徳之島は今、普天間基地の移設候補地として名前が挙がったことで大きく揺れている。
長寿と子宝に恵まれた(逆に言えばそれぐらいしか誇るもののない)小さな島に米軍基地がやってくるかもしれない。当然、多くの住民が反対の声を上げた。僕が島に到着する前日には、平土野で大規模な反対集会が行われ、マスコミにも大きく取り上げられた。 【護岸ブロックに囲まれた船着き場】 米軍が使う滑走路は、今ある空港近くの土地を埋め立てて作る予定だという。その空港が眼下に見える小高い丘の上でサトウキビ畑の手入れをしている農家のおじさんがいた。 「こうやって雑草は早いうちに抜いとかんと、すぐに成長して種が散らばってしまう。ここの草は強いから、雑草だらけになってしまうんよ」 おじさんはクワでまだ小さな雑草を根ごと掘り起こした。 「去年は水不足でサトウキビはダメやったなぁ。川も涸れてしもうて、キビが成長できんかったんよ。おととしは豊作やったけど。さて今年はどうなるか。難しいねぇ」 おじさんは作業を一休みしてクワを置き、海の方に目をやる。透明な朝日を受けて波頭がきらきらと輝いている。美しい海だ。 「こんな静かな島に基地は合わん」とおじさんは言う。「徳之島には土地が余っていると言っとる人がいるみたいやけど、雑木林まで開墾してサトウキビ畑にしとるんよ。もっと土地が欲しいぐらいや。今は収穫したばかりやから空き地みたいに見えるかもしれんけど。空から見たらそう見えるんかなぁ」 テレビ局の撮影だろう。さっきから空港周辺を旋回しているヘリコプターを見上げて、おじさんは深いため息をつく。 「滑走路は海を埋め立てて作ると言っとる。でも軍人が住む家はどうする。サトウキビ畑が潰されるに決まっとる。一度決まったらもう終わりよ。この島は基地の島になってしまうよ」 【サトウキビ畑の手入れをする村田さん】 村田さんは中学を卒業してからすぐに島を出て、夜間高校に通いながら働いた。昔の農家にはきょうだい全員が高校に行けるだけのお金はなく、中学を出たら働くのが普通だった。神戸の鉄工所や大阪の中華料理屋で働いた。 「大阪を歩いとったら人に酔うんよ」 「人に酔う?」 「そう、目が回ってしまうんよ。島の人間は向こうからやって来る人の顔を見ながら歩くんよ。だから大阪でもつい人を見てしまうんやけど、尼崎や梅田にはたくさんの人がおるやろう。誰を見たらいいのかわからんようになる。そうすると気分が悪くなってくるんよ」 東京でも大阪でもそうだけど、都会に生まれた人間はいちいち人の顔なんて見ずに、人と人との隙間を歩く術を自然に身に着けている。そのとき街行く人は「顔を持った人間」ではなくて「顔を持たない障害物」になる。でも島ではすれ違う人は誰でも「顔を持った人間」なのだ。 「もちろん何年かしたら、それにも慣れたよ。人の顔を見んでも歩けるようになった。でも15年前に島に帰ってきたら、その癖も戻ってなぁ。このあいだ久しぶりに用事で大阪に行ったら、また人に酔ってしもうたわ」 村田さんは苦笑いする。都会人には苦もなくできることがなかなかできずに苦労した若い頃を思い出したのかもしれない。 「やまとんちゅう(本土の人)はