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16日目:どん詰まりの村にUFOが降りる (大分県臼杵市)
 別府から大分に向かう海沿いの道は、歩道が広々と取ってあってとても走りやすかった。
 ウォーキング中のおじさんと並んで話をする。おじさんが「これはなによ?」と声をかけてきたのだが、まったく足を止めないので、しばらくの間併走しながら話をした。ウォーカーもジョガーもサイクリストも「勢いをそがれたくない」という気持ちは同じなのだろう。立ち止まることなく、一定のペースを守ることが大切なのだ。
 おじさんは毎日20キロ歩いているという。だいたい3時間。もともと歩くのが好きで、歩いて福岡まで行ったこともある。化学プラントでオペレーターの仕事をしていたのだが、退職後は毎日本格的に歩いている。



 今日は非常に風の強い。風速は7、8m。僕にとって幸いなのは北西の風、つまりちょうど追い風だったことだが、追い風の利というものは実際にはあまり感じなかった。これが向かい風だったら、おそらく普段の1.5倍の負荷がペダルにかかることになる。立ち漕ぎでもなかなか進まないぐらいの重さだ。しかし追い風の時に、普段の7割の力で楽に前に進めるかというと、残念ながらそうはならないのである。5%程度のパワーアシストがせいぜいだ。おそらくリキシャの幌の構造上の問題なのだろう。

 大分市の「鳴門うどん」で昼食を食べる。ここはうどんは量を選べるのだが、1玉でも2玉でも3玉でも料金が同じというから驚きだ。せっかくだからと欲張って「おろしうどんトリプル+親子丼セット」を注文する。どでかい器に本当に3玉分のうどんが入っている。味もなかなかのものだ。これで557円は激安。店が繁盛しているのも納得できる。
 運ばれてきたときには「こりゃ食べきれないかなぁ」と思っていた「トリプルうどん」だが、喉ごしがいいので案外ツルツルといけてしまった。一気に完食。
 でも、このあとしばらく腹が重くてリキシャを漕ぐのがしんどかった。欲張りすぎるといけない。イソップ物語の教訓を地で行ってしまった気分。反省、反省。


【これが「おろしうどんトリプル+親子丼セット」】

 大分市から臼杵市に向かう国道21号線はアップダウンの激しい山道である。山をひとつ越えるごとに家の数も道路を走る車の数も減っていく。田舎の奥の奥へと入りつつあるという実感がある。
 21号線沿いに「キリシタン殉教記念公園」という公園があったのでリキシャを止めた。公園の奥には高さ3mほどの巨大な石碑があった。隠れキリシタンを弾圧する武士と、神に祈る地元農民、それを天井から見守るイエス・キリスト、という構図のブロンズ彫刻が石碑にはめこまれている。劇的な場面を写し取った迫力ある彫刻だった。



 この地は国主・大友宗麟の庇護の元でキリスト教が広まったのだが、幕府から禁教の令が下ると200人もの殉教者が出たそうだ。
「これらの人達は、幕府の残虐な迫害にも屈せず、峻烈な刑罰をも怖れず、ひたすら信仰一筋に生き抜いて、ついに殉教者として天に召されたのであります」
 と石碑に書かれている。これを読んで、3日前に出会った「すんごい神様おばちゃん」のことを思い出してしまった。彼女は節操なく信仰をころころと変えていて、それでも実にあっけらかんと生きていた。借金にまみれているけれど、不幸そうには見えなかった。時代が時代なら彼女のような生き方は許されなかっただろう。信仰とはある時代、社会においては「生きるか死ぬか」の問題だったわけだ。信仰がずいぶん軽くなって、まるで流行のファッションみたいにすぐに取り替えられるようになった。それがいいことなのか悪いことなのかはわからない。少なくとも「殉教」なんて言葉がもう日本から消えてしまったのは確かだ。

