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11日目:スクールリキシャ登場(愛媛県・今治市)
 二日間降り続いた雨もようやく上がって、朝から晴天が広がっている。空気はひんやりとしているが、リキシャの走行にはちょうどいいぐらい。しかし万全のリキシャ日和とは言い難かった。向かい風が強かったからだ。南西からの風6m。猛烈な風というほどではないけれど、この程度の風でもまともに正面から受けると、ペダルが重くて前に進まないのである。前にも書いたけれど、リキシャの幌というのは見事に「帆船の帆」の役割を果たしてしまうのだ。


【大漁旗も見事にはためくほど風が強かった】


【西条市の漁港で。漁船に乗り込もうとするおじさん】

 新居浜は昔「別子銅山」という鉱山があった関係で、住友金属や住友化学などの大きな工場が多い。製紙の町・川之江もそうだったが、このあたりの海岸線は工場のトタン屋根と煙突で占められているようだ。

 西条市を抜けて今治街道を北上する。今治ではお遍路さんとよくすれ違った。白装束を着て杖をついて歩く夫婦も多いし、お遍路バスツアーで回ってしまう(それはお遍路ではない、という批判もあるようだが)団体旅行者も見かけた。
 昼食を食べようと入った「すき家」でも、若いお遍路さんに出会った。大学2年生の春休みを利用して、歩いて四国を巡っているという。白衣と杖と竹笠ではなくて、バックパックとトレーナーとスニーカーだったけれど、とにかくお遍路・四国八十八カ所巡りである。徳島を出発して28日目で59カ所の札所を回ったという。
「とにかく歩くのが好きなんです。遠くまで歩くと気分がいいんです」

 基本的には野宿をしているが、無料で泊めてくれるお寺があるときにはそこを使わせてもらっている。昨日のようにひどい雨が降った日には、公衆トイレで眠ったそうだ。これまでの1ヶ月間で使ったお金は5万円足らず。ほとんどが食費。ハードコアな旅人である。
 彼のお遍路はもうすぐ終わるが、そのあとも大学には戻らず、一年間休学して徒歩で日本一周をするつもりだという。それが終われば今度は世界を歩くということになるかもしれない。かなり重度の「旅中毒」にかかっているように見受けられる。彼の行く末は大丈夫だろうか。ま、僕が言うことじゃないけどね。


【59番札所・国分寺にて。バスツアーでやってきたお遍路さんの団体】

 それにしても「すき家」は我々旅人にとってなんと頼もしい存在だろうか。安い値段でできるだけ多くのカロリーを摂取したい徒歩および自転車ツーリストにとって、わずか500円で十分な満腹感を得られる「すき家」はまことに得難い旅の友だと言っていいだろう。お遍路の彼だって、心許ない財布の中身と相談しながら、「よし、ここはいっちょ牛丼特盛りだ!」と気合いを入れて入店したに違いない。

 今治市に入ってからしばらく田園地帯を走る。2両編成(しかもほとんど乗客が乗っていない)のJR予讃線の列車がリキシャを追い抜いていく。
 下校途中の小学生たちから「5円タクシーやって。乗せてぇ」とせがまれる。その辺をぐるっと一周して戻ればいいだろうと思っていると、「なぁ、うちまで送ってぇや」と言われる。なかなか人使いの荒い子供である。しかしこれも「ご縁」。むげに断ったりはできない。
 6人の子供を家が近い順に二人ずつ乗せてあげることにした。残りの子供は走ってリキシャを追いかける。家が近づくとメンバーチェンジ。「私の方が先やで」なんて喧嘩を始める子もいて、順番を決めるのも一苦労だった。





 田舎の小学生たちは本当に無邪気だった。派手な異国の乗り物に好奇心を刺激されている。一年生の男の子がまだ真新しいランドセルを背負って、息を切らせながらリキシャの横を走っている。
「おとうさん何してるん?」と訊ねたら、
「工場で船つくってる」とのこと。今治には造船所が多いのだ。
 無事に家まで送り届けると、リーダー格の子がみんなの分の運賃30円を払ってくれた。どうもありがとう。



 本日は今治で「スクールリキシャ」の登場とあいなったわけだが、リキシャの本家であるバングラデシュやインドにもスクールリキシャは存在する。どういうわけか子供たちは「ミニ護送車」とも言うべき四方を鉄板で覆われた狭い場所にぎゅうぎゅうに押し込められていて、それを一人のリキシャ引きが引っ張るのである。決して速くもなければ快適でもなさそうだ。交通事情が最悪の彼の国で、子供たちを事故から守るためなのだろう。


【これはネパールの「スクールリキシャ」。ぎゅうぎゅう詰めである】

 小学生たちを家に送り届けてから元の道を戻っていると、ほうれん草の収穫をしているおじさんに出会った。僕のリキシャを見て、「それ、リンタクやな」と言う。
 輪タクとは昔日本にあった自転車タクシーのこと。自動車が普及していない頃は、手軽なタクシーとして繁盛していたようだ。戦争が終わってしばらくのあいだは、今治でも輪タクが走っていたという。夜に病人が出たときなどには重宝したそうだ。



「うちは専業で農業をやっとるけどな、全然儲からへんよ。ここ20年ぐらいかな、農家が最低の仕事になってしもたんは。そりゃ北海道みたいに大規模な農家は違うよ。でもうちみたいに小さい畑で野菜をつくっとるようなところは難しい。息子も働きにでとるけん」
 おじさんは今日出荷する分のほうれん草を3箱分収穫して車に乗せた。これにて今日の仕事はおしまい。あとはお風呂に入ってご飯を食べて眠るだけ。
「愛媛は温暖で自然災害も起こらんから、ええところじゃよ。でも人間はけっこう世知辛いんよ。そりゃ南予に住んどるお百姓はみんなのんびりしとるよ。でも北に住んでいる商売人は、なんといったらええかなぁ、金儲けが上手なんよ。昔からそうよ。日本で最初に月賦払いを始めたんも今治の人間なんよ。はけん、『伊予の人間が歩いたあとには草一本生えへん』って言われたもんよ」
 その昔、今治の商人は漆器と陶器を船に乗せて西日本各地で売り歩いていたそうだ。そのときに生まれたのが月賦(今でいう分割払い)だった。漆器は高価だったので、当座の頭金だけを用意すれば品物が手に入る月賦払いは庶民のあいだで人気を博したらしい。

 ところで僕が出会った伊予商人(なんて今では誰も呼ばないだろうけど)は全然「世知辛い」人ではなかった。小さな八百屋で一袋150円ミカンを買ったのだが、レジに持って行くと何個か腐っていることがわかった。
「20円でええよ」
 おばさんはあっさりと言った。一部が腐っているといっても、7割方は無事である。なのに破格の20円。まぁこのまま置いておいても捨てるだけなのかもしれないが、このおおらかな応対に好感を抱かないわけにはいかなかった。


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本日の走行距離:49.5km (総計:313.8km)
本日の「5円タクシー」の収益:75円 (総計:4801円)

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by butterfly-life | 2010-03-11 21:55 | リキシャで日本一周


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