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29日目:ノロに会う(鹿児島県徳之島)
 朝5時に起きて名瀬のフェリー乗り場に向かう。徳之島に向かうフェリーは5時50分の定刻通りに出港。海はとても静かだ。
 9時10分に徳之島の亀徳港に到着。徳之島は奄美諸島のなかでも大きな島なので、一日でぐるりと一周するのは難しい。今日はもうひとつ港がある平土野に向かうことにする。

 天気予報では朝から晴れが続くはずだったが、午前中はずっとはっきりしない天気だった。時々ぱらぱらと雨が落ちてくる。やはり島の天気は予測が付かないようだ。
 南部の海沿いを走っているときに、花粉を避けて沖縄までやってきたというおじさんに出会った。毎年、杉花粉の飛散がひどくなる2月から3月を沖縄で過ごしているという。「避暑」ならぬ「避花粉」。よほどひどい花粉症なのだろう。確かに徳之島では白いマスクをしている人は見かけない。奄美より南には杉の木はなく、だから花粉の飛散もないのだ。
 その代わり、と言ってはなんだけど、どういうわけか徳之島では原付バイクに乗っている若者がみんな黒いマフラーやタオルで顔の下半分を覆っていた。それにヘルメットを被ってサングラスをかけていると過激派のデモ隊のように見えなくもない。こんなスタイルは他の地域では見られない。徳之島オリジナルの流行なのだろうか?


【徳之島ではジャガイモの収穫が最盛期を迎えていた】

 徳之島もサトウキビの栽培が盛んで、奄美諸島全体のサトウキビ生産量の6割以上を徳之島産が占めているそうだ。そのほかにはジャガイモ、里芋、カボチャなどの生産が盛んで、今はジャガイモが収穫期を迎えていた。今年はジャガイモの値段が高く、農家は例年の二倍の収入を得たとのこと。しかしサトウキビは去年の雨不足がたたって生産量が大きく落ち込んだそうだ。

 サトウキビと並ぶ徳之島の名物といえば闘牛である。島の中には何カ所もの屋外闘牛場があって、正月や盆のシーズンには熱戦が繰り広げられるという。
 国道沿いの看板にも「闘牛用黒牛の夕方トレーニング中に注意」「アマミのクロウサギの夜間飛び出しに注意」と書いてあった。他ではまず見ることのない看板である。もし散歩中の闘牛と車が衝突したら、運転手は何百万円もの賠償金を支払わされることになるという。横綱クラスの牛はとても高価なのだ。
 闘牛はもちろん賭博の対象である。競馬や競艇と違って公営ギャンブルではないから厳密に言えば違法なのだが、警察も見て見ぬふりをしている。島民が賭けの対象にしているのは闘牛だけでなく、プロ野球、高校野球、相撲などなど。選挙の結果まで賭けの対象になるというからよほどギャンブルが好きなのだろう。
 ゲーム機賭博も半ば公然の秘密として営業を続けているそうだ。とある町で「喫茶○○・カレー専門店・18歳未満の入店を禁ずる」という外部の人間には意味不明な看板を掲げた店を見かけたのだが、どうやらそれがゲーム機賭博を行っている店らしい。
「誰かからのタレコミがないかぎり、警察は何も言わんよ」
 と言うのは自身も数年前までゲーム機賭博を営業していたというYさん。
「あれは儲かったな。1日に20万円も入ってきたこともある。でも中学生だった息子が闘牛に金を賭けているのを知ってな。それでゲーム機はやめた。賭博場をやってる親が息子に闘牛をやめろとは言えんやろう」
 どういうわけか南国の人は博打が好きである。フィリピン人もサイコロ賭博、トランプ、闘鶏などなど、いたるところで賭け事をやっていた。地理的にも気候的にも、そして「気質」の面でも、どんどん「アジア」に近づいているという気がする。


【丸い柵が闘牛場】

 徳之島南部の伊仙町にある「魚勝」という鮮魚店で、とれたてのお刺身をご馳走になった。白いエプロン姿がよく似合うオヤジさんに「ここで休んでいけよ」と声を掛けてもらったのだ。
 いただいたのはマグロの若魚である「シビ」。さっき漁師が釣ってきたものを直接仕入れて、すぐに氷水でしめておいたものだ。こうすると身が柔らかいまま半日は鮮度が保てるという。これは今までに食べたどんなお刺身よりも新鮮で、思わず「うまい!」と口に出したくなる味だった。
「そうやろう? これは他では絶対に味わえんからねぇ」




