好きにはなれない。それが当たり前だと何の疑問も持たない人々の姿も、好きにはなれない。

 物乞いになるために生まれてきた人なんて、どこにもいない。
 人は働くために、誰かの役に立つために生まれてきたのだと僕は信じている。



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# by butterfly-life | 2016-01-04 11:06 | インド旅行記2015
祈りの大地
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親指山に祈る


 インド半島の大部分を占めるデカン高原には、不思議な形をした「奇岩」があちこちにそそり立っている。世界最大規模の玄武岩台地であるデカン高原は、雨も少なく乾燥しているので、自然が長い時間をかけて作り出した奇岩がそのままのかたちで残されているのだ。



 ミャンマーの有名な黄金の岩「ゴールデンロック」ほどではないにしても、インドの奇岩の中にも人が手を加えたとしか思えないような絶妙なバランスを保っているものがある。しかし、ほとんどの奇岩は地元の人の注目を浴びることはない。僕がカメラを構えていても「あの石っころを撮るの?」って感じですごく素っ気ない反応なのだ。

 岩は岩なのである。自分が生まれる前からずっとそこにあり続けているものに対して、いまさら「すごい」とも「不思議だ」とも思わないのだろう。

 しかし中には信仰の対象になっている奇岩もある。マハラシュトラ州マンマードにある岩山もそのひとつだった。この山はとにかくユニークな形をしていて、小高い山のてっぺんから親指がにょきっと突き出しているようなイメージなのだ。





 地元のタマネギ農家のおじさんに山の名前を尋ねてみると、彼は親指を立てて笑顔で言った。
「サムズ・アップ!」
 やっぱりそうなんだ。僕は嬉しくなった。この岩山は地元の人からも「親指(ヒンディー語でアングータ)」と呼ばれているという。ちなみに「サムズ・アップ!」という言葉はインド国産コーラの商品名にもなっているので、一般にもよく知られている。



「3000年ほど前、山のてっぺんからあの岩が生えてきたっていう話だよ」
 農家のおじさんは言った。代々語り継がれてきた伝説なのだろう。それがもし本当だとしたら、「2001年宇宙の旅」のモノリス並みにインパクトのある話なのだが、実際には長年にわたる風化と浸食作用で作られた形なのだと思う。

「あの山には神様がいる。だから特別な人以外登ってはいけないことになっているんだ」
 彼は親指山を見上げながら言った。
「神様がなぜ親指を立てているのか、それは俺にもわからないけどね」



 奇妙な形の岩、そびえ立つ霊峰、悠久の大河。自然が生んだダイナミックな造形を祈りの対象にするのは、人類にもともと備わっている根源的な衝動なのだろう。自分というちっぽけな存在を遙かに凌駕する大自然の力。それに対してひれ伏し、祈りを捧げる気持ちが、すべての宗教の根っこにあるのだと思う。



ジャイナ教の全裸行

 インドに数多ある宗教の中でも、ジャイナ教はとりわけ戒律が厳しいことで知られている。ジャイナ教は紀元前6世紀頃、仏教と同じ時代に成立した古い宗教で、その教義の大元には「生き物を傷つけてはならない」という考えがある。だからジャイナ教徒は厳格な菜食主義者だし、人を殺す軍人や魚を殺す漁師になることもなく、(土の中の微生物を殺す可能性のある)農業に従事することもない。

 ジャイナ教の僧(聖者)は「不殺生(アヒンサー)」にもとづいた厳しい生活を送っている。徹底した菜食主義を貫き、生き物を殺さないように細心の注意を払って暮らしている。彼らが手に持っているクジャクの羽も、座るときに小さな虫を踏みつぶさないように払うためのもの。生きているだけでものすごく疲れるような生活だが、彼らはそれを自ら選び取っているのだ。

 ジャイナ教の聖者が真っ裸なのは「無所有」という戒律によるものだ。服も下着も靴も何も所有しない。だから裸なのだ。開祖マハーヴィーラも裸で生き、それ以降の僧も彼を真似て裸で生きてきたのだ。(ジャイナ教はいくつかの宗派に分かれていて、僧に白衣の着用を認めている派もある)





 24時間365日全裸で暮らすジャイナ教の僧の一行とすれ違ったのは、ラジャスタン州ベアワル近郊だった。男女合わせて20人ほどの僧と、付き添いの信徒たちが国道を歩いていた。全裸なのは男性の僧だけで、女性の僧は白い衣服を着ていた。インドを長く旅していると、ジャイナ教の全裸僧とすれ違うことがときどきあるが、これほど大人数の集団を見たのは初めてだった。

