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15日目:昭和の香りとアジアの香り(大分県・別府市)
 別府市で泊まったのは、亀川の商店街の一角にある古い木造アパートの一室だった。このアパートのオーナーである近藤さんご夫婦が招いてくださったのだ。
 もともとこのアパートは60年前に下宿屋として建てられたもので、この20年はまったく使われていなかったという。それを近藤さんが買い取って外国人留学生のためのアパート「K-HOUSE」として改装オープンしたのは3年前のこと。現在、ベトナム、マレーシア、中国、イギリスから来た女の子たち(ここは女性限定)が住んでいる。来月にはケニア人が入居する予定だ。
「日本人の若者はこんな狭くて不便なアパートには住みたがりません。でも留学生たちは少しでも生活費を抑えたいから、安いアパートを求めている。そんな彼女たちの役に立てればと思って始めたんです」


【昭和の香り漂うアパートの玄関】

 部屋の広さは4畳半で押し入れと小さなキッチンがついている。お風呂とトイレは共同。電車が通過すると窓枠がカタカタと音を立てて揺れる。昭和の香り漂う「神田川」的世界である。しかし驚くべきは家賃で、なんと月1万5000円である。しかも高速インターネットが付いてこの値段。はっきり言って破格だ。儲けを度外視していると言っていい。
「留学生のお世話をしているときに、ネックになっていたのが『住』だったんです。留学生は昼間授業に行っているから、バイトできるのは休日か夜。日本語もあまりできない子が多いから時給も最低。だから月に4,5万稼ぐのが精一杯なんです。その中から家賃と食費と交通費をやりくりしなくちゃいけない。一番高いのが家賃で、どんなに安いところでも月に2万5000円以上はするんです」
 それだったら自分でアパートを作ってしまえ、という近藤さんの行動力はすごい。もちろんこの格安アパートの噂は留学生のあいだで瞬く間に広がり、卒業して部屋を出て行く人がいても、すぐに別の学生がその穴を埋めるという状態が続いている。

 別府に外国人留学生が押し寄せるようになったのは、2000年に「立命館アジア太平洋大学(APU)」ができてからのことだ。APUはその名の通りアジア太平洋地域を中心に世界中から留学生を受け入れているユニークな大学で、今では世界97カ国からやってきた学生が学んでいる。多いのは中国人、韓国人、タイ人だが、ボツワナ、ガボン、トルクメニスタンなどのマイナーな国からの留学生もいる。
「別府の山の上に突然大きな大学ができたんで、最初はみんなびっくりしましたよ。10年前にはこの町には外国人なんてほとんどいなかったんですからね。それが今では3000人の外国人が大学に通っている。すごい変化ですよ」
 APUができたことによって、別府は突然多国籍の町になった。最初はどう接していいのかわからずに戸惑っていた町の人も、今では外国人を当たり前の存在として受け入れている。


【お世話になった近藤さんご夫婦】

 慣れない異国の地で生活する留学生たちは、様々なトラブルに直面する。事故にあったり、病気になったり、経済的に行き詰まったり。
 「ぽにぃてーる」という美容室を営む近藤さん夫婦は、留学生たちの髪を切るうちに相談事を持ちかけられるようになった。周囲とのコミュニケーションがうまく行かずに鬱病になった留学生を世話したり、日本の複雑な賃貸契約の手助けをしたり、交通事故にあった留学生の入院手続きや本国の両親への連絡を取り持ったり。
「でも実際にはスリランカにもバングラデシュにもベトナムにも行ったことがなかったんです。彼らが現地でどんな生活を送っているのか知らなかった。ネットで三井さんの「たびそら」を見つけたのはそんなときだったんです」

 K-HOUSEに住む4人のベトナム人学生に話を聞いた。4人とも日本語がとても上手いのに驚いた。会話はもちろんのこと、漢字もかなりの種類を読みこなすことができる。大学では最初の2年間に集中的して日本語のレッスンを行うのだが、そのあとは基本的に授業は英語で行われるし、留学生同士の共通語は英語になるので、日本語があまり上手くない留学生も多いという。
「やっぱりバイトですね。アルバイトをして日本人と仲良くなって、日本語が上手くなりました。最初は大学の寮に入っていたんですけど、2年目からこのアパートに住み始めて、別府でアルバイトを探したんです。ホテルのベッドメイク、レストランの皿洗い、コンビニ。いろいろな仕事をしました」


【ベトナム人のタオさんとホワイさん。4畳半の部屋を二人でシェアしている】

 平日の昼間は大学で授業を受け、夜と休日はアルバイトの日々。月に5,6万円の生活費はベトナム人の家庭にとって大きな負担なので、仕送りを期待するわけにはいかない。かといって無理にアルバイトを掛け持ちしたりすると、学業の方がおろそかになってしまう。実際、女子留学生の中には学校には内緒で水商売系のアルバイトをしている子もいるという。
「このアパートはとても安いので助かっています。でもちょっと寒いね。ホーチミンは冬はありませんから、日本の冬は本当に寒いです」
 実際のところ、このアパートは構造的に冬に弱い。薄い磨りガラスがはめ込まれた立て付けの悪い木枠の窓からはすきま風が容赦なく吹き込んでくるので、それをビニールテープで目張りしている状態だ。3月の半ばでもこたつは欠かせないし、冬には部屋の中でもダウンジャケットを着ていないと耐えられないそうだ。南国ベトナムから来た彼女たちにはよりいっそう堪えるのだろう。
 僕らはこういう木賃アパートを見ると、ある種の懐かしさ、昭和の香りのようなものを強く感じるわけだが、実際にここに何年も暮らすとなるとノスタルジックだけでは乗り越えられない現実的な「寒さ」や「不便さ」が立ち塞がる。

