リキシャの正しい漕ぎ方
 連載コラム「リキシャ日和」を更新しました。過去のコラムは中田英寿オフィシャルサイト「nakata.net」でご覧いただけます。


■ リキシャ日和「リキシャの正しい漕ぎ方」

 リキシャは実によく故障した。
 初日はチェーンが何度も外れたのでその調整を行い、二日目はタイヤの虫ゴムを交換し、三日目はブレーキパッドの付け替えとベアリング受け金具のゆるみを直した。四日目は幌を止める金具が脱落し、五日目にはホイールを止めているナットが脱落した。よくもまぁこれだけ次々にトラブルが発生するものだと呆れてしまった。

 前にも書いたようにリキシャは基本的にとても頑丈に作られている。ちょっとやそっとでは壊れない。問題は工場から出荷された段階で調整らしい調整がほとんどなされていないことである。せいぜい7割ぐらいの出来で納品されているのだ。「一応完成はさせたから、あとの調整は各自でやれ」というのがリキシャ工場のポリシーなのである。無責任といえば無責任だが、それなりに合理的な考え方ではある。リキシャの修理屋はこの国の至るところに点在しているので、故障してもすぐに直せる態勢が整っているからだ。もしメンテナンスいらずのリキシャが登場したら、修理屋の商売が成り立たなくなる心配だって出てくる。

 もっとも手こずったのはチェーンだった。走り始めた頃は一日に5,6回はチェーンが外れ、そのたびに手を真っ黒にしてかけ直していた。調子よく進んでいたときに限ってチェーンが外れるのも実に腹立たしかった。
 リキシャは自転車に比べるとホイルベース(前輪と後輪の間隔)が長いから構造的にチェーンが外れやすい。しかもそのチェーンをかなり緩めに張っているので、余計に外れやすくなっているようだった。あるリキシャ引きは「チェーンの張りが強いと切れやすくなるのだ」と言った。別のリキシャ引きは「チェーンをゆるく張るとペダルが軽くなるのだ」と言った。そのどちらが正しいのか(あるいはどちらも正しくないのか)はよくわからないのだが、多くのリキシャがチェーンをゆるめに張っているのは確かで、そのゆるゆるチェーンが外れないための特別な部品を取り付けているリキシャもよく見かけた。
 僕の場合はチェーンが切れる心配よりも、できる限り外れないことの方が重要だったので、修理屋でチェーンを短くしてもらった。修理屋は「リキシャのチェーンとはこういうものなのだ」と言ってなかなか修理に応じなかったが、「とにかく短くしてくれ!」と強引に頼み込んでやってもらった。その結果、やっとチェーントラブルから解放されたのである。やれやれ、疲れるわい。


【写真:これがゆるいチェーンでも外れないための装置。構造はすごくシンプルだ】


 リキシャの修理がひととおり済んで、トラブルもあまり出なくなった頃、ようやく僕の体もリキシャに慣れてきた。
 旅を始めてから一週間ぐらいは、背中から足にかけての筋肉が毎日悲鳴を上げていた。特にひどかったのが太ももで、町に着いてリキシャを降りてから2時間ぐらい経つと筋肉が固まってきて、出来損ないのロボットみたいにギクシャクした動きで町を歩かなければいけなかった。日本では毎日1時間近く自転車に乗っていたから、足にはいくらか自信もあったのだが、リキシャの重いペダルを漕ぐのと21段変速器付きのクロスバイクを漕ぐのとでは、筋肉にかかる負荷がまるで違っていたのである。

 十日目ぐらいに少し体が軽くなった。それまで50キロ以上漕いだら息も絶え絶えだったのが、70キロ漕いでも余力を残せるようになった。
 リキシャで走るコツも掴んできたのもこの頃だった。
 何よりも重要なのは立ち漕ぎのテクニックである。リキシャのペダルはとても重い。ギア比が普通の自転車と同じなのに、重量が80キロ(客を乗せるともっと重い)もあるからだ。だからスタート時はもちろんのこと、向かい風を受けているときや坂を上るときには、必ず立ち漕ぎをしなければいけない。むしろ立ち漕ぎがデフォルトの乗り物だと考えた方がいいぐらいだ。
 立ち漕ぎは全身運動だから息は上がるが、太ももにかかる負担は軽くなる。足の筋肉を使うだけではなく、全体重をペダルに乗せることが重要なのだ。立ち漕ぎでスピードに乗せ、サドルに座って休む、というパターンを繰り返すのがリキシャの「正しい」漕ぎ方なのである。


【写真:リキシャは立ち漕ぎがデフォルトの乗り物だ】


 それにしても不思議なのは、なぜリキシャのギアをもっと軽いものにしないのかということだ。僕が観察した限り、リキシャはどれも全く同じサイズのギアを使っていた。スペアパーツを扱う店に聞くと、リキシャの主要部品であるギアやペダルやベアリングなどは全て中国からの輸入品で、同じ規格なのだという。つまり軽いギアに取り替えようにも部品が存在しないのだ。

 僕がリキシャのペダルの重さを嘆くと、バングラ人は口を揃えて「リキシャのギアは大きい方がいいのだ。これがリキシャというものなのだ」と反論するのだが、「ではあなたはギアが小さくペダルの軽いリキシャと乗り比べてみたことがあるのか?」と問うと誰もが口をつぐんでしまうのだった。