【シビをさばく魚勝のおやじさん】

 島でしか味わえない贅沢な刺身に舌鼓を打っていると、近所の子供たちがリキシャの周りに群がり始めた。
「すごいねぇ」「乗りたーい」
 そう言われると5円タクシーが出動せねばならない。たちまち順番待ちの列ができるほどの人気になった。
 それにしても小さな集落のわりにやたらと子供が多いのには驚かされる。それもそのはずで、ここ伊仙町は日本でもっとも出生率が高い町なのだそうだ。1人の女性が生涯で生む子どもの数を示す合計特殊出生率が2.42。全国平均を1以上も上回っている。今でも3人4人の子供を持つのが当たり前で、5人きょうだいも珍しくないのだそうだ。
 お母さんたちに話を聞くと、「産んでからがラク」という言葉が返ってきた。3世代同居が当たり前だし、そうでなくてもご近所で子供の面倒を見ようという雰囲気があるから、安心して子供を遊ばせておけるのだそうだ。
 確かに歩道の上に座り込んで積み木をしている女の子たちを見ると、子供が育ちやすそうな場所なんだなと実感する。こういう「どこでもお遊戯」は都会はもちろん田舎でもなかなか目にすることができなくなった。危ないし汚いから外で遊びなさんな、というのが親の意向で、子供たちもニンテンドーDSや携帯電話に夢中なのだ。
 徳之島の子供たちは外を駆け回っている。サトウキビ畑のなかを走り、海辺で波と戯れる。それが子供本来の姿なのだと素直に思う。


【歩道の上で遊ぶ子供たち】

 お昼ご飯と100枚もの5円玉(たくさんの「ご縁」がありますように)をいただいた「魚勝」さんにお礼を言ってから再びリキシャにまたがる。10分ほど走ると、「泉重千代翁・自宅→」という標識が見えてきた。泉重千代さんは昭和54年に当時の長寿世界一に認定され(のちにフランス人女性にその記録は破られた)、120歳まで生きた人である。僕も子供の頃にその名前をニュースで耳にした記憶がある。徳之島一の有名人だ。
 伊仙町は長寿の町としても知られていて、泉重千代さんだけではなく、他にも116歳まで生きた本郷かまとさんもここの出身。現在も町内には100歳以上のお年寄りが18人も住んでいるそうだ。長寿と子宝に共に恵まれた島なのである。
 温暖な気候。健康的な食生活。起伏が多い島での適度な運動。長寿の秘密はいろいろと考えられるが、最も重要なのはのんびりとしたストレスの少ない暮らしぶりではないかと思う。

「この島が気に入って、今月移住してきたばかりなんです」というのは香川県出身の水泳インストラクターの女性。「すごく住みやすい島ですよ。よそから来た人間でも温かく迎えてくれるし、気候も暖かいし。思い切って移ってきて良かった。ここから私の第二の人生が始まったって感じです」
 彼女のようにこの島を気に入って外部から移住してきた人も少なくないようだ。僕だってもし余生を過ごすとしたら(というのは気が早いが)、こういう島がいいと思う。


【徳之島と言えば闘牛です】

 しかし実際には島の人口は減り続けている。現在の徳之島の人口は2万7000人だが、30年前に比べると1万人近く減少しているという。高校を出た若者は必ず一度は島の外に出る。行き先は大阪や東京が多い。専門学校や大学に行く者、親戚のつてを頼って就職する者。その中で島に戻ってくるのは一部の人だけだという。島にはこれといった産業がなく、戻ってきても就職口が限られているからだ。
 島はとても静かで居心地がいい。でもそれが若者の目に「退屈」と映るだろうことは僕にもよくわかる。18の頃をこの島で過ごしていたら、きっと刺激を求めて「早く外に出たい」と思ったはずだから。

