朝3時半に起きた。フェリー会社に電話して、今日の奄美大島行きの船がどこの港から出るのかを確かめる必要があったからだ。
幸いにして風が収まり、海は荒れていないので、泊まっている宿にほど近い湾港から出るとのこと。もし昨日と同じように島の南側の早町港から出るとなれば、真夜中におよそ10キロの道のりをリキシャで走らなければいけないところだった。ほっと胸をなで下ろす。 フェリー「あまみ」の出港は5時すぎ。2時間足らずで奄美大島の名瀬港に到着する。 喜界島に比べると名瀬は都会である。コンビニもファミリーレストランも大型スーパーもある。離島とはいっても奄美大島はその名の通り日本で5番目に「大きな島」なのである。人口も多い。 その奄美大島でどういうルートを通って旅するのかはまったく決めていなかった。相変わらずの行き当たりばったりぶりには自分でも呆れてしまうのだが、島のことは島の人に聞けばいいと思っていたのだった。名瀬に着いてから数人の人に聞いたところ、どうやら島の南部は山が峻険でリキシャでは相当にタフな道のりになるらしい。 「今トンネルを掘っとるんよ。一番の難所にな。でも完成するのは5年後やから、また5年後においでや」 そう言われても困るのだが、とにかく名瀬の人の意見は「北部に行く方がいい」ということで一致していた。わかりました。それじゃ北に向かいましょう。 北部へ向かう道はアップダウンは多いものの、急な坂道はほとんどないので走りやすかった。この数日間不機嫌な表情を続けていた空も、ようやくぱっと明るくなって、初夏を思わせる陽気だ。空は青く、海も青く、山の緑も実に鮮やかだ。心地よい汗が噴き出す。久しぶりのリキシャ日和だった。 国道58号線を走っているときに、白塗りの配達車に乗ったおじさんから呼び止められた。あんたどこ行くの? 北部? トンネルがあるから気ぃつけてなー。これ飲んで頑張りなさいよ。 おじさんがくれたのは「平のみき」と書かれた紙パック飲料だった。「みき」というのは奄美で昔から飲まれている健康飲料で、原料は米とさつまいもと白糖である。 「まぁ甘いおかゆみたいなもんかねぇ。これは今朝作ったばっかりやから美味しいよ。2,3日おいたら酸味が出てきてまたうまい。昔はねぇこれをご飯代わりに飲んどったんよ」 さっそく飲んでみた「みき」は、確かに飲み物というよりは食べ物に近いもので、コーンポタージュスープ程度のドロドロ感がある。ほのかな甘みのあるおかゆと言ったらいいだろうか。消化には良さそうなので、島のお年寄りが好んで飲んでいるというのもわかる。 この「みき」配達おじさんはなかなかユニークな人で、いったん話し出すと止まらない。「みき」の話から始まって、「ユタ」と呼ばれる土着の神様の話、山奥にいると噂されている幻の猿の話、妖怪の話などなどを次から次に話してくれるのだった。沖縄や奄美などの島々には、神道や仏教やキリスト教が入る以前からのアミニズム的信仰がまだ残っている。急斜面の山と深い森を見ていると、その理由がなんとなくわかる。あの森は人が「敬って遠ざける」場所、神様の領域なのだ。 喜界島と同じように奄美大島もサトウキビ生産が盛んで、名産の黒糖を作る製糖工場が各地に点在している。その中のひとつ「水間黒糖」は今でも伝統的なやり方でサトウキビから黒糖を作っている工場である。 巨大なバットの中にサトウキビの絞り汁を入れ、その下で燃料を炊いて水分を蒸発させる。木のへらで2時間ほどかき混ぜると、どろどろに煮詰まってくる。それを攪拌機に入れ、容器の上で冷やすと、黒糖の出来上がりである。 今と昔で違うのは燃料に薪と重油を使っている点で、重油を使うと高温で燃えるので黒い煙が出ないのだそうだ。それにしても暑い水蒸気がもうもうと立ちこめる現場での仕事は過酷だ。 「そりゃそうよ。冬はいいけど、夏は大変よ」 と言うのは60年以上前から製糖工場で働いてきたという大ベテランの職人さん。昔は鹿児島にも出荷していたが、今は奄美だけで売っているのだそうだ。黒糖はあまり日持ちのしない食べ物である。湿気に弱く、奄美のように高温多湿の土地ではすぐにカビが生えてしまう。サトウキビ100%で保存料などは一切加えていないからだ。だから黒糖は作りたてが一番美味しいのだと毎週買いに来ている地元のおばあちゃんが教えてくれた。 インドやバングラデシュでもこれと同じ製法で粗糖を作っていた。機械化・自動化の進んだ日本で、このように「見てすぐにわかる」やり方を続けているのはすごいことである。最新式の工場には効率の点で負けるのかもしれないが、素朴な味わいの黒糖にはこのやり方が似合っている。作っている職人の汗が見えれば、味だって変わってくるはずだ。 【製糖工場で働くベテランの職人さん】 龍郷という町のそばで、トゥクトゥクとすれ違った。 なぜ奄美にトゥクトゥクが? その気持ちは相手も同じだったのだろう。僕らはお互いの三輪車を止めて、しばし「アジアの三輪車」談義に花を咲かせたのだった。 トゥクトゥクとはタイを走る三輪タクシーのことである。その昔、中古のミゼット(オート三輪)を日本から輸入して、そこに後部座席や幌を付け足してタクシーとして売り出したのが始まりだという。その独特のエンジン音から「トゥクトゥク」という愛称が自然発生的に付いたそうだ。