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ある旅人の一日
 目玉焼き三個で一日が始まる。
 長い距離をリキシャで走り通すためには、まず朝食をしっかりとらなければいけない。その定番メニューとなっているのが目玉焼きとサフラン色のご飯だ。
 目玉焼きという料理には失敗がない。「100%ない」とまでは言い切れないが、誰に頼んでもまず無難に作れると考えていいだろう。丸い鉄板に油を引いて、卵を割り、塩を振りかけるだけ。失敗する余地がない。

 バングラデシュの食堂は味の善し悪しの幅が大きい。立派な店構えのわりにご飯の炊き方がひどかったり、ただ辛いだけで他に味のしないカレーを出すところもあるし、屋根と柱だけの粗末な食堂で驚くほどうまいビリヤーニ(炊き込みご飯)を出すところもある。料理人の腕の善し悪しを事前に見分けるのはとても難しい。だからとりあえずハズレのない目玉焼きを注文することにしている。


【写真:目玉焼き三つとご飯。美味しそうに見えない? 実際、とりたてて美味いものではありません】


 8時半ごろに宿をチェックアウトして、リキシャを漕ぎ出す。
 夜が明けて間もない町は薄ぼんやりとしている。この時間になっても宿の従業員がロビーの床で毛布にくるまって眠っていることもよくある。
「おい、起きてくれないか?」
 そう声を掛けてもまったく反応しない。バングラ人の眠りは深いのだ。少しの物音ぐらいでは起きない。仕方がないからボーイには悪けど足の裏を軽く蹴ってみたりする。それでも起きない。マンモスのようにかたい眠りである。
「おい、起きろよ!」
 今度は肩を大きく揺すぶる。するとようやくボーイが毛布の下から眠そうな顔を出す。

 農村はともかくとして、町に住むバングラ人は案外「夜型」の生活である。夜は11時12時頃まで騒がしいが、朝8時の町は人通りもなく、とても静かだ。これは今年から導入された「サマータイム」の影響もあるようだ。
 バングラデシュ政府は今年の5月に時計の針を1時間進めることを全国民に指示した。サマータイム導入の理由は「日中の太陽光を最大限活用し、電気消費を抑えるため」だという。それなりに合理的な考え方だと思う。実際、電力の恒常的な不足はこの国が抱える大きな問題のひとつである。無駄な電力消費を少しでも減らせるのであれば、時刻の変更ぐらい大いにやればいいと思う。

 しかし不思議なのは、夏がとっくに過ぎ去り、もうすぐ年が変わろうというこの時期になってもまだ「サマータイム」が維持されていることである。「案外こっちの方が暮らしやすいな」ということで定着してしまったのだろうか?

 というわけで、現在バングラデシュの日の出時刻は午前8時頃であり、日の入り時刻は午後6時すぎである。だから朝8時でもまだ真っ暗なのだ。朝の町は静かで、人々は宵っ張りになっている。つまり時計の針に合わせて人々の生活リズムも1時間遅れになっているのだとしたら・・・なんだサマータイム導入なんて意味ないじゃん、という結論になってしまうのだが。


【写真:24時間眠らない卸売市場で働く男たちがつかの間の仮眠を取っている】


 12月末のバングラデシュは朝晩かなり冷え込む。吐く息が白い。最低気温は10度ぐらい。もちろん日本の冬に比べるとマイルドだが、それでもバングラ人はみんな完全防寒態勢である。頭にマフラーを巻き付け、肩に毛布を掛けた格好で早朝の町を行き交う人々の姿が見られる。濃い霧が町をすっぽり包むこともある。とても幻想的だ。
 バングラ人は寒がっているが、リキシャの旅にはこの季節がちょうどいい。日中は25度ぐらいまで気温が上がるのだが、空気はからっとしているので暑さでへばるということがないからだ。

 次の町との距離にもよるが、毎日6時間から8時間リキシャを漕ぐ。距離にすると50キロから80キロといったところ。はっきり言ってヘビーである。もし1日の移動距離を30キロから40キロぐらいに押さえられれば体力的にもっと楽な旅になるのだが、それができない事情があるのだ。

