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26日目:キャッチフレーズのない島でいいじゃないか(鹿児島県喜界島)
 喜界島に到着したのは午前5時40分。ほぼ定刻通りだったが、到着直前になって「海が荒れていてワンコウには接岸できませんので、ソーマチコウに到着します」という船内アナウンスが流れた。詳しいことはわからないが、どうやら予定とは違う場所におろされるらしい。
 後でわかったことだが、喜界島にはフェリーが接岸できる港がふたつあって、「湾港」と呼ばれる北側の港は島の中心街に隣接しているのだが、南側の「早町港」は中心から10キロほど離れているのである。



 周囲に商店も何もない場所に夜明け前に下ろされてしまったので、とりあえずフェリー会社の待合所で夜が明けるまで待機することにした。
「あんた寒いときに来たねぇ」と待合所のおじさんが言った。「おとといまではよー、温かくてTシャツ1枚で過ごせるぐらいだったんだけど、いやー今日は冬みたいに寒いわ」
 もちろん僕だって温かい南国の島旅を満喫したいと思って来たのだけど、お天道様は思い通りにはならないので仕方がない。ここのところ天気に見放されている日が続いていたから、まぁ雨が降っていないだけでもよしとしなければいけない。

 7時半に待合所が閉められたので、追い立てられるように出発する。とりあえず島の北端に向かい、そこから中心街である湾に向かうことにする。
 リキシャを漕ぎだしてから10分もしないうちに、建設事務所のおじさんに呼び止められた。5円タクシーっていうのはなんだか面白そうだから、うちの孫たちを乗せてやってくれないか、と頼まれたのだ。あい、ようござんすよ。リキシャに乗っておじさんの家まで行くことになった。


【サトウキビ畑に立つ栄さん】

 栄さんは建設会社の社長である。子供が7人いて、孫は25人以上(正確な数はよくわからん)いる。大家族である。建設業のかたわら農業もやっている。特産のサトウキビ作りと畜産。牛は50頭ほどいる。
 栄さんの奥さんが朝食にトーストを焼いてくれた。そこにバターを塗って黒糖ザラメをふりかけて食べる。バターにザラメなんていかにも太りそうだが、
「白砂糖は太るけど、黒糖は天然のアルカリ食品じゃから太らん」と栄さんは主張する。「わしのお腹が出てるんわ酒のせいよ。黒糖焼酎を毎日飲むよ。酒だけじゃなくてつまみも食べるからなぁ」
 この家では山羊も飼っているので、その肉もつまみにするそうだ。独特のクセがあるので子供たちには不評だが、山羊の肉は島の人にとっては懐かしい味、郷土の味のようだ。


【サトウキビの収穫機は巨大だ】


【サトウキビを囓るのは初めてだという】

 サトウキビがちょうど収穫の時期を迎えているというので、栄さんの畑に連れて行ってもらった。サトウキビは3月に植えて翌年の3月に収穫する「春植え」と、9月に植えて1年半後に収穫する「夏植え」の二種類があるという。今は「春植え」の収穫時期で、切り倒されたサトウキビが巨大な網に入れられて、製糖所に運ばれるのを待っていた。
 喜界島のサトウキビから作られた黒糖はとりわけ味がいいと評判なのだそうだ。喜界島はもともと珊瑚礁だった場所が約10万年前に隆起して生まれた。他の島よりも歴史が浅いぶん土壌に含まれるミネラル分が多く、それが農作物の味を良くするという。
「わしが子供やった頃は、お菓子なんてなかったから、いつもサトウキビを囓っとったんよ」
 栄さんはそう言って皮を剥いたサトウキビを囓る。一緒に連れてきた孫娘たちにもサトウキビを渡すが、二人は「こんなん食べたことなーい」と顔を見合わせている。
「今はチョコレートやケーキなんかがいろいろあるからな」と栄さんは苦笑いする。「でもこういうものを噛んでいたから、昔の人はみんなアゴが丈夫よ」
 サトウキビはかたくて筋張っているが、噛むと意外にジューシーだ。東南アジアではこのまま絞って氷とライムを入れて、とびっきりうまいサトウキビジュースを作る。暑い日には一日何杯も飲んだものである。