今ではタイでもタクシーが普及していてトゥクトゥクの台数は減る一方だが、外国人のなかにはトゥクトゥクの派手な外観を愛するマニアも多くて、輸出もされている。日本には関東地域を中心に50台ほどが入っていると、代理店の社長に聞いたことがあった。 彼はこのトゥクトゥクを210万円で買ったそうだ。バンコクで買えば30万円ぐらいなのだが、輸送費、税関、車検登録、その他諸々の諸費用がかさんでそこまでになってしまった。 それにしてもなぜトゥクトゥクなんて買ったのだろう? 「奄美にも一台ぐらいトゥクトゥクがあっても面白いんやないかなと。それにこれを使って商売が出来んかなと思ってね。トゥクトゥクでホテルの送迎をやればお客さんには受けると思うけど、それは無許可でのタクシー営業になっちゃうからダメなんよ。だからこれに観光客を乗せてガイドをすることを考えとる。でもほんとは商売抜きにして、ただ単に俺が乗りたかったからなんだけど」 この人、トゥクトゥクに負けず劣らず派手な格好である。レインボーカラーのセーターに白いハンチング帽を被り、かっこよく髭を伸ばしている。マイク真木風のちょいワルオヤジだ。 「奄美ってトゥクトゥクとかリキシャが似合う土地だと思うよ。ペースがね、ゆっくりしとるから。これもメーターは140kmまでついてるけど、実際に出せるのは40kmぐらいだし、海岸線をのんびり走っていると気持ちがええのよ」 確かに奄美の青い海と強い日差しに、トゥクトゥクの原色のカラーリングはよくマッチしていた。赤を基調にした僕のリキシャと青を基調にしたトゥクトゥクが並び立つと、ここが一体どこの国なのかわからなくなる。 今日もリキシャは地元の人の声援と差し入れを原動力に走り続けた。ミカン、里芋、ドーナツ、そして黒糖、道行く人は気前よく地元の名産品を分けてくれた。 ばしゃ山村の近くに住む老夫婦からもらったのはサネン餅。餅米と紫イモをまぜたものに、サネンという植物の葉を巻いて蒸したチマキのようなものである。何かお祝い事があると作るもので、笹を巻いたチマキよりも葉っぱの匂いが濃厚だった。 笠利町の集落では喪服姿の人々に取り囲まれて、一緒に記念写真を撮った。これから94歳で亡くなったおばあさんの四十九日の法要を行うのだという。 「お坊さんが来るのを待っとったら、なんか派手な乗りもんがきよったから驚いたわ」 法要といっても、なにしろ94才の大往生だから皆さんとても明るい。奄美のお年寄りも長生きの人が多くて、100歳を超える人も何人もいるそうだ。 そんなことを話していると袈裟を着たお坊さんが登場。さっそく法要が始まるが、なぜか僕も引き留められ、縁側でお茶をご馳走になった。 「ここはえぇところよ。気候もあったかいし、海はきれいじゃし、果物はおいしいし。マンゴー、みかん、柿、なんでもおいしいよー」 島のおばあはにこやかに話す。僕は漬け物と黒糖をボリボリと囓りながら緑茶を飲み、おばあの話にそうですかと相づちを打つ。はす向かいの部屋ではお坊さんの読経が始まっている。あれ、俺は今何をしているんだろう、と我に返っておかしくなる。 漬け物も黒糖もうまかった。島の味がした。 今日泊まることになったのは、笠利町の海沿いにあるリゾートホテル「コーラルパームス」。広々としたツインルームから青い海と、手入れの行き届いた庭と、丸いプールが見渡せる。絵に描いたようなすてきなリゾートホテルである。もちろん値段だってそれなりに高いはず。節約型の旅を続けるリキシャ引きには明らかに分不相応なホテルである。こんなところにタダで泊めていただいたのは、支配人の斉藤さんと出会ったからだった。 斉藤さんは僕がリキシャを押しながらえっちらおっちら坂道を歩いているときに、車から降りてきて「あんたどこから来たの?」と声を掛けてくれたのだった。もし泊まるところが決まっていないんだったら、この先にうちのホテルがあるから泊まったらいいよ、と。従業員用の寮が空いているから、そこならタダで泊めてあげられるから。 そのお言葉に甘えて「コーラルパームス」に行ってみると、従業員用の寮ではなくて、宿泊客用のツインルームが用意されていてびっくりしたというわけだ。太っ腹な斉藤さん、どうもありがとうございます。 「何年か前に、自転車で日本一周をしている男をうちに泊めてあげたことがあったんだ。そうしたら居心地がいいって2ヶ月も居ついちゃってね。でも最終的には日本一周をやり遂げたんじゃないかな」 彼の気持ちはよくわかる。こんなところで数日を過ごしたら、ハードな旅に戻るのが億劫になってしまうに違いない。一日、もう一日と滞在が延びた結果、気がつくと2ヶ月が過ぎていた。浦島太郎みたいな話だ。 僕もそうならないように気をつけないといけない。 沖縄は目の前。まだまだアクセルを緩めるときではない。 *********************************************** 本日の走行距離:40.8km (総計:932.6km) 本日の「5円タクシー」の収益:130円 (総計:20165円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-03-30 08:06
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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