昨夜泊まった川原旅館は、地元の人でさえ「あそこってまだ営業してるの?」と真顔で言うような宿だった。ずっと昔からあるけれど、今やほとんど泊まり客のいない忘れられた宿だ。
玄関のがらがら戸を開けると、大きな福助人形といかつい虎が彫られたついたてがお出迎え。ミシミシと音のする急な階段を上ると、臭いのきつい手洗いがあり、その奥に部屋が三つ並んでいる。ふすまは足を踏ん張って力を入れないと開かない。部屋はきちんと掃除されているが、内装の古さはいかんともしがたい。コイン式のテレビ(最近の宿はコイン式であってもタダで見られるところが多いのだが、ここのは本当に100円を入れないとつかない)の後ろには大黒様の木彫り人形と、よくわからない掛け軸と、妙な髪型の裸婦の焼き物が置いてある。とりとめがない。懐かしいと言えば懐かしい。「ザ・旅館」って感じだ。 川原旅館を経営しているのは90歳と83歳のご夫婦である。結婚60年目の「ダイヤモンド婚」祝いを終えたばかりだという。 ご主人は耳が遠いので、川原おばあちゃんに話をうかがった。川原さんはもともと農業をしていた。リンゴや葉タバコの栽培、養蚕もやっていた。戦後の建築ラッシュで木材の値段が上がったときに、山を売って平地に家を建てた。それから近くの役場の職員を相手にしたうどん屋を始めた。旦那さんが麺を打ち、奥さんが客あしらいをする。うどん屋が儲かると店の隣に旅館を建てた。それが40年前のことである。 ![]() 【ストーブにあたる川原おばあちゃんとお友達】 「戦争中はろくに食べ物もなかったから、隣近所で融通し合ってな。珍しいおかずを作ったら、ご近所に配りよった。『もらい風呂』いうのがあってな。昔は薪でお風呂を焚いたけん、それを他の家族と一緒に使ったんよ」 川原おばあちゃんは戦時中、戦後の苦労を身に染みて知っている。だからこそ、「今が一番幸せじゃと思う」と言い切る。 「子供が4人でけて、孫は12人、ひ孫が5人おるよ。近くに道路が通って便利になったし、米も野菜も安いし、欲しいもんは何でも手にはいるじゃろう。昔に比べたらな、ほんとに幸せな時代じゃな」 「でも『幸せな時代』だと実感している人は多くないかもしれませんね」 「今の人は辛抱が足らんように思うよ。昔は生きるのに必死やったから、自殺するような人はおらなんだ。支え合って生きとった。でも今は助け合う必要がなくなったんかもしれん」 ![]() 【御年90歳の川原おじいちゃん】 おばあちゃんは僕の派手なリキシャを見て、「あれは葬式に使えるんとちゃうか?」と言った。 「葬式ですか?」 「昔の葬式は派手やったけん。亡くなった人をお墓まで運ぶときに、大きなのぼりをこしらえて歩きよったんよ。じいさんもこれに乗って葬式出してもらったらええんと違うか? ハハハ」 確かにインドの葬式は派手である。リキシャっぽいカラフルな装飾を施したおみこしに遺体を乗せて、川のそばの火葬場まで運んでいるのを見たことがある。日本の霊柩車の装飾性とも通じるものがあるかもしれない。 ![]() 【川原おじいちゃんの趣味は焼き物のお面を作ること。どれも迫力があるが気味悪がるお客さんもいるそうだ】 川原旅館を出て、吉野川沿いを西へと走る。右手からも左手からも山が迫っている。しかし池田までは比較的平坦な道が続いて走りやすい。 午後から雨が止むという予報が出ていたので、それを信じて出発したのだが、いつまでたっても雨は止まなかった。それどころか、ますます強くなっていった。ヤッケを着て、フードをかぶる。吐く息が白い。山の空気は冷え冷えとしているが、ペダルを漕いでいる限り寒さは感じない。それでも延々と降り続く雨は気力と体力を奪っていく。 池田を過ぎ、192号線に入ると本格的な山道になった。ここから愛媛県との県境にあるその名も「境目峠」までずっとのぼりが続く。もちろんリキシャを漕ぐことはできないので、降りて引っ張ってやる。右手に力を込め、前傾姿勢で体を低くして進む。100キロの重量を右手と肩で受け止める。 あぁなんで俺はこんな馬鹿げた乗り物を引っ張って歩いているんだろ、と思う。電動アシストが欲しい。いや、そこまでの贅沢は求めないから、せめて3段変速ぐらい付けられないものか。愚痴である。でも愚痴のひとつも言いたくなるほど、雨の坂道は辛かったのだ。 坂の途中に古い旅館の看板が見えた。これはラッキー。今晩はここで一休みしよう。そう思って訪ねてみると「今日は満室なんよー」とのこと。がっくりと肩を落とす。お遍路さんの団体で満員なのだそうだ。 「のぼりはあと1キロぐらいやから、がんばってな。あとは下りじゃけ」 と旅館の奥さんが励ましてくれた。 しかしこの「あと1キロ」が長かった。何も考えずに一歩一歩進むだけ。そう思っているのだけど、いつまでも終わらない坂道に深いため息をつく。 ようやく「境目トンネル」に到着。全長855mのトンネルを下る。リキシャに乗って長いトンネルをくぐるのは初体験。これはかなり怖い。リキシャの前後に点滅するLEDライトを付けてはいたが、背後から迫る車に追突されるのではないかという恐怖をぬぐい去れることができなかった。 ![]() 【雨が降りしきる吉野川上流】 トンネルを抜けると愛媛県。そのままノンストップで一気に下っていく。これまでののぼりで蓄えられた位置エネルギーが一気に解放されるわけで、これは爽快なのだが、調子に乗りすぎてスピードを出すわけにはいかない。雨が降っているとリキシャのブレーキの効きが悪くなるからだ。制動距離がすごく伸びる。だからブレーキをぐっと握りしめてスピードを緩めながら、そろそろと坂道を下った。 今日は初めてづくしの一日だった。 雨の中をリキシャで走るのも初めてだったし、本格的な山越えも初めてだった。トンネルを走ったのも初めてで、リキシャで県境を越えたのも初めてだった。 肉体的にはきつい一日だった。でも今日の経験はこれからの旅に間違いなく生かされていくだろう。最初の一歩を踏み出せれば、そのあとの二歩目三歩目はたやすくなる。 *********************************************** 本日の走行距離:45.8km (総計:224.0km) 本日の「5円タクシー」の収益:2195円 (総計:4721円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-03-08 23:52
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 ![]() 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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