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写真家と時代
 1200キロに及んだリキシャの旅を終えて、バングラデシュの首都ダッカに戻ってきた。

 ダッカのホテルで、フランス人フォトジャーナリストのマチューさんに出会った。フロントで顔を合わせたときに「ニホンジン?」と向こうから声を掛けてきたのだ。彼は日本人と結婚して長年鹿児島県に暮らしているのだが、日本語は挨拶程度しか話せないようだった。僕がリキシャに乗って旅をしていたことを知ると、「ハハハ、そいつはおかしいねぇ」と声を立てて笑った。

 マチューさんはロバート・キャパやアンリ=カルティエ・ブレッソンらが創設した写真家集団マグナムにも所属しているベテランフォトグラファーである。若い頃はアフリカをテーマにして多くの作品を撮ってきた。バングラデシュでは廃船解体現場や皮革工場など、過酷な労働現場で働く人々を撮っているという。美しい写真には興味がない。醜いもの、非情なものに被写体としての興味をかき立てられる。

 マチューさんはかつてのキャパやブレッソンのような「古き良きフォトジャーナリスト」のスタイルを頑なに守り続けているようだった。ひとつの被写体を撮るのに最低でも三日、長いときは一週間かける。そうして「決定的瞬間」が訪れるのを待つわけだ。

 使うのは35mmのモノクロフィルムだけ。デジタルは使わない。カラー写真ならデジタルとフィルムの画質の差はなくなったが、モノクロ写真はまだフィルムの方がすぐれているからだという。
 カメラはライカが2台。古い方は30年前のもので、新しい方は18年前に買ったもの。レンズは単焦点を4本。ライカは小さい筐体のわりにずっしりと重く、メカニカルな冷たさがあった。
「ライカは扱うのが難しいカメラだ。誰もが簡単に使えるわけではない。日本人の中にもライカのファンがたくさんいることは知っているよ。でも彼らの多くは大切なライカをガラス棚に並べて満足している。写真機としてではなく、コレクションとして楽しんでいるようだね」

 マチューさんは物持ちのいい人である。カメラだけでなく、ズボンも靴もバッグも10年以上前に買ったものばかり。確立した自分のスタイルを守り続けることが彼の信条のようだ。
「私のやり方は変わらないけれど、時代は変わってしまったよ」
 マチューさんは白髪混じりのあごひげを撫でながらため息をつく。
「25年前まではフォトジャーナリズムが生きていた。我々フォトグラファーは尊敬され、やりがいのある仕事も数多く与えられた。でも今は違う。新聞も雑誌も、ひとつのテーマを深く掘り下げようとはしなくなった。予算も切り詰められている。身近なネタをデジタルカメラで撮って、1時間後には紙面にする。そんな仕事ばかりしている。立ち止まって瞑想する時間がなくなってしまったんだ」

 確かに写真はかつてのように特別なものではなくなってしまった。キャパやブレッソンが生きた時代のように、一枚の写真が世界に衝撃を与えることもなくなった。世界は平準化され、秘境は開拓され、写真家が活躍できる場所は徐々に狭くなっている。デジタルカメラの出現がその流れを加速させている。

 マチューさんが言うように、今は写真家にとって困難な時代なのだろう。
 けれど時代は選びようがない。僕らは与えられた条件の中で個人としてできることを精一杯やるしかない。キャパがそうしたように。

 僕にはマチューさんのように確固としたスタイルがあるわけではない。右へ左へずいぶん振れている。
 「半径3mの世界」に逃げ込むことなく、この世界と正面から向き合うにはどうすればいいのか。試行錯誤が続いている。
 だからこそ僕は「リキシャの旅」を始めたのだ・・・というのは、たった今思い付いたことである。でも、案外そうなのかもしれないな。
by butterfly-life | 2010-01-14 17:36 | リキシャでバングラ一周


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