 もちろんフラットな道を高速で走るときには、ペダルが重い方がよりスピードが出せる。けれども多くの場合リキシャは混雑した道や荒れた道を低速で走らねばならないわけで、ペダルを軽くした方が総合的なパフォーマンスは向上するはずなのだ。

 リキシャ引きたちはこの重いペダルに慣れている。驚異的なテクニックと足の力でもってこのディスアドバンテージを克服している。彼らが生まれる前からリキシャとはこういうものであり、ただ慣れるしかなかったのだろう。「もっとペダルの軽いものを作れないのか」というリキシャ引きからの要求が過去に一度もなかったとは思わないが、その声がリキシャメーカーに届くことはなかった。
「我々リキシャメーカーにとってリキシャ引きは大切なお客様であり、彼らの乗りやすいものを作るのが使命であります」と考えている者は残念ながら一人もいないようである。「リキシャってこういうものだから」という惰性と、中国製の安い規格品を使うという製造側の都合だけが、この不条理なペダルの重さを生み出しているではないかと僕は考えている。


【写真:これだけ大量の荷物を載せて走れるのだろうか?】


 リキシャで走るときのもうひとつのコツは「風よけ」を見つけることである。自分と同じようなペースで走っているリキシャがいたら、金魚の糞のようにぴったりと後ろにくっついて走るわけだ。スリップストリームの利用である。こうすることで空気抵抗が減り、ペダルが軽くなるのだ。

 このテクニックが特に有効なのは、向かい風が吹いている日である。フォルムを見れば一目瞭然だが、リキシャは向かい風にきわめて弱い乗り物なのだ。客席を覆う幌の部分がちょうど船の帆みたいにまともに風を受けてしまう。エアロダイナミクス全盛の時代に逆行するデザイン。もちろんこの幌が「リキシャらしさ」を演出する重要なアイテムではあるのだが、そのせいでちょっとした向かい風でもペダルの重みがズーンと増すことになってしまうのだ。

 もっとも「風よけ」になってくれるリキシャを見つけるのは簡単なことではなかった。「お、こいつは使えるぞ」と思って必死の立ち漕ぎで距離を詰めたのに、そのリキシャがすぐにわき道にそれていってがっかりする、なんてことはしょっちゅうだった。当たり前だが、60キロ70キロの道のりを延々と走り続けるリキシャなど僕以外にはいないのだ。たいていのリキシャは数キロの範囲を移動しているのである。


【写真:大量のわらを積んで走る。3台のリキシャが「風よけ」を利用しながら走っている】


 「風よけ」に利用されたリキシャが「勝手に俺のことを利用しやがって」と怒り出すようなことはなかった。僕もしょっちゅう「風よけ」に使われることがあったし、そこはお互い様という緩やかなコンセンサスがあるようだった。
 僕が後ろにくっついていると、リキシャ引きや乗客が面白がって話しかけてきた。
「あんちゃん、どこの国の人? へぇ日本人なの? で、どこにいくの?」
 とか何とか、バングラ語と英語のちゃんぽんでささやかなコミュニケーションを取り合っていると、僕が間食用に取っておいたバナナを目ざとく見つけて、
「そのバナナさ、俺たちにも分けてくれないかなぁ」
 なんて言われて、なぜか全員でバナナを分け合って食べるというようなこともあった。これはこれで楽しいのだが、そんな風に時間を潰しているとなかなか目的地に辿り着けないのが難点だった。

 リキシャのスピードは平坦な道で時速13、4キロほどである。のんびりしたものだ。もちろん歩くのよりは速いが、自転車よりずっと遅い。上り坂になると時速10キロ以下に落ちる。時速7キロを切るぐらいだと、リキシャを降りて押した方が足の負担が少ない。
 このように自分のスピードがわかるのは、リキシャに「サイクルコンピューター」という速度&距離計を付けていたからだ。これは本格的なサイクリングや競技用自転車に乗る人が使う機械で、もちろんバングラデシュには売っていないので、僕が日本から持ち込んだものである。速度、走行時間、一日の走行距離、これまでの積算距離などがわかるというすぐれものだ。こんなハイテク機器がリキシャに搭載されたのは、長いリキシャの歴史上初めてのことではないかと思う。


【写真:史上初(たぶん)サイクルコンピューターを取り付けられたリキシャ】


 わざわざサイクルコンピューターを取り付けたのは記録のためというより、これが長い旅の励みになるのではないかと思ったからだった。もちろん「今、時速12キロで走っている」という情報が肉体的な疲れを癒すことはない。しかしただ漠然とペダルを漕ぎ続けるより、たとえば「あと5キロ進んだら休憩を取ろう」と目標を決めて走った方が断然気持ちが楽なのである。
 一日80キロ走らなければいけないとき、最初から80キロ先のゴールをイメージするのは難しい。途中で気持ちが折れてしまう。しかし80キロを10キロずつに区切って、セクションをひとつひとつクリアーするようなイメージに変えてやれば、案外がんばれる。目に見える数字が自分を励ましてくれるのだ。これがサイクルコンピューターによる「見える化」の力なのである。
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by butterfly-life | 2010-01-20 17:44 | リキシャでバングラ一周


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