 山はどんどん深くなり、集落の規模も小さくなっていく。杉の木で覆われた山と、ところどころにひらかれた畑。古い木造の日本家屋。こんなところに突如UFOが現れたら・・・誰だって「え?」と息を飲むだろう。僕だってそうだった。
 その白くて巨大な円盤状の物体は、屋根の高いガレージのような建物に収まっていた。農業や林業にあんな物体は必要ない。遊園地の遊具? いや、そんなもの過疎の進んだこの土地には必要ないだろう。やはりUFOだ。空飛ぶ円盤に違いない。しかし何でこんなところで(秘密裏というわけでもなく堂々と)UFOが作られているのか。
 ガレージで作業をしている女性が見えたので、意を決して話しかけてみた。
「あの・・・あれはUFOですよね?」
「ええ、UFOです」と彼女はうなずく。
「あなたが作っているんですか?」
「そうです」
「空は飛びますか?」
「いいえ、まだ作っている途中ですから。でもひょっとしたら・・・」
 この女性・サバコさんはマッドサイエンティスト・・・ではなくて、立体オブジェを創っているアーティストであると判明した。つまりここは秘密基地ではなくて、芸術家のアトリエなのだ。なるほど。
 サバコさんによれば、このUFOは3年前から製作しているのだが、何しろ大がかりなのでまだ完成には至っていない。直径は8mもあり、骨組みは鉄製で外装はFRP(繊維強化プラスチック)である。完成までにはあと1年かかるという。船内には宇宙人のオブジェを置く予定なのだそうだ。





 しかしまぁ、どうしてこんなド田舎でアトリエを構えることになったのだろう。
「主人の実家がこの近くにあって、もともと大工さんの作業場だったところを安く買い取ることができたんです。私はずっと東京で編集の仕事をしていたの。雑誌のライターをしたり、単行本やマンガの編集をしたりしていたんです。でも編集者って裏方でしょう。それはそれでやりがいがあるんだけど、作家たちを相手にして仕事をしていると、だんだん『自分も表現したい』という願望が強くなっていったんです。で、アーティストになったわけ」
 アーティストになってからしばらくは東京で活動していたが、7年前から大分に拠点を移した。東京は刺激も多いしギャラリーもたくさんあるからアーティストとして活動するのには適した場所だが、アトリエを借りるとなると家賃だけでも大変な出費になる。
「それに田舎暮らしをしてみるのもいいかなぁと思っていたのよ。一生ここに住み続けるつもりは最初からなかったし。でも頭で思い描いていた田舎暮らしと現実とのギャップは大きくてね、慣れるまではすごく大変だった。九州っていってもここは山の中だから冬は寒いしね。このあたりは『耳はぎ場』って呼ばれるほど寒い風が吹く場所なの。ご覧の通りこの建物は開放的だから、風がビュービュー吹き込んでくるし。焚き火をするために薪を集めてきたりしてね。3年前までは携帯の電波も入らないようなところだったの。でもそのおかげでたくましくはなりました」



 僕は坂道をリキシャで走ってきたから体がぽかぽかしていたが、サバコさんは寒いのでダウンジャケットを着込んで、さらに猫を抱いている。猫はとても人懐っこくて、カメラを向けてまったく動じなかった。
「地元の人とコミュニケーションを取るのも大変だった。幸いにしてここは『よそ者は出てけ』というような排他的なところじゃないんだけど、でも私が何をしているのかはわかってもらえないのね。『アート』という概念が頭にないのよ。だから展覧会に出展するために作品をトラックに載せて運んで、展示が終わったんでそれをまたトラックで持って帰ってくると、『あらー、売れ残ったんね。気の毒に』なんて言われちゃう。『これは別に売りものじゃなくて、アート作品として作ったものですから』って言っても通じないの」



 文化がない、ということが最大のカルチャーショックだった。この村の人々は生活のために生きている。生活に必要なものを作り、生活に必要なものを買う。それ以外にすることはない。だからみんな似通った考え方になる。
「ここには本当に何もないから、作品づくりには没頭できます。でも2ヶ月とか3ヶ月のあいだモチベーションを維持するのが難しいの。孤独な作業だし、それが評価されるのかもわからないから。なるべく他人の評価は気にしないようにはしているけど。私の作品は自分の頭にある『宇宙』を具体的な形にしているので、それをわかってくれる人もいれば、わからない人もいる。それは仕方がないことなのね」
 サバコさんの創作の原点は、自身の空想上の星である「パジャマジャ星」とその住人たちを具現化することにある。代表作である三つ目の宇宙人「ポルチコポピリン」はアトリエの外にも飾られていた。カラフルでポップだけど、村の人がこれを見たら間違いなく困惑するだろう。
 強化プラスチックによるオブジェ作りは、まず粘土で型を作ることからはじめる。その粘土を元に石膏で鋳型を取り、そこにFRPの原液を流し込んで固める。この技法は独学で学んだ。誰かに教わると自分なりのやり方でものが作れなくなってしまうからだという。見た目は柔和そうなのだが、意志の強さというか譲れない頑固さを秘めた人なのだろう。