 バングラデシュという国は、ダッカやチッタゴンといった都市を除く大部分が農村地帯である。町の規模は小さく、それも各地域に分散している。64ある県の県庁所在地にはいくつか宿があるが、それ以外の小さな町には宿がない場合がほとんどなのだ。だからバングラデシュの地方を旅するときには次の県庁所在地まで進まないといけない。その距離がおよそ50キロから80キロほどあるわけだ。

 そんなわけで目的地の町に到着するのはいつも夕方である。早ければ3時前、遅ければ6時過ぎになる。
 町の人に宿の場所を訊ねて(田舎町の宿にはベンガル語の看板しか出ていない)、今日泊まる宿を確保する。贅沢は言わない。眠れる場所があればそれでいいというのが基本姿勢だ。

 もちろん静かであるのに越したことはない。賑やかな表通りに面していることが多いバングラデシュの宿では、騒音問題がもっとも深刻な悩みなのだ。運悪く長距離バスの発着所付近に宿を取ろうものなら、クラクションの音で一晩中満足に眠れないということにもなりかねない。
 しかし騒音を騒音として認知するかどうかは個人差があるようで、ほとんどのバングラ人は鳴り止まないクラクションや早朝に響くアザーン(礼拝を呼びかける放送)の声にも、まったく動じることなく平気で眠っている。タフというべきか「鈍感力」があるというべきか。


【写真:一泊80タカ(100円)のシングルルーム。狭く汚くてうるさいという「ハードコアな安宿」だった】


 宿が決まるとリキシャに鍵をかけて町を歩く。町中をリキシャで走り回ることはない。したいとも思わない。ごちゃごちゃした狭い路地はリキシャがすれ違うのもままならないほど混雑していて、とてものんびり町の風景を楽しんでいる余裕などないからだ。

 リキシャという「重荷」から解放されたことで、足取りは軽い。町に到着したときには持てるエネルギーを全て使い果たしたような疲労感があるのだが、ひとたび町を歩き始めるとその疲れが一時的に吹き飛んでしまう。
 商店街を歩き、生鮮市場を冷やかし、町工場を見学する。人々は実に気安く声かけてくる。僕の顔を見た瞬間(コンマ何秒後かには)、「ハロー、ボンドー(友達!)」と大声を張り上げる。この反射神経の鋭さにはいつもながら驚かされる。


【写真:ジョソールの町で出会った少女。まるで冬のロシアにいるような格好だが、そこまで冷え込んでいるわけではない】


 6時半の日没頃まで町を歩き回ってから、宿に戻って水を浴びる。ついでに洗濯もする。洗濯は毎日する。基本的に同じTシャツと同じ短パンを毎日着続けている。朝晩の冷え込みのせいで、夜に洗濯したシャツが朝になっても完全には乾かないからだ。生乾きのシャツは「着て」乾かす。これが旅の基本である(と僕は勝手に考えている)。最初は不快だが、なに慣れればどうということはない。

 7時から1時間ぐらいかけてパソコンで日記を書く。今日一日の出来事を振り返り、明日の道のりをチェックする。
 8時頃に夕食を食べに行き、宿に戻ってからまたパソコンに向かう。今日撮った写真の整理、メールのチェック、あぁこのコラムだって書かなきゃいけないし。

 寝る前にストレッチで体をほぐしてから、11時に消灯。
 まだ外は騒がしいけれども、疲れているのですぐに眠気が訪れる。バングラ人には遠く及ばないが、僕にも「鈍感力」がついてきたのかもしれない。


※追記 このコラムを書き上げた直後に「サマータイム」期間の終了が政府からアナウンスされた。1月1日に全ての時計の針を1時間戻すように、との指示だった。僕は大晦日にその事実を知らされてびっくりした。一般市民への告知は三日前にあったそうだが、政府の方針が行き当たりばったりなのに慣れているバングラ人は、この急すぎる決定にもたいして驚いていない様子だった。
by butterfly-life | 2010-01-06 23:50 | リキシャでバングラ一周


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