女神ドゥルガーになった女たち
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女神ドゥルガーになった女たち


 インドの祭りで儀式を行うのはもっぱら男性に限られていて、女性はその様子を遠巻きに見守るという役割しか与えられていない。御輿を担ぐのも男性だし、派手なコスチュームで歌ったり、爆竹を鳴らしたりするのも、ほぼ100%男がやる。インドでは今でも男女の役割がはっきりと分かれていて、宗教儀式の場ではそれがより明確になるのだ。「ギャル御輿」なんかが一般的になった日本とはまるで状況が違うのである。

 しかしそんなインドにも、まれに女が主役の祭りが存在する。ビハール州東部のガンガー沿いにある村で行われていた「ドゥルガー・プジャ」はそんな珍しい祭りのひとつだった。

 最初はごく普通の村祭りだと思っていた。寺院の前の広場に300人ほどの村人が集まり、家族ごとに車座になってゴザの上に座っている。ピクニックに来た大家族のような牧歌的な光景だ。しかし人々の様子が何かおかしかった。まだ日が高いにもかかわらず、多くの村人は酒を飲んで酩酊しているか、チャラスを吸ってハイになっているのだ。チャラス(大麻樹脂)の吸引はインドでは黙認されているのだが、だからといってサドゥーでもない一般人が屋外で大っぴらに吸うのは珍しい。中には感極まったように泣き出したり、唐突に奇声を上げたりする人もいた。あたりにはただならぬことが起こりそうな緊張感が漂っていた。





 神像をまつる祠には、若い女が両手を合わせて祈る姿があった。頬は涙でうっすらと濡れ、額には汗が滲んでいた。しばらくすると、彼女は言葉にならないうめき声を発しながら、頭を振り回し始めた。長い髪の毛が歌舞伎役者のように豪快に舞う。トランス状態に入ったのだろう。これでもかというぐらいぐるんぐるんと頭を振り続けた後、彼女は突然「ガー!」と大きな叫び声を上げて、ばったりと地面に倒れ込み、糸が切れた人形のように動かなくなってしまった。

 そのまま1分以上じっとしていただろうか。彼女が再び体を起こしたときには、さっきまでとはまったく別人の表情になっていた。目に見えない「何か」が彼女に取り憑き、体を操っているようだった。彼女は「カカカカカ」という不気味な笑い声を上げながら、両手を大きく左右に広げ、その場にいる人々に命令するような口調で何ごとか叫んだ。







 その声を合図にして、まわりにいた女たちが次々と「別人」に変わっていった。ある者は怒りを爆発させ、ある者は声を上げて泣き、ある者は腹の底からおかしそうに笑う。いずれの女も別の世界にいる化け物をにらみつけるような異様な目をしていた。








「これはドゥルガー・プジャって儀式なんだ」
 パイプでチャラスを吸っていたおじさんが力を込めて説明してくれた。彼によれば、村人たちは今日から9日間毎日ここに集って、女神ドゥルガーに祈りを捧げるという。その祈りによって目覚めたドゥルガーが、女たちに特別な力を授けるのだ。

 「ドゥルガー」とは「近づきがたい者」を意味するという。外見は優美なのだが、その本性は恐るべき戦いの女神なのだ。血走った目で髪の毛を振り乱す女の姿は、まさに「近づきがたい者=ドゥルガー」そのものだった。この儀式によって女たちの肉体には一時的にドゥルガーの魂が宿り、荒ぶる女神のようにふるまうのである。

 女たちの変貌ぶりは、インド人の女性観そのものを表しているのだろう。インドの女性は「保守的でおとなしい」というイメージが強いのだが、それはあくまでも「表の顔」であって、激烈な感情をほとばしらせる「裏の顔」も持ち合わせているのだ。普段は抑圧され表に出てくることのない「裏の顔」が、何かのきっかけであらわになる。それがこの儀式が持つ本当の意味なのだろう。女神ドゥルガーとは「貞淑であると同時に野蛮などう猛さも持っている」という女性の二面性を体現する存在なのだ。






 トランス状態になった女たちを撮影するのは容易ではなかった。そもそもこの祭りはきわめてローカルな秘儀であって、誰もがオープンに参加していいものではない。しかも村人の大半は酒かチャラスで酩酊している。そんなところに事情もよく知らない外国人が足を踏み入れたら一体どうなるのか、僕にもまったく予想できなかったのだ。