 アートとは「私はなにものであるのか?」という問いかけから始まるのだとしたら、この村の人々がアートを必要としていないことも理解できる。
 私は米を作り、大根を植える○○である。その揺るぎない日常、ソリッドな現実を生きる人にとって、アートはただの「ようわからんもの」になる。そんな意味不明な想像の産物なんて、なんの役に立たないし、お金にもならないじゃないか、と。

 そんな圧倒的な日常が支配する「どん詰まり」の村で、サバコさんは宇宙人やUFOといった非日常的なオブジェをせっせと作り続けている。その行為そのものがすでに「アート」であるようにも思う。
 やがてUFOは完成するだろう。
 空は飛ぶだろうか?
 うん、きっと飛ぶだろう。想像力の羽さえ広げれば。


 サバコさんのアトリエを離れてからが、実は本格的な山道の始まりだった。これまでの坂道はほんの序章にすぎなかったのだ。。
 ただの坂道ではなかった。完全なる「峠道」だった。とにかく角度が急なのだ。自動車でもローギアに入れないと上れないような坂。それを重量100キロのリキシャを引っ張って歩くのは、もう気が遠くなるほど大変だった。
 下半身に力を込めて、重心を低くして歩を進める。数メートル進んだだけで息が上がる。汗がしたたり落ちて目に入る。奥歯を食いしばって進む。でも上り坂はいっこうに終わらない。次のカーブを曲がっても、そのまた次を曲がっても、まだ上りが続く。永遠に続くかと思うほど。
 僕は「150歩作戦」を実践した。150歩進んだら少し休憩して呼吸を整える。そして次の150歩に向かう。歩数をカウントすることだけに集中して、余計なことを考えないためだ。

 峠道との悪戦苦闘は1時間半続いた。ようやく九六位峠(くろくいとうげ)の頂上を越えたときは全身の力が抜ける思いだった。ここから先は一気の下り道。空気はひんやりしていているので、大量にかいた汗もたちどころに引いていく。

 坂を下りきったところにある末広という集落で、ニンニク畑の手入れをしているご夫婦に出会った。僕が今しがた九六位峠を越えてきたと言うと、
「わけぇもんは無茶しよるなぁ」と笑われた。
 たいして若くもないし、無茶をするつもりなんて全然なかったのだが、道の選択を間違えた結果、不本意ながらこうなってしまったのだ。
 79才のご主人は専業農家一筋だが、息子たちは町に働きに出ていて畑仕事を手伝うことはほとんどない。このような規模の小さな農業を続けていくのは難しく、おそらくは自分の代で農家は終わってしまうだろう。
「でもこんな山ん中でもなぁ、住めば都いうて、ええところよ。ここは昔から水が美味しいところでな。山から流れてくる水は透き通っとるんよ」


【ニンニク畑にはニンニクのにおいが漂っていた】


 臼杵は港町である。集落もまばらな山を越えてくると、ずいぶん大きな町にも感じる。
 町をリキシャで走っていると、高校生や中学生からケータイのカメラを向けられた。
「どこから来たんですか?」と聞かれたので、
「今日は別府から」と答えると、
「べ、べ、別府? マジですか?」と言われてしまった。
 そう、その別府からだよ。距離的には51キロだから驚くほど遠いってほどじゃないけれど、山をいくつも越えるから心理的にはかなり遠くに感じる。
 いやー、それにしてもあの峠道は本当にきつかったな。


【臼杵の町の女子中学生。将来の夢は看護師になること】



【臼杵の町の女子高生。リキシャの派手さに写メ撮りまくりだった】

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本日の走行距離:51.8km (総計:516.6km)
本日の「5円タクシー」の収益:2203円 (総計:15535円)

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by butterfly-life | 2010-03-18 22:55 | リキシャで日本一周


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