 島の北部で声を掛けてきたのは吉内さん。モスグリーンのつなぎを着て、エグザイル風の茶色いサングラスを掛けたいかつい格好だったので、最初は少し警戒していたのだが、話してみると実に気さくなおじさんだとわかった。
「この自転車バングラデシュから来たの? 僕はねぇ、若いころ船乗りしとったんよ。貨物とか石油タンカーとかの操舵をしとって、世界中いろんな国に行ったよ。南米、北欧、中東にも行った。いやーあの頃はほんとに楽しかったなぁ」
 昼食は吉内さんに誘われて、家でご馳走になった。
「まぁちょっと散らかってて悪いけど、気にせんといてくれな」
 と苦笑いする彼のあとについて入った家は、その言葉通りなかなかのものだった。コンクリート敷きの床に割れたガラスや耳かきやビールの空き缶や古新聞などが無造作に散らばっている。下着類はすべて部屋の真ん中につるしたロープに掛けてあって、それが汚れ物なのか洗濯したあとのものなのかはすぐには判別できない。ベッドの上の毛布は元の色がわからないほど汚れていて、その上に猫が二匹ちょこんと座っている。まるで山小屋にいるみたいなワイルドな暮らしぶりだ。
 この「山小屋」の隣には新しい家屋が建築中である。大工である吉内さんが一人で作っている。2年前から着工しているのだけど、他の仕事をやりながらだからなかなか進まない。今年中には何とか完成にこぎ着けるつもりだという。
「だから今は女房も子供も実家に返しとるんよ。ここに寝泊まりしてるんわ僕一人だけ。でも一人の方が気楽でええよ。猫もおるしね。ベッドに入ると、いつも猫が隣にやってくるよ。猫を抱いて寝ると温かくてね」





 吉内さんは大きな臼の上に置かれたガスコンロで昼食を作り始めた。キクラゲと野菜の炒め物、目玉焼き、それにご飯。味付けは塩と醤油だけのシンプルで豪快な男の料理である。でも材料が新鮮なのでとても美味しかった。キクラゲは今日山には入って取ってきたものだそうだ。野菜や米も自分で作ったものやもらい物ばかりで、その気になれば全然お金を使わないでも生活できるのが島の良さだという。
「僕はお金で失敗しとるんですよ。大失敗。昔は大工の棟梁をしとったんだけど、そのときにちょっと天狗になってしまってね。毎晩飲み歩いたりしているうちに借金が増えてしもうた。サラ金ですよ。多重債務者」
 借金がかさんだせいで畑も売り払うことになった吉内さんは鬱状態になり、一時は自殺まで考えたという。でもこのままでは子供たちに恥をかかせることになるという思いから立ち直り、何とか借金を返済して今に至っている。
「借金生活をしとった頃は目つきが怖かったって、周りの人も言いよったよ。そりゃそうなるよ。人を信じられんようになるから。でもいい経験だったよ。あれを乗り越えたから、今はすごく幸せに感じるんよ」
 目玉焼きをかすめ取ろうと顔を出した猫の首をつかんでひょいと放り投げながら、吉内さんはそんなことを語った。人間も動物。犬や猫と同じ。それが彼の信条だ。これからは大工のかたわら野菜を作ってのんびりと暮らしていくつもりだという。



「喜界島はえぇところよ。きれいな海があって山の緑がある。岩礁もすごく絵になるんよ。でもずっとこの島で暮らしよる人は、ここの良さがあんまりわからんのと違うかな。僕は若い頃に船乗りをして、大阪でも働いていたから、ようわかるんよ」
 山の恵みのキクラゲを食べながら、僕は少し懐かしいような気分に浸っていた。散らかり放題の家がなんだかとても居心地が良かったのだ。それはきっとこの家の様子がネパールの山村で泊まり歩いた農家にとてもよく似ていたからなのだと思う。汚れた毛布、ロープに掛けられた衣類、散らかった床、焼酎の匂い、犬猫と一緒の暮らし。アバウトだが温かい生活感がある。奄美群島とネパールはほぼ同じ緯度にあるから、国は違えども南国の気質というものは共通しているのだろうかと考えたりもした。



 あまり細かいことを気にせずに自分の好きなように暮らしている吉内さんは、自ら言うように周囲から「鼻つまみもの」なのかもしれない。確かに少々変わった人である。
「でも僕はごまをすってまで人に好かれようとは思わんのよ。嫌う人がいるのはしょうがない。島の人間は結束力は強いけど、そのぶん悪い噂は10倍になって伝わるからなぁ。でも中には僕を気に入って仕事をくれる人もおるし、それで暮らしていけるんよ。僕はねえ、自分が死んだ後に『あいつはいい奴だったな』って思ってもらえるように生きたいんよ」