 実際、写真撮影を拒絶する女性もいたし、レンズを手で覆い隠して「撮るな!」と怒鳴る人もいた。そう言われたら、もちろんそれ以上は撮らなかった。しかしその一方で「いいから撮りなよ。わざわざ日本から来たんだって?」と優しく声を掛けてくれる人もいた。断固たる拒絶と温かい歓迎とが同じ場所に混在していて、どちらを信じればいいのかわからないという状況が、いかにもインドらしかった。

 露骨な撮影拒否に遭いながらも退却をせず、隙をうかがいながら撮影し続けたのは、この儀式がとても魅力的だったからだ。先の読めない展開にもそそられたし、女たちの目から放たれる異様な光にも惹かれた。これほど得体の知れない儀式は滅多にお目にかかれない。それだけははっきりとしていたから、遠慮などしている場合ではなかったのだ。女たちの迫力にびびって撮るのをやめてしまったら、あとで必ず後悔することになる。そう思ったのだ。









 オリッサ州北部の山村でも、トランス状態の女たちが主役の祭りが行われていた。
 女たちは苦悶の表情を浮かべながら、太鼓の音に合わせて体を揺り動かし、徐々に感情のボルテージを高めていた。その姿はあの世から姿を現した死者のようにも見えた。



この儀式には女性だけでなく、顔を赤く塗った長髪の男も参加していた。彼が女として儀式に加わっているのか定かではなかったが、踊りのキレやパフォーマンスの熱気はすさまじかった。


[動画]トランス状態で踊る異様な人々


 こうした呪術的な儀式は、中部デカン高原やインド南部で見かけることが多かった。北インドの宗教儀式は洗練され、形式化されたものが多いのだが、中部から南部で行われている宗教儀式には、激しい痛みを伴った土俗的なものが多いのだ。

 これはインドの歴史と深く関わっている。古くからインドに住みついていたドラヴィダ語族の住民たちは土着の神々を信仰していたのだが、その後インド北西部に侵入してきたアーリア人が信仰するバラモン教とその土着信仰が混ざり合うことによって、ヒンドゥー教という多神教が生まれたのである。つまりインドでは、北部よりも南部の方がより強く土着文化の影響を受けているのだ。







 摩訶不思議な儀式が南インドに多く残されているのは、ヒンドゥー教が成立する以前から存在する「インド人の魂」と呼ぶべきものが、南インドの人々に受け継がれている証拠なのだろう。女たちがトランス状態に陥ったり、男たちが激しい苦痛に耐え抜いたりする「尋常ならざる祭り」の源流には、文明が興る前から存在した得体の知れない闇の力があるのだ。

 闇と混沌。恐怖と衝動。
 何千年も前の人々が感じていた記憶が、様々な儀式を通じて現代に受け継がれている。
 その事実が、インドという国の奥深さを我々に伝えている。


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# by butterfly-life | 2015-11-30 14:05 | インド旅行記2015
鉄の棒が舌を貫く!インドの痛すぎる祭り
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痛すぎる祭りの結末は


 カルナータカ州北部にあるビジャープル近郊で行われていた祭りは、僕がインドで遭遇した祭りの中でももっとも刺激的なものだった。

 まず目を引いたのは、男たちの鮮やかな衣装だった。カラフルなターバンを頭に巻き、いくつもの数珠を首にぶら下げ、右手には鉄の刀を握りしめている。どうやらこれは伝統的な戦士のスタイルのようだ。


伝統的な戦士のスタイルで祭りに臨む

 祭りは男たちの歌で幕を開ける。太鼓とラッパの賑やかな音に合わせて、大声を張り上げるのだ。インドの祭りには景気づけの歌が欠かせないのである。

 それから二人の男が列の前に進み出て、手に持った剣をぶんぶんと振り回しながら踊る。見守る観客に当たりそうなぐらい激しく剣を振り回す。これは戦闘を真似た儀式のようだ。



男たちが歌い、踊る








[動画]歌って踊るにぎやかな祭りの様子


 続いて先の尖った鉄の棒を持った男が登場する。彼はライムで鉄棒を消毒すると、それを迷うことなく自分の腕に突き刺した。
 イタタタ。見ているこっちが顔をしかめたくなるような光景だった。棒が貫くのは腕の皮膚の部分なので、血はほとんど流れないのだが、それでもかなり痛いのは確かだ。子供の頃にかかとで画鋲を踏み抜いた瞬間を思い出してしまった。