「彼らは毎日歩き続けています」
 信徒の一人が英語で説明してくれた。
「列車やバスに乗ることはありません。自分の足で歩き続けることが重要なのです。本当に尊敬すべき人たちです。我々にはとても真似できないことをやっている。だから私はついていくのです」


[動画]全裸で歩く!ジャイナ教の聖者たち

 我欲を捨て、生き物を殺さず、ただひたすら歩き続ける。世俗にまみれた一般人とはまったく違う価値観のもとで生きているからこそ、裸の僧たちは尊敬を集めているのだ。



お前の宗教は何だ?

 インドには様々な宗教が混在している。人口の8割を占めるヒンドゥー教、二番目に多いイスラム教、数は少ないが確固たる社会的地位を築いているキリスト教やシク教、そしてジャイナ教や仏教など。インドに住む人々のほとんどは何らかの神を信じ、熱心に祈っていた。日常生活と信仰が密接に関わっていた。

 インドは昔から人口が多く、貧富の差が激しく、たびたび自然災害や疫病に襲われる土地だった。社会に「理不尽な死」がありふれていたからこそ、それを癒やす「物語」が必要とされたのだろう。インドで生まれたさまざまな宗教は、人々が究極の不条理である「死」を受け入れるための壮大な物語なのだ。


ブッダとキリストとガンディーという時代も宗教も異なる三人が並び立つ。異なる宗教が争うことなく共存するのがインドの理想だ。もちろんそれが常にうまく行くわけではないけれど、目指すべき方向はこちらだと示している。


 そんなインドを旅していると、「お前の宗教は何だ?」と聞かれることがよくあった。そんなとき僕は「仏教」と答えていたのだが、そう言ってしまった後で、いつも居心地の悪さを感じることになった。僕が仏教に対してある種のシンパシーを感じているのは確かだが、腹の底から信仰しているとはとても言えなかったからだ。

 しかしだからこそ、僕はインドの人々の祈る姿に心を動かされた。それは美しく、気高く、いじましかった。静かに祈る姿には、弱く小さな人間が精一杯純粋であろうとする気持ちが込められていた。



ユニークな顔立ちの神様を祭る祠にお線香をあげ、祈る男


川に灯明を流し、祈る男








 もしかしたら神様なんていないのかもしれない。それは僕にもわからない。でも、もしこの世界からすべての宗教が消えてしまったら、祈る姿がなくなってしまったら、この世界は味気ないものになるだろう。それだけは確かだ。

 人々が祈る姿は、この世界に美しい彩りを添えている。
 その美しい姿を、僕はなんとかして写真に撮りたいと思っている。



ラジャスタン州の半砂漠地帯で行われていた雨乞いの儀式。燃えさかる炎の中に、柄杓ですくったギーを入れる。炎をより高く舞い上がらせることで、空にいる神様と自分を一体化するという。農作物の出来はモンスーンに降る雨の量に大きく左右される。だからこそ祈りは真剣だった。


ラジャスタン州南部に住む牧民ラバリ族の村で、プジャを行う老人がいた。


お線香に火をつけ、鐘を鳴らし、神殿に向かって手を合わせる。一連の所作は日本の寺院で見かけるものとさほど変わらないのだが、赤いターバン姿のいかめしい老人が行うと、まったく異質な文化であるように感じられた。




ラジャスタンの牧民ラバリ族の村の寺院で、プジャの儀式を行う男たち。鐘を鳴らし、太鼓を叩き、歌をうたって神様を讃える。




[動画]トランス状態で剣を振り回す危ないサドゥー。これも祈りのかたちだ



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# by butterfly-life | 2015-12-17 09:31 | インド旅行記2015
女装集団ヒジュラの踊り
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女装集団ヒジュラが踊る


 インドには、男性が苦痛を受ける「男祭り」と、女性がトランス状態になる「女祭り」があることはすでに紹介した通りだが、実はどちらのカテゴリーにも属さない「女装祭り」というものも存在する。

 その賑やかなお祭りは、ビハール州東部にあるマトラプールという村で行われていた。国道沿いにある寺院の前に100人以上の村人が集まり、ご本尊の周りで汗だくになって踊る人たちを見つめていた。

 踊り子たちはきらびやかな衣装を身に着け、厚く化粧を施し、妖艶に腰をくねらせるのだが、よく見ると全員が女装した男性だった。10歳から20歳前後の若い男の子たちが、女性になりきって踊っているのだ。