 このアパートの売りは天然の温泉がいつでも使えるということ。温泉の町・別府だけあって、蛇口をひねればすぐに熱い温泉が出てくるようになっているのだ。これは寒い冬の大きな味方。しかし住人にとって温泉以上に嬉しいのは、常時接続のインターネット環境が無料で使えることだろう。今や留学生にとってノートパソコンとネットは生活の一部。これさえあれば故郷の家族とも話ができるし、SNSで留学生仲間との情報交換もできる。


【料理をするホワイさん。本日の昼食はスパゲッティ】

「お休みの日はショッピングに行きます」とリンさんは言う。「でもウィンドウ・ショッピングだけね。バーゲンセールをやっていたら別だけど。ベトナムに帰るときにはいつも日本製の化粧品をお土産にするんです。資生堂はベトナムでもすごい人気です。でもベトナムで買うとすごく高い」
 南国の太陽照りつけるベトナムでも、「美白ブーム」が到来している。女性たちはつばの広い帽子をかぶり、マスクと手袋をつけて日焼けを防ごうとする。日本人女性の白さは豊かさへの憧れと重なっている。
「日本の女の人はとてもきれい。男の人もとてもおしゃれです。でも日本人の男性はあまり強くない。ソフトですね」
「ベトナムは違う?」
「はい。私はレストランでウェイトレスをしていますが、カップルでご飯を食べに来たのに、女の人がお金を払うことにびっくりしました。そんなことはベトナムでは考えられません」
 女の人が一方的におごるかどうかは別にして、今の若い日本人にとってデートでのワリカンはさほど珍しいことではない。前はあなたが払ったから、今日は私が払う、というのもアリだろう。でもベトナムではどんなときでも男性が支払うのが当然。女に払わせるなんて男の風上にも置けない軟弱野郎なのだ。
「日本人は自分の気持ちをはっきり言葉にしませんね。ベトナム人なら好き、嫌い、をはっきり相手に伝えるんです。でも日本人はなかなか言わない。だから何を考えているのかわからないときがあります」
「あなたのことが好きだと言って、断られたら傷つくから言わないのかもしれないね。日本では『草食系男子』が増えているって話なんだよ」
「ソウショクケイ?」
「あの、草を食べる牛とか馬とみたいな男の子ね。肉をがつがつと食べるトラやライオンと違って、自分から積極的に口説いたりしないんだ。たぶんベトナムの男は肉食系なんだと思うよ」
 このアパートに住む6人のベトナム人は仲が良く、夜になるとよく誰かの部屋に集まって話をしているという。話題は遠距離恋愛中の恋人のことや、好きな映画や音楽について。日本人の若者とあまり変わらない。
 違っているのは真面目さや必死さだろうか。決して安くはない留学費用を親に負担してもらっているからには、なんとしてもその期待に応えなければいけない。日本で吸収できることは最大限吸収して、故郷でのキャリアアップに役立てたい。そういう思いが伝わってくるのだ。


【近所に住んでいるバングラ人留学生の二人がリキシャの出現に大はしゃぎ】

 別府にやってきた翌日は雨でリキシャでは動けなかったので、近藤さんの車でAPUの構内を見学させてもらうことにした。大学は春休み中なので学生はまばらにしかいなかったが、学生寮の世話係をしているタイ人留学生のインさんに話を聞くことができた。
 インさんは2007年にAPUに入学し、来年の9月に卒業する予定だ。日本での就職を希望しているので、現在は「シュウカツ」中である。リーマンショック以降の不景気のせいで、日本人学生にとっても外国人留学生にとっても就職事情は厳しいようだ。
「私の夢は自分で事業を興すことなんです。タイと日本の食材を扱う貿易会社を作りたい。食べ物にはとても興味があります。日本食も好きです。刺身も好きだし、わさびも食べますよ。でもタイの料理と違ってスパイシーじゃないから、少し物足りない。ラーメンにも唐辛子をたくさん入れて食べています」
 彼女はインターン制度を利用して、1ヶ月間京都の池坊で働いていた。池坊といえば華道の家元である。最近は日本国内にとどまらず、アジア各地にも海外支部を作って華道の普及に努めているのだそうだ。インさんはそこで組織のマネージメントの実際を学び、日本文化も学んだ。
「先生に教わってお花も生けました。すごく面白かったです。華道には『何もない空間』が必要なんですね。私はつい一度にたくさんの花を生けようとするんだけど、そうするとひとつひとつの花が弱くなってしまう。『あいだ』を使うことが大切なんだと教えてもらいました」
 彼女が日本に来て驚いたのは、町の清潔さだった。通りにも川にもゴミが落ちていない。バンコクのゴミだらけの川を見慣れた彼女には、それが新鮮に映ったのだ。
「日本人はマナーがいいし、サービスもいいですね。お店でどこに何があるか店員に訊ねたら、すぐにその場所に案内してくれる。タイでも他の国でもそんなサービスはしてくれません。あっちにあるから自分で探せって言うだけです」
 日本人の礼儀正しさや公共マナーの良さは、実はもっともアピールすべき「日本の美点」なのかもしれない。僕らはそれをごく当たり前のことだと思っているけど、外国に行けばそうではないことがわかる。
 町を清潔に保ったり、交通の流れをスムーズにしたりするために必要なのは、ルールではなくて個人のマナーなのだ。交通カオスのバングラデシュを旅してきた僕にはそう思えるのである。


【笑顔がすてきだったインさん。APUの学生寮にて】


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本日の走行距離:0.2km (総計:464.8km)
本日の「5円タクシー」の収益:2331円 (総計:13332円)

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by butterfly-life | 2010-03-18 00:20 | リキシャで日本一周


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