初めての客は10歳ぐらいの少年だった。
僕が道ばたにリキシャを止めてひと休みしていると、「こっちへ行くのかい?」と声を掛けてきたのだ。 乗りたいのならどうぞ。僕が頷くと、少年はためらうことなく座席に乗り込んだ。僕が外国人であることや、リキシャが妙に派手であることにはあまり関心がないようだった。 これまでにもたくさんのバングラ人を乗せてはきたが、全員が「日本人がリキシャを引いてるぜ!」という驚きと興味本位とで乗り込んできて、適当な距離を走ったら満足して降りていくというパターンだった。「俺が漕いでやるからお前は後ろに乗れ」と強引に言い張る奴もいて、そのテンションの高さについていけないこともしばしばあった。もちろんお金を払ってもらったことは一度もなかった。 少年は静かだった。 ただ黙って座っているだけだった。彼は本当に僕が外国人だと気がついていないのだろうか。声を掛けたリキシャ引きがたまたま僕だったということなのだろうか。 まぁいいや、その方がこちらとしても好都合である。バングラ語であれこれと質問されまくって、ほとんど答えられないで気まずい思いをするよりもはるかに楽である。 立ち漕ぎをしてスピードを上げる。少年の重さはペダルの重みにはほとんど影響しない。あまりに軽いので彼が本当に乗っているのか振り返ってみたぐらいだ。少年はじっと田園風景を眺めていた。 2キロほど走ったところに小さなバザールがあって、少年はそこで降りていった。 ズボンのポケットからくしゃくしゃのお札を取り出して僕にくれた。2タカ札だった。たぶんこれが相場なのだろう。 金は要らないよ、と言おうかとも思ったけど、思い直してそのまま受け取ることにした。彼は僕のことを純粋にリキシャ引きとして扱っていたのだ。だからお金を返される言われもない。 バザールの雑貨屋でバナナを買って食べた。1本2タカだった。僕がリキシャ引きとして稼いだ2タカが、こうして雑貨屋のおやじに渡り、それからまた別の人の手に渡る。そうやって経済は回っていく。 リアルだと思った。 「あんたはリキシャワラなのか?」 と雑貨屋のおやじが言った。さっき少年からお金を受け取ったのを見ていたのだろう。 「いえ、そうじゃありませんよ」 「仕事じゃないんなら、ホビーかい?」 そう聞かれて、少し考え込んでしまった。もちろん僕はプロのリキシャ引きではない。でも趣味かと聞かれるとそれも違うような気がする。僕がこの旅をするに至った経緯を説明しなければわかってもらえないだろう。いや、最初から説明しても、きっとわかってはもらえないだろう。 「ええ、ホビーです。趣味みたいなものですよ」 そう言うと、雑貨屋のおやじはそうなのかと頷いた。 ![]() 【写真:ダッカの街にはリキシャが似合う】 趣味でリキシャを引いている僕のような人間を除けば、バングラデシュには二種類のリキシャ引きがいる。 リキシャを自分で所有している「個人営業リキシャ」と、持ち主から借りている「雇われリキシャ」である。 貧しく、何のコネも持たずに田舎から出てきた若者は、当然のことながら「雇われリキシャ」から始めることになる。彼らはリキシャ主の元へ行き、働かせてくれと頼み込む。リキシャ主はたいてい10台から20台ほどのリキシャと台数分の駐車スペースを持っていて、彼にその一台を貸し与えるのである。レンタル料はリキシャの程度によって変わり、古いものだと70タカ、新しいものだと110タカだという。 ![]() 【写真:リキシャ主がまとめて所有するリキシャを駐車してある所】 リキシャ引きは毎日町に出てお客を拾う。一度客を乗せると10タカから30タカぐらいもらえるが、料金はあくまでも交渉制である。1タカ2タカの違いで客と口論になることもあるし、金離れのよい上客も(あまり多くはないが)いる。 リキシャは主に2,3キロの近距離移動に使われる乗り物なので、遠く離れた目的地には行ってくれない場合も多い。リキシャ引きは自分の「縄張り」から外に出るのを好まないのだろうか。 お客は何人乗っても構わないようだが(5人家族が乗っているのを見かけることもある)、痩せたリキシャ引きが総重量200キロ超を歯を食いしばって引いている姿はなんだか滑稽でもあり、哀しくもある。ユーモアとペーソス。ちなみに三人目以降は割増料金を取るそうだ。 ![]() 【写真:下校途中の学生を四人乗せて走る】 ダッカのリキシャ引きの売り上げは一日200から300タカ程度。どう頑張っても300タカを超えることはないそうだ。ここからリキシャのレンタル代を引けば、手元に残るのは100から200タカである。130円から260円というところだ。この稼ぎで一家8人を養っている人も珍しくなく、食費と家賃を払えばほとんど手元には残らない。 新品のリキシャは1万2000タカ程度、中古のリキシャなら8000タカで買える。一年ぐらいこつこつと貯金すればなんとか用意できそうな額に思えるが、余裕のない「かつかつ」の生活を送っているリキシャ引きにはハードルが高く、なかなか「雇われリキシャ」の立場から抜けられないのが実情のようだ。持たざるものがチャンスをつかむ確率は相当に低いと言わざるを得ない。 