「こんなのまだ序の口さ」
 僕の耳元でそう言ったのは、ニコンの一眼レフカメラを持ったカメラマンだった。彼は証明写真やウェディングフォトを撮るスタジオを経営しながら、地元でニュースになりそうな出来事が起きればすぐに駆けつけて新聞に投稿しているという。インドの地方紙は彼のような「兼業記者」によって支えられているのだ。
「これからが本番だ。すごいのが始まる。いいか。カメラを構えてよく見ておくんだ」



 集まった人々が固唾をのんで見守る中、僕の想像をはるかに超えたすさまじい儀式が始まった。先ほど腕に突き刺していた棒とは比較にならないほど太い鉄棒を、なんと舌の真ん中に突き刺したのである。直径1センチほどもある太い棒が、男の舌を貫通して、上へ上へと伸びていく。すごすぎて言葉にならない。奇術か手品のような光景だが、これにはタネも仕掛けもない。フィジカルな痛みを伴う現実なのである。




[動画]これは痛すぎる!舌に鉄の棒を貫通させる男


 それにしても彼の舌は大丈夫なのだろうか。よく「舌をかみ切って自殺する」なんて話を聞くではないか。あんな太い棒を舌に突き刺したりしたら、出血多量で死んでしまうのではないか?

 そんな心配をよそに、男はさらに力を込めて棒を突き刺していった。「一度始めた儀式は何としてでもやり遂げねば」という使命感が彼を支えているのだろう。その様子をまわりで見守る観衆は、男が受けている痛みを分かち合うかのようにみな辛そうな表情をしていた。

 鉄棒は長さが3mほどもあるので、全てを貫通させるのに5分以上の時間を要した。ようやく鉄棒が舌から抜けると、男は精根尽き果てた様子で両脇を仲間に抱えられ、地面に座り込んでしまった。

 ここで登場したのは、やはりライムだった。気を失いそうになった男にライムの果汁を与え、その酸っぱさで気持ちを奮い立たせようというのだ。「三色の鬼の祭り」でも見たように、南インドの人々にとってライムは万能薬のような存在なのだ。実際この祭りでも鉄棒を消毒するのにもライムが使われていたし、神像を洗い清めるときにもライムを使っていたのだった。


ぐったりとした様子の男。傍らにはライムを持った男がいる。


「舌は大丈夫なの?」
 苦悶の儀式が終わったあと、道ばたに座って休んでいた男に声を掛けてみた。ライムのお陰なのか、彼の表情はすっかり元に戻っていた。
「あぁ、問題ないさ」
 男はそう言うと、長い舌をぺろっと出して、僕に見せてくれた。舌には大きな穴があいていた。それはさっき出来たばかりの新しい傷ではなかった。ピアス穴のように長年にわたって異物を挿入し続けた結果、傷口がふさがることなくドーナツみたいな穴になっていたのだ。

 おそらく彼は若い頃から何度となくこの「舌に棒を通す儀式」を続けてきたのだろう。それによって常人とは違う「特別な舌」を持つに至ったのだ。だからあの壮絶な儀式も、見た目ほど痛くはないのかもしれない。血も流れないし、傷口が化膿することもないから、危険も少ないのかもしれない。

 しかし最初は絶対に痛かったはずだ。血もたくさん流れただろうし、失神したかもしれない。それでも彼はやり遂げたのだ。一度ならず何度も繰り返し舌に棒を通し続けたのだ。



歌をうたう男の舌にも穴があいていることに注目。彼も鉄棒を突き刺し続けたことで、特殊な舌を持つに至ったのだ。


 彼がどのようにして柔らかく繊細な舌に鉄の棒を突き刺したのか、知りたいと思った。どのような理由でそれを始め、どんな気持ちでやり遂げたのか。どれほどの痛みだったのか。しかし言葉の壁もあって、詳しいことは聞けずじまいだった。

 仮に言葉が通じたとしても、彼の気持ちを理解するのは難しかったと思う。まだ嗅いだことのない匂いや、味わったことのない味、聞いたことのない音を理解できないのと同じように、生まれてから一度も経験したことのない痛みを理解するのは、おそらく不可能なことなのだ。


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# by butterfly-life | 2015-11-24 13:28 | インド旅行記2015
三色の鬼とライムの霊力
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三色の鬼とライムの霊力


 地元の人は「あれは神様だ」と言うのだが、どう見てもそれはおっかない「鬼」の姿だった。

 タミルナドゥ州にあるエランピライという町で年に一度行われる祭りに登場したのは、つま先から顔まで全身を真っ赤に塗った赤鬼と、同じく真っ青に塗った青鬼だった。



 二人とも長髪のカツラを被り、つけヒゲを着け、歌舞伎役者のような派手な隈取りを施し、背中には大きな看板のようなものを背負っていた。相撲取りみたいにせり出したお腹には、大きく口を開けた虎の顔が描かれている。とにかく派手で人目を引くコスチュームなのだ。



