フェリーは定刻通り1時に徳島港に接岸した。
乗客の中にイギリス人のおじさんが乗っていた。話しかけてみると、これから自転車で日本を縦断する予定だという。僕もなんですよ、と意気投合する。 彼、ジュリアンさんはなんと21年間も自転車で世界を旅し続けているという強者である。ハードコア中のハードコア旅人だ。イギリスでビジネスをしていた彼の人生を変えたのは21年前に旅したインドだった。旅の魅力に取り憑かれてしまったわけだ。本国に帰ってからすべてを売り払って旅に出た。それ以来ずっと旅を続けている。ずっとだ。 「クレイジーですね。僕もだけど」 二人で笑う。彼の青い目は澄み切っている。ものすごいことをしている人だけれど、それを声高に話すことはなく、あくまでも控えめである。58歳には全然見えない。まだ旅を始めたばかりの若者のようだ。 「いつになったら旅を終えられますか?」 「あと数年は続けるよ。体力が持つまでは。今はまだペダルを漕ぐ体力がある」 自転車旅の良さは「あいだ」を楽しめることだ、と彼は言う。町と町とのあいだ。そこに彼の求める光景がある。僕もまったく同感だ。徒歩では遅すぎる。バスでは速すぎる。自転車がちょうどいい。 ![]() 【徳島港を見つめるジュリアンさん】 ジュリアンさんにとって今回が初めての日本滞在だ。これまでずっと陸路で旅をしていたから、日本に来るチャンスがなかったのだ。もちろん物価の高さもある。彼はずっと野宿をしながら旅を続けているから日本の物価は懐に直接堪えるのだ。500円、600円でもすごく高いんだよ、と笑う。 「あなたの旅の目的って何ですか?」 「さぁね。ただ旅が好きなんだよ。きっと君と同じだと思うけど」 「トラベラーズ・ハンガー?」 僕はバングラ人に教えてもらったばかりの言葉を使ってみる。 「そう、その通りさ。まだ私はハングリーだ」 面白い人だ。この出会いは偶然がもたらしたものだ。でも船旅という特殊な場がもたらした必然だとも思った。 ![]() 【ジュリアンさんの自転車は年季が入っている。これから野宿の旅を続けるそうだ】 フェリーに取り付けられたスロープを下ると、いきなり一眼レフカメラを向けられた。徳島新聞の記者さんが連続シャッターでお出迎え。僕の上陸スケジュールを知って、取材に来られたのだ。 徳島新聞は地元では圧倒的に知名度があるそうだ(90%以上が読んでいるという話もある)。確かに徳島市にある本社ビルはでかかった。徳島県民は地元愛が強いから、地元紙が強いという話も聞いた。本当だろうか? 記者さんはてきぱきと質問をする。どうして徳島からスタートするのか? これからどこへ向かうのか? 昨日も書いたように徳島からスタートするのはどちらかと言えば消極的な理由だが、それが新しい出会いを生むかもしれないですね、と答えた。 ![]() 【これが翌日3月3日に載った記事。かなり大きな扱いだ】 徳島港にはこのブログを見て駆けつけてくれた土佐さんも僕も出迎えてくれた。なんと兵庫県西宮市からやってきたという。青春18切符を使って鈍行列車で6時間もかけてきたそうだ。 「思い立ったら吉日というじゃないですか。ふと思い立って徳島まで来たんですよ」 そのフットワークの軽さはすごい。彼は持っていたオカリナを吹いて、僕の旅の無事を祈ってくれた。青年海外協力隊員だったときに覚えた隊歌「若い力の歌」のメロディー。 土佐さんが協力隊員として派遣されたのはパキスタン。養護教育の専門家として2年間赴任した。当時も散発的にテロがあったが、最後にはパキスタンのことが大好きになった。 「オカリナはパキスタンの子供たちにはすごくウケたんですよ。持って行って良かったな」 彼が徳島での「5円タクシー」最初の乗客になってくれた。パキスタンの伝統衣装であるクルタを着ていたので相当に強いインパクトがあっただろうと思う。異国の衣装を着た男が、奇妙な異国の乗り物に乗り、オカリナを奏でる。下校途中の小学生が「なんやあれー!」と言って走って追いかけてきた。その気持ちはよくわかる。なんだろうね、この二人は。 ![]() 土佐さんと別れて、徳島市から16km離れた鳴門市に向かう。 鳴門市在住の宮崎さんが自宅に招いてくれたのだ。彼は地元のパン屋で働くパン職人である。面識はないけれど、僕の「たびそら」を何年も前からずっと読んでくれていたそうだ。徳島の来たときには是非お立ち寄りください、と書いてくれていた。 徳島市から鳴門市まで国道沿いをえっちらおっちらリキシャで走った。鳴門市はなんだか寂しい町だった。曇天だったせいもあると思うのだが、町に活気がない。人が歩いている姿を見かけない。 実際に鳴門市では過疎化が進んでいるようだ。人口が減り続け、特に子供の数が少ない。以前は大阪と鳴門とを結ぶフェリーがあって、港町として栄えていたのだけど、連絡橋が完成してからは素通りされる町になった。 完全な車社会だから、すれ違うのはヘルメットをかぶった小学生かお年寄りぐらいである。他の人はみんな自家用車に乗って大きな駐車場のあるショッピングセンターで買い物をする。リキシャを珍しそうに眺めてはいるけれど、声をかけてくる人は少ない。 2時間ほどかかって鳴門市に到着する。 夜遅くまで宮崎さんと酒を飲みながらパン作りの苦労などを聞かせてもらった。 *********************************************** 本日の走行距離 : 21.0km 本日の「5円タクシー」の収益 : 5円 ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-03-03 21:50
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 ![]() 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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