 徳之島は奄美大島と同様に起伏の多い島で、平坦な場所がほとんどなく、常に坂道を上ったり下ったりしていたので、意外に疲れる旅になった。
 長いだらだら坂を上り、それから平土野の町まで一気に下りきったところで、おばさんに呼び止められた。
「あんた、昨日の新聞に出とった人だろう?」
 その通りです。おととい取材を受けた南海日日新聞に出ておりました。
「そうじゃろう。新聞を見たときにな、『この人に会うことになる』と神様が言ったんよ」
「神様ですか?」
 唐突である。戸惑う僕を無視して、彼女は続ける。
「あんた何年生まれね」
「寅年です」
「名前は?」
「三井昌志」
 すると彼女はカバンから塩の入った小さな透明の袋を取り出して、ふーふーと塩に息を吹きかけながら小声で何ごとか唱え始めた。
「・・・におられます神様・・・お願いしまする・・・の旅の無事・・・・・を守りたまえ・・・」
 きれぎれにしか聞き取れなかったが、どうやら僕の旅の無事を祈ってくださっているようだ。その祝詞が終わると、彼女は塩をつまんでリキシャの前輪に投げ、もうひとつまみを後輪に投げた。
「はい、手を出して」
 言われるままに右手を差し出す。彼女はそこに塩を一盛り載せる。
「舐めなさい」
 はい。もちろん塩辛かい。
「残りは頭に振りかけなさい」
 ぱらぱら。頭から肩に塩がかかる。
「はい、これであんたの旅はここの神様が守ってくれるよ。良かったねぇ」
 彼女はにっこりと笑った。このおばさんの正体は山田道子さん。沖永良部島に住むノロ(祝女)である。ノロとは地域の祭祀を取りしきる神官のような役割の女性で、昔は琉球の王族にまつりごとの助言を与えていたそうだ。ノロは世襲制で、山田さんは7代目。お母さんもおばあさんもノロであった。今ではノロに政治的な発言力はないが、地域住民の病気の治療やお祓い、相談事に乗ったりしているという。
「徳之島は神様の住む島だからね。バリ島もそうよ。このあいだ夢にバリ島の神様が出てきよったよ。あんたがこの神の島に来たのも、きっと何かのご縁やね」
「そう、縁ですね」
 僕はうなずいた。リキシャに「ご縁タクシー」という名前を付けたのはただの思いつきだったけれど、その名前の通りリキシャは「ご縁」を繋ぐ道具となっている。だから山田さんの神様が僕に出会うことを予言したというのも、さして不思議な話だとは思わない。そういうものなのだ。
 山田さんは「何か困ったことがあったら、これを舐めなさい」と言って、息を吹きかけた塩の袋をくれた。舐めたらどうなるんですか、なんてことは聞かなかった。



 平土野の町は寂れていた。奄美大島からのフェリーも寄港する町なのだが、商店も開いているのか閉まっているのかよくわからないところが多く、ビジネスホテルの看板を掲げた建物は壊している途中だった。町にただひとつの宿泊施設は小さな民宿で、ここも休んでいるように見えたのだが、隣の魚屋さんに聞くと「あぁやってるのよ」と鍵を開けてくれた。たまに泊まり客が来ると営業する民宿のようだ。素泊まり3500円。4000円だと聞いていたので4000円を渡すと、あとで「すいません、あれは朝食込みの料金でした」と言って500円のお釣りを持ってきてくれた。正直な宿である。

 夕食は平土野の港で知り合った福本さんと一緒に食堂で食べた。福本さんはリキシャに乗った僕を見かけるなり、上着からライカM6を取り出して「ちょっと撮ってもいいかな?」と聞いてきたのだ。カメラの構え方がレンジファインダーを使い慣れた人のそれで、とてもさまになっていた。
 福本さんは家具店とコンビニを経営しながら、趣味で写真を撮り続けている。土門拳のリアリズム写真にあこがれて、徳之島の人々の暮らしぶりを記録してきた。
「店をやってるといろんな人が来るのよ。何年か前にも自転車で日本一周している80歳のおじいちゃんが来たし、このあいだは歩いて日本を旅している人が店に入ってきたんよ。紙に短歌を書いて『これを1000円で買ってくれないか』って言ってきてねぇ。それがまた下手くそなんよ。でも買ってあげたよ」
 福本さんが写真を撮るのは、写真の出来云々よりも、カメラを向けることで人とコミュニケーションが生まれるのが楽しいからだという。
 福本さんが20年以上前に撮った徳之島の人々の姿は、まさにアジアだった。みんなで網を引く漁師たち、共同の水場で裸になって水を浴びる男、白装束で儀式に臨むノロ。今ではもう見ることのできない光景がそこに残されていた。


【愛用のライカをいつも携帯している福本さん】

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本日の走行距離:39.8km (総計:1010.8km)
本日の「5円タクシー」の収益:635円 (総計:21525円)

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by butterfly-life | 2010-04-01 08:11 | リキシャで日本一周


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