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旅のベネフィット
 連載コラム「リキシャ日和」を更新しました。過去のコラムは中田英寿オフィシャルサイト「nakata.net」でご覧いただけます。


■ リキシャ日和「旅のベネフィット」

 バングラデシュ西部をぐるりとひと回りして、首都ダッカに戻ってきた。走行距離1200kmに及ぶ長旅もこれでいよいよゴールだ。体力的には相当きつかったが、そのきつさも含めて1200kmという距離を体で感じられたのは大きかった。これを走り抜いたことで、「日本縦断も何とかなるんじゃないか」というおぼろげな自信がつかめたからだ。

 僕がリキシャで旅をしていると知ると、たいていのバングラ人は驚くか、呆れるか、大声で笑い出すか、いずれかのリアクションを返してきた。まっとうな反応である。僕だって自分に呆れてしまんだから。
 しかし英語教師のバドゥルさんだけは違っていた。
「君はきっとハングリーなんだ」
「ハングリー?」
「あぁ、旅人としての空腹を満たすためにリキシャで旅をしている。違うかい?」
 トラベラーズ・ハンガー、旅人の飢え。いい言葉である。僕自身も把握できていない「けれども旅をしたい」という気持ちの奥底にあるものをうまく言い表していると思う。


【写真:リキシャ工場で幌を取り付けている男。力業でひずみを直している】


 トラベラーズ・ハンガー旺盛な僕にとっても、ダッカの街をリキシャで走ることに対しては、まったく食欲が湧いてこなかった。幹線道路のハチャメチャぶりについては前にも書いた通りだが、ダッカ市内はそれを超える「カオス状態」だったからだ。

 まず我々リキシャ引きが否応なく直面させられるのがダッカ名物の大渋滞である。大通りは比較的流れているが、マーケットの近くや旧市街の細い道に入り込むと、たちまち慢性的な渋滞に巻き込まれてしまう。10分以上まったく動かないことも珍しくない。
 交差点では、渋滞の原因となっている客待ち中のリキシャを警官が有無を言わさず棒で殴りつけている。威嚇のレベルを超えて本気でしばきあげているのだ。こっちの警官はやたら乱暴だ。立場の弱いリキシャ引きは殴られるとおとなしくリキシャを動かすのだが、警官が去るとまたぞろぞろと同じところに戻ってくる。彼らだって生活がかかっているから、簡単には引き下がらない。で、しばらくするとまた警官がやってきてリキシャを殴るのである。あぁ、終わらない日常。繰り返されるダッカの悲喜劇・・・。

 交通ルールはないに等しく、信号もまったく機能していない。「譲り合いの精神」など皆無で、みんなが行きたい方向に好き勝手に走っている。だからしょっちゅうどこかで衝突が起き、新車はすぐに傷ものになる。バスの横っ腹も傷だらけだ。道路があまりにも過密なので、幅寄せされるとどこにも逃げ場がないのだ。
 英字新聞に「ダッカとは人をMill(粉にする・製粉機にかける)街である」という言葉があったが、ダッカの交通事情を表すのにこれ以上適切な言葉はないだろう。ダッカを走ると、誰もが「粉にひかれ」てしまう。人をすり減らせる街なのである。


【写真:ダッカの混乱した交通事情】


 それにしてもバングラ人の手前勝手さ、自己主張の強さはどこからくるものなのか。山本七平が『日本人とユダヤ人』の中で、「日本人の協調性の高さや生真面目さは、ある期日をもって全員が同じ作業を行う稲作を長年に渡って続けてきたためだ」と書いていて、読んだときには「なるほど」と思ったのだが、しかしここバングラデシュも稲作の国なのである。農村では村人が全員で同じ作業をする。にもかかわらず両国民のメンタリティーがこれほどまで違うのはなぜなのだろう。

 信号待ちをしていると必ず寄ってくる物乞いも悩みの種だった。アスファルトの上をはいつくばって進む両足のない男。顔が象のようにふくれた中年の女、杖をついて歩く片足で盲目の老人。何ヶ月も洗濯していないような服を着ている子供たち。以前に比べれば少なくはなったようだが、物乞いの絶対数はまだまだ世界屈指の多さである。
 ダッカの物乞いはソフトタッチだ。そばにやって来て、僕の腕を優しく撫でてくる。しかし粘り強さは相当なものである。こちらがいくら首を振ってもなかなか諦めてくれない。渋滞に巻き込まれているときに目をつけられるとかなり厄介である。