リキシャを貸し与えるだけで収入を得ているリキシャ主が「暴利」かというと、そうとも言い切れないようだ。リキシャの修理代(実によく故障する)を負担するのはリキシャ主だし、貸したリキシャが盗まれるリスクもあるからだ。通常「雇われリキシャ」は何の身分保障もなくコネクションも持っていないから、万が一リキシャが持ち逃げされてしまったら、リキシャ主がその損をまるまる被ることになる。だからリキシャ主にとってもっと重要なのは、リキシャ引き志願者が信用に値するかどうかを見極めることなのである。 「雇われリキシャ」から立身出世をした例も皆無ではない。 アクバルという若者はかつて貧しい雇われリキシャ引きだった。毎日同じような道をぐるぐると回るだけの生活。アクバルが他のリキシャ引きと違っていたのは、いつも歌をうたいながらリキシャを漕いでいたことだった。幼い頃から歌うことが大好きだった彼は、家でも道ばたでもどこでも構わず大声で歌い始める癖があったのだ。声も良かった。 あるとき、レコード会社のプロデューサーが偶然アクバルのリキシャに乗った。もちろんそのときもアクバルは歌った。誰かに聞いて欲しかったわけではない。彼はただ歌いたいから歌っていたのだ。 その歌声を聞いたプロデューサーは、ずば抜けた歌唱力に度肝を抜かれた。すぐにアクバルをレコード会社に連れて行き、プロの歌手としてデビューさせることにした。リキシャ引きから一転プロ歌手となったアクバルは、今ではスター歌手の一人に数えられているという。 そんな話である。バングラ版シンデレラストーリー。スター誕生物語。 どこまでが真実で、どこまでが伝説なのかはよくわからない。でも現実にそういうことが起こる可能性はあると思う。ダッカには何十万人ものリキシャ引きがいて、その多くが貧しい生活から何とか抜け出そうと願っているのだから。 もちろんチャンスを掴めるのはほんの一握りの人間だけだ。でもその一握りの人間が、その他大勢のリキシャ引きに夢を与えているのもまた確かだろう。俺たちだってあんな風になれるかもしれない、と。 ![]() 【写真:リキシャの上で昼寝をする男】 ノライルの町で出会った21歳の大学生アロバリ君は、短期間だがリキシャ引きの仕事をしていた。大黒柱である父親が3年前に亡くなり、学生だったアロバリ君もすぐ働いて一家を支えなければならなくなったからだ。リキシャ引きは手っ取り早く就ける仕事のひとつだが、長くは続かなかった。元々からだが小さく勉強ばかりしていたアロバリ君には過酷な仕事に耐えられる体力がなく、1ヶ月後に体を壊してしまったのだ。 趣味は詩を作ることで、将来は学校の先生になりたいというアロバリ君が、もともとリキシャ引きに向いていないのは僕の目から見ても明らかだった。それは彼自身もわかっていたのだろうが、やむにやまれぬ事情があったのだ。 「体力はじきについてきただろうと思います。でもリキシャ引きは誰からも尊敬されない。それが一番つらかったんです」 バングラデシュにおけるリキシャ引きの地位はとても低い。リキシャ引きとは「何の知識も、何の技術も持たないものがすぐに始められる仕事」として広く認知されていて、みんなから見下されているのだ。「職業に貴賎なし」という言葉は残念ながらバングラデシュの現実には当てはまらない。 アロバリ君によれば、リキシャ引きは短命であり、50歳まで生きたら長生きだという。夏の焼け付くような日差しの下でも、雨季の激しいスコールの中でも、ずっと外でリキシャをこぎ続けなければいけない。排気ガスも体に悪い。怪我をしたり病気にかかったりしたら、すぐに収入の道が途絶えてしまう。この国には医療保険や労災などないからだ。 力仕事であるにもかかわらず、リキシャ引きには背が低くて痩せている人が圧倒的に多い。幼い頃から満足に栄養を取ることのできない家に育ち、10代のはじめからずっとリキシャを引いてきた結果なのだろう。 リキシャ引きの人生は過酷だ。年老いたリキシャ引きの張りのない肌は、野ざらしにされて次第に色あせていく看板を思わせる。町中でそういう人を見かけると、少し胸が締め付けられる。 でも僕が旅先で出会ったリキシャ引きの多くは、明るくて屈託のない気のいい連中だった。過酷な人生の影をみじんも感じさせない、典型的な陽気なバングラ人。彼らはガイジンである僕がリキシャを引いて通りかかると、驚きの声を上げ、「ボンドゥー!(友達!)」と笑顔で手を振ってくれた。 何よりもその笑顔が、僕にリキシャの旅を続ける力を与えてくれたのだった。 ![]() 【写真:リキシャにまたがる姿が様になっているベテランのリキシャ引き】
by butterfly-life
| 2010-01-13 20:40
| リキシャでバングラ一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 ![]() 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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