きらびやかな衣装を身につけた踊り子。きりっとした男性的な面立ちだが、化粧するとかなりの美人でもある。








[動画]女装集団ヒジュラの踊り


「これはラーマ神を讃える儀式なんです」
 と教えてくれたのは、村で一番英語が上手な大学生のプリティ君だった。
「踊り子たちはラーマの妻シータとその従者になりきって踊ります。昔からこの祭りで踊るのは女装した男と決められています。女が踊ることはできません。理由はよくわかりません。そういう伝統なんです」

 踊っているのは「ヒジュラ」と呼ばれる人々だった。ヒジュラとは男性の体に生まれながら女性としてのアイデンティティーを持つ人たちの呼び名で、自らの意思でヒジュラの集団に入り、ひとつの家族のように暮らしているという。ヒジュラたちはアウトカーストとして差別されているのだが、特別な力を持った聖者と見なされることもあり、このような宗教儀式に呼ばれることも多いという。


まだ10歳前後の子供も踊っていた






 インドを旅していると、ときどきヒジュラのグループとすれ違うことがある。背が高く痩せているのに派手なサリーを身にまとって濃い化粧を施しているから、遠くからでもよく目立つのだ。彼女たちは頼まれもしないのに歌と踊りを披露して、見物料を集めて回っているのだが、町の人からの視線は決して温かいものではなく、どちらかと言えば蔑みの目で見られていた。



アンドラプラデシュ州で出会ったヒジュラたち。バラの花を片手に、お金を恵んでくれと言って街を歩いていた。


 LGBTが社会的に認知されはじめた欧米や日本に比べて、インドでは「男性でも女性でもない人々」が自由に自分らしく生きるのはとても難しい。ヒジュラたちが「第三の性」として自分たちの権利を社会に認めてもらうには、まだまだ長い道のりが必要なようだった。



女の子に学問はいらない

 インドでももっとも貧しい州のひとつであるビハール州では、女子が置かれている境遇も恵まれているとは言えなかった。メクラという村の小学校を訪れたときに僕が目にしたのは、「女子生徒の数が圧倒的に少ない」という現実だった。例えば3年生のクラスには男子が16人いるのだが、女子はたった2人しかいなかったのだ。他のクラスも似たような状況で、女子が3割を超える学年はひとつもなかった。


女子が2人、男子が16人という3年生の教室


「ここは貧しい村ですから、女の子は学校に行かなくてもいい、と考えている親が多いんです。学校に来ない子供たちは家の手伝いをしています。家畜の世話をしたり、食事を作ったり、洗濯をしたり、水を汲んだり、きょうだいの面倒を見たり。やることがたくさんあるんです。勉強なんて二の次なんですよ」

 ビハール州の女子生徒が置かれた状況を説明してくれたのは、3年生を受け持つサンジブ・クマール・シン先生だった。予算が少ないのも大きな悩みなのだと彼は言った。老朽化した校舎を建て直そうにもそのお金がないので、竹を編んで作った狭い仮校舎で300人もの生徒が学ばざるを得ないのだ。教室の中は風通しも悪いので、とても暑かった。見ている方が息苦しくなるような授業風景だった。








 男女比のいびつさは教師も同じだった。この学校には9人の先生がいるのだが、女性教師はたった一人だけなのだ。他の地域ではこんなことはない。教師は勉強が出来る女性にとって最も就きやすい仕事のひとつとされていて、たいていの学校では教師の男女比は半々か、女性の方が多いのだ。ところがビハール州では教えるのも学ぶのも、男性の方が圧倒的に優位なのである。

「これでも我々が子供の頃に比べたら良くなったんです」とサンジブ・クマール・シン先生は言う。「20年前には中学校に上がる女子なんてほとんどいませんでした。今は違います。大学へ進む女子も珍しくなくなりました。新しい考え方に馴染むのには時間がかかります。とくにこんな田舎ではね。人々の生活は20年前とあまり変わっていないんですから」





 確かに人々の暮らしぶりは、20年前と、いやひょっとしたら50年前ともあまり変わっていないように見える。今でも昔ながらのやり方で米を育て、山羊を飼い、牛糞を乾かした燃料で煮炊きを行い、ガンガーの水で体を洗っているのだ。

 何ごとも急には変わらない。
 悠久たるガンガーの流れのようにゆっくりとしか変化しないのが、インドという国なのかもしれない。








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# by butterfly-life | 2015-12-07 12:42 | インド旅行記2015