【写真:ドラム缶をトラックに積む男たち】


 ダッカ住民に街の住み心地を訊ねると、「私だって好きこのんでダッカに住んでいるわけじゃない」と言われることがある。彼らにとってダッカとは「やたらうるさく、空気が悪く、物価が高い」けれど「仕事はある」から仕方なく住み続けている街なのである。決して気に入っているわけではない。

「30年前のダッカはこうじゃなかったさ。高いビルもなかったし、人もリキシャもこんなに多くはなかった」
 リキシャ引きとして30年もこの街を走り続けている大ベテランのアブドゥルは言う。彼は外国人が集まるホテルの前を「縄張り」にして、外国人相手にリキシャで観光案内をして生計を立てている。観光客の少ないバングラデシュでは非常に珍しい存在だ。英語はかつての唯一の安宿YMCAに宿泊していた欧米人バックパッカーたちを相手に体当たりで覚えた。
「街が大きくなって、商売はしやすくなったんじゃない?」
「ああ、前よりは生活は楽になったよ。でも政府はリキシャを街から閉め出そうとしているから、将来はどうなるかわからんな」

 現在、ダッカを走るリキシャの数は30~40万台ほどだと言われている。正式なライセンスを持つリキシャは8万6000台なのだが、偽造ライセンスを持つ者も多いから、正確な数は誰にもわからないようだ。警察はときどき偽造ライセンスの取り締まりを行っているが、「袖の下」が効いたりするのであまり効果は上がっていない。
 それでも政府が段階的にダッカからリキシャを排除しようとしているのは確かなようだ。さっきも書いたようにリキシャは渋滞の原因だと見なされていて、ダッカを近代的な街に発展させたいと願う人々から目の敵にされているのだ。もうすでに幹線道路の多くはリキシャの通行が禁止されているし、CNG(圧縮天然ガス)エンジンを積んだ三輪タクシーの普及も進んでいる。バッテリー駆動の電動リキシャも登場した。ダッカに地下鉄を走らせようという計画も検討されているという。そうやって徐々にリキシャの存在意義は失われつつあるわけだ。
 カルカッタから人力車が閉め出されたように、バンコクからトゥクトゥクが消えつつあるように、ダッカからリキシャが消える日がやってくるのかもしれない。リキシャの未来はあまり明るくはないようだ。


【写真:中国製の電動リキシャも急速に普及しつつある】


「あんたはリキシャでバングラデシュを旅した」とアブドゥルは言った。
「そうだ」
「日本人なのに」
「そうだ」
「俺にはよくわからないんだが、それがあんたにとって何の得になるんだい? ベネフィットは何だ?」
 何の得になるのか。単刀直入にそう聞かれると、返事に困った。
「ベネフィットなんて特にないんだよ。ただリキシャで旅がしたかったんだ。少し痩せた。足の筋肉が強くなった。今のところベネフィットはそれぐらいだ」
「クレイジーだな」アブドゥルは呆れたように言った。「俺には理解できん」
「そうだ。クレイジーなんだよ」



 コストとベネフィットを天秤にかけて、ベネフィットの方が上回るからやる。旅とはそういうものではない。損得勘定を抜きにして始めてしまうものだ。
 漠然とした方向性だけが心の中にある。先のことはわからない。明日どの町で眠るのか、どういうかたちで終わりを迎えるのかもわからない。僕はそうやって旅をしてきた。それは写真家として飯を食うようになってからも変わっていない。

 各地のグルメを食べ歩いたり、スパでリラックスしたり、円高を利用して安く買い物をしたりといったわかりやすいベネフィットを求めて行うのは、「旅行」であって「旅」ではない。僕はそう考えている。もちろん「旅行」を否定するつもりはまったくない。有意義な余暇の過ごし方だと思う。でも「旅」から得られる経験は本質的に「旅行」とは違う。

 旅とは先が見えない状態で、えいっとジャンプしてみることだ。これまで自分が経験していないこと、未来の自分に向かって跳躍することだ。無残な失敗に終わることもある。いや、失敗の方がずっと多い。けれども「予想もしなかった未知の快楽」に達することもある。それが旅の面白さだ。

 リキシャの旅のベネフィットが何なのは、今の時点ではわからない。
 でも旺盛な「トラベラーズ・ハンガー」を持ち続けている限り、きっと何かが得られるに違いない。

 さぁ、日本縦断の旅をはじめよう。
by butterfly-life | 2010-03-01 11:08 | リキシャでバングラ一周


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