 面白いのは、鬼たちがそれぞれの口にライムをくわえていること。彼らは気合いを入れるたびに、ライムを思いっきり噛みしめ、「あぁ酸っぱい!」というしかめっ面をするのだ。ライムを皮ごと噛むのだから、そりゃ酸っぱいだろう。見ているこちらもパブロフの犬みたく口の中にじんわりと唾が滲んでくるほどだった。

「ライムには聖なる力があるんだ」と祭りに参加している若者が教えてくれた。「一回噛んだライムはすぐに新しいものに交換される。新鮮なライムだけが神様に力を授けるんだよ」

 確かに酸には殺菌作用があるし、ライムの果汁には暑さで参った頭をリフレッシュする効果もある。インドの街角で売られている手作りジュースは、ライム果汁と炭酸水を混ぜて作られている。南インドの人々にとって、ライムは日常に欠かせない食べ物なのだ。


市場にも必ずライムが並ぶ

街角で売られている手作りジュースは、ライム果汁と炭酸水を混ぜて作られている。


年に一度行われるこの祭りは、若者たちの踊りで始まる。両手に刀を持ち、太鼓のリズムに合わせて踊るのだ。


奉納の踊りが終わると、いよいよ鬼たちが登場する。


 赤鬼と青鬼はうなり声を上げ、周囲を威嚇しながらのっしのっしと歩いていた。秋田の「なまはげ」のように幼児に顔を近づけてわざと泣かせたりもしていた。もっとも、インドの子供たちは肝が据わっている(あるいは騒音耐性が強い)ので、びーびー泣いたりはしないのだが。

 鬼たちの本当の目的は、祠に安置されている「サウンダマン」という名の女神を屋外へ引っぱり出すことだった。サウンダマンは霊験あらたかな町の守り神なのだが、シャイな性格なので、なかなか人前に現れない。その「ひきこもり系」の神様を信者の前に引っぱり出すために、ライムでパワーアップした鬼たちの力が必要なのだ。


あとから登場した緑鬼は、角を生やし、お腹には男性器(リンガ)を描いていた。






 青鬼と赤鬼、さらにあとから緑鬼も加わって、三人で共同戦線を張ってサウンダマンと対峙する。ご本尊を前にして鬼たちのテンションはさらに上がり、刀を振りかざして大声で叫び続ける。
「早く外に出てきやがれ! 出てこないとお前を切り刻んでしまうぞ!」



 もちろんサウンダマンは石の像だから何も答えない。しかし鬼たちにはサウンダマンの気持ちがちゃんとわかるらしく、脅したり、なだめたり、褒めそやしたりして、何とか外に出そうとする。そんな膠着状態が30分ほど続いただろうか。やっとこさサウンダマンが祠から出てきたときには、さすがの鬼たちもぐったりとした様子だった。

 サウンダマンは大人の男なら一人で持ち運べるほどの小さな石像である。鬼たちの迫力に比べると、拍子抜けするほど小さい。しかし町の人はサウンダマンの出現に驚喜している。「あぁ、今年もついに現れてくださった」と、ありがたそうに手を合わせるのだ。


サウンダマンは大人の男なら一人で持ち運べるほどの小さな石像だ


 サウンダマンはもちろん自分では歩けないので、足代わりになる男たちの助けが必要だ。両手でサウンダマンを抱えた男はトランス状態になり、あっちへふらふらこっちへふらふらと予測不能な動きをする。彼の意志ではなく、サウンダマンが彼を歩かせているというわけだ。両脇に控えた男たちが、千鳥足で歩き続けるトランス状態の男をサポートする。そうやって町中を練り歩き、人々に霊力を分け与えるのだ。



 祭りが終わると、余ったライムが配られた。僕もひとつもらったので、鬼たちを真似てガブッと丸ごと噛みしめてみたのだが、ライムの果汁が喉の奥に飛び散って、ゲホゲホとむせてしまった。ひょっとしたらこれも「慣れないことはやらない方がいい」という神様のお告げなのかもしれない。



お祭りで出会った少女。水瓶に入った聖なる水を頭に載せ運ぶ。


大きく目を開いてポーズを決める少年。彼も将来は鬼役になるのだろうか?


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# by butterfly-life | 2015-11-18 14:03 | インド旅行記2015