【サトウキビ畑を貫くまっすぐな道】

 吉内さんと別れて、再びサトウキビ畑の道を走り出す。風の勢いは朝よりも強まっている。肌寒いどころではない。ウィンドブレーカーを着ていても寒い。サトウキビが風を受けて大きくしなっている。
 そんな中登場したのは町役場の広報担当の方。町の人の報告を受けて、さっそくリキシャを取材しに来られたという。宮崎でもそうだったが、地元メディアのフットワークの軽さには驚かされる。ただ単に暇なのかもしれないが、何か変わったことがあったら即行動する反応の早さには感心してしまう。
 いつものようにリキシャ旅のあらましを説明したあとで、僕の方から逆取材させてもらう。広報の植村さんはもともと東京の証券会社で働いていたという経歴の持ち主だった。島の方言も一切出さずに、完全に「都会の人間」として暮らしていた。でも証券会社で働いていると、お金にまつわる人間の表裏、汚い部分をイヤというほど見せられることになった。お得意先の老舗のお菓子屋さんが株に失敗して突然夜逃げをしたこともあった。そんなこんなで都会暮らしにも疲れ、故郷の喜界島に戻ることにした。
「最初の数年は都会が恋しくて仕方なかったですね。夜の街の賑わいとかが。田舎の濃密な人間関係も苦手でした。島の町役場の職員なんて暇そうに思えるんだけど、これが案外忙しくてですね。いろんな相談事を受けたり、地域の行事にも顔を出さなければいけなかったり。でも何年かするうちにそれにも慣れて、今ではすっかり島の人間ですよ」
 広報の仕事といっても、小さい島のことである。何か特別な事件が起こるわけでもない。老人クラブの運動会や、作文コンクールで入選した小学生の取材などがほとんどだ。でもそういう仕事もやってみると意外に楽しかった。



「喜界島の一番の問題はやっぱり人口減少でしょうね。これはどうしようもないです。大正時代には1万5000人以上いたらしいんですが、今は8100人。毎年減っています。公報の裏に「今月生まれた人」と「今月亡くなった人」の名前が一覧で載るんですけど、生まれるのは毎月5,6人で、亡くなるのは十数人ですから。学校も統廃合が決まっているんです。9つあった小学校が2つに、3つあった中学校はひとつになります。子供たちはスクールバスで通うことになるでしょうね」
 建設会社の栄さんも、廃校が決まった校舎をどう利用するのかが問題だと言っていた。そのまま放置しておくとすぐに幽霊屋敷のようになってしまう。家賃はタダでいいからどこかの企業を誘致したいが、こんな離島に来てくれる企業はなかなかいない。物流コストがかかりすぎるからだ。
「喜界島は農業の島です」と広報の植村さん。「サトウキビもそうだし、白ゴマの生産量も全国一なんです。喜界島で作った農産物は味がいいから、プロの料理人の間では名前が知られているんです。だからブランド力のあるものを作って売り出したい。でも島の土地は限られていますからね。全国的に売り出すにはあまりにも生産量が少ないという問題もあるんです」


【収穫したサトウキビをクレーンで積み込んで、製糖所に運ぶ】

 喜界島は観光化を諦めた島だという。海水浴に適した砂浜も少ないし、交通の便もインフラの整備も沖縄とは勝負にならない。無理に観光地化を進めて失敗した他の島の例も見てきた。だから農業の島で行くというのが町の方針だ。
「最近、役場の職員でこの島のキャッチフレーズを考えようとしたことがあったんです。でもなかなかいいものが思いつかなかった。海がきれいなのも、サトウキビ畑も、何もこの島だけのものじゃないですからね」
 キャッチフレーズのない島。それはそれでいいんじゃないかと部外者の僕は思う。無理に観光地や郷土品を作ってそれを売り込もうと悪戦苦闘している田舎町の姿は、心情としては理解できるものの、正直言って痛々しい。
 何もないのなら、潔く「何もない」でいい。どこまでもサトウキビ畑が広がり、美しい海に囲まれ、緩やかに時間が流れる島。それで十分じゃないかと思う。
 少なくとも僕は「何もない」この島のことが好きになったのだから。


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本日の走行距離:20.8km (総計:891.8km)
本日の「5円タクシー」の収益:60円 (総計:20035円)

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by butterfly-life | 2010-03-28 20:50 | リキシャで日本一周


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