佐伯市を出発して国道10号線を南西に進む。可能であれば今日中に大分県を抜けて宮崎県延岡市に入りたいが、60キロ以上もの道のりなのでちょっと厳しいかもしれない。
番匠川を渡って直見村に入る。だらだらと続く上り坂をリキシャを引っ張って歩く。国道10号線はJR日豊本線の線路と平行に走っているので、ときどき電車とすれ違う。とにかくトンネルの多い路線で、ガタンゴトンという列車の音は聞こえるものの、その姿はトンネルに隠れて見えないということがよくある。趣のある古いトンネル、渓流を渡る長い鉄橋など、鉄道ファンならずとも写真に収めたくなるようなロケーションが続く。しかし利用客も少ないローカル鉄道なので本数が少なく、なかなか姿を現さない電車を延々と待ち続けられるほど時間に余裕があるわけではないので、「撮り鉄」は諦めざるを得なかった。 ![]() 【JR日豊本線・直見駅は無人駅だ】 直川村は林業が盛んな村だ。山の斜面には背の高い杉の木が整然と並んでいる。伐採されて丸裸になった斜面もある。集落には丸太を加工する製材所も多い。これだけ杉が多いと花粉もたくさん飛散しているのだろう。白いマスクをしている人も多い。幸いにして僕はまだ花粉症ではないけれど。 切り出した丸太を作業車で運んでいるおじさんがいたので、話を聞かせてもらった。鉄山昌美さんは中学校を卒業してから林業一筋60年のベテランである。息子二人も森林組合で働いている。代々この森とともに暮らしてきた。 「今は重機の力を借りるから、林業も楽にはなった。でも木材の値段が安うてなぁ、厳しいんよ。1リューベ(立方メートル)あたり8000円ぐらいかのぉ。『直見の杉』っちゅうたら酒樽に使いよったんじゃけど、今はあまり需要がなくてな。昔は造船所の進水式なんかに酒樽を使ったけぇ、今じぶんはそれもせんようになった。この杉は質がようないから、家の壁板なんかに使うんじゃ。これはちょっと育ちすぎなんやな。年輪が細かく詰まっとる木がいい木なんじゃ。これは太っとるな」 ![]() ![]() ![]() 鉄山さんの右手の人差し指と中指は、第二関節から先がない。杉を切り倒していたときの事故で失ったという。何トンという重量を相手にするだけに、一瞬でも気を抜くと大怪我をする仕事でもある。 「木がどっちに倒れるか見極めんのが難しいんよ。それに木が倒れようときに、倒れる木に気を取られとると、根っこが地面から持ち上がってきて怪我するときがある。ほうやなぁ、最近問題なんはシカが増えすぎとることやのう。新しく植えた杉を根こそぎ食べてしまいよる。畑の方も荒らすようになってな。けどイノシシは数が減っとるんよ。あれは肉がおいしいけん、捕りすぎたんじゃな。シカには一頭1、2万ぐらいの報奨金が出るから漁師が撃ちにいきよるけど、それでもなかなか減らんのよ」 このあたりでは「イノシシ肉売ります」の看板を掲げた店を見かけることがある。イノシシ肉は鍋にすると美味しいらしい。シカの肉はまずくて誰も食べないのだそうだ。そういえば以前ラオスの山村で野生のシカの肉を食べたことがあったが、あまりうまいものではなかったという記憶がある。 輸入材に押されて、国内の林業は衰退の一途を辿っている。採算が合わずに放置されている山も多い。鉄山さんが切り出した丸太は50年前に植えられたものだが、そのときは木材の需要が大きく伸びている時期で、林業が儲かっていた。だからみんなこぞって杉を植えたのだけど、半世紀後には状況がまったく変わってしまったのだ。 ![]() 【猪肉の販売所。天然っていうのがいいですね。もし「養殖猪肉」ってのがあったら・・・それは豚ですよね】 日豊本線・直川駅を過ぎたあたりから勾配がきつくなり、上り坂を休み休み進まなければいけなくなった。牛歩戦術。今日はこの上りに強い向かい風が加わったので、かなりきつかった。高度が増すごとに風も強くなっていく。大原峠を登りきったときには、商店ののぼり旗がちぎれんばかりの強風が吹いていた。 峠にドライブインがあったので、そこで昼食を取ることにする。他には商店の類が一切ない山の中だけど、ドライブ客がそれなりにいるのか、3軒ほど食べ物屋が並んでいる。 うどん屋のご主人は僕のリキシャを見るなり「にがけぇな」と言った。 「にがけぇ?」僕が聞き返すと、 「にぎやかだなってことよ」と奥さんが説明してくれた。その通り、にぎやかさがウリの乗り物なんですよ。 このうどん屋さんで大分の郷土料理「だんご汁」を食べた。これはいわゆる団子が入っているのではなくて、味噌ベースの汁の中にすごく太いうどん状の麺とタケノコやシイタケなどの具材が入っているという料理だ。山梨の「ほうとう」に近い。 「ま、あんまりうまいもんでもないやろう?」 とご主人。そんな風に言われると、なんと答えていいのか困ってしまう。 「郷土料理っちゅうんはそんなもんよ。今はいろんなうまいもんがあるけん。でも戦後の食糧難の時代はこれがごちそうやったんよ。米がなくて、こんなだんごとか『すいとん』とかを食べとったんよ」 ![]() 【大分名物だんご汁】 ドライブインから先はずっと下りである。今までの苦労が嘘のように快調に進む。風も弱まったようだ。そばを流れる鐙川の水は透き通って青い。空はからっと晴れ上がり、気分の良いサイクリング日和だ。ずっとこんな調子で旅が進めばいいのになぁなんて思ったりもするのだが、もちろん「上り」があったからこその「下り」なのである。苦労があったからこその楽なのである。 大分県と宮崎県の県境を通過する。大分県には4日間しかいなかったが、なかなか密度の濃い旅ができた。さて宮崎県はどうなることか。 直川村に入ってからすぐに携帯の電波が届かなくなっていた。かれこれ30キロは「圏外」が続いた。今回の旅でナビとして使っている「iPhone」の地図機能は圏外だと使えないのだが、ひたすら一本道が続くだけなのでナビは必要なかったのである。 宮崎県の小学生はとても礼儀正しかった。自転車で下校する子供たちとすれ違うと、向こうから「こんにちわ!」と挨拶してくるのだ。小学生だけじゃなく、中学生も高校生もきちんと挨拶する。「挨拶教育」みたいなものが徹底されているのか、これが宮崎県の県民性なのか。いずれにしても気持ちのいい習慣であることは確かだ。 リキシャを見て、「カッコいいなぁ、カッコいいなぁ」と連発する子もいれば、「あの自転車アメリカから来たんや」と間違った解釈をする子、「頑張ってぇ」と手を振ってくれる子もいた。 本日は67.8kmを走破した。峠越えと向かい風の影響を考えると、今持てる力の100%近くを出したと思う。さすがに最後の10キロはヘロヘロになってしまったが、リキシャでの山越えに体が慣れつつあることを実感している。 *********************************************** 本日の走行距離:67.8km (総計:630.4km) 本日の「5円タクシー」の収益:10円 (総計:15545円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-03-20 22:26
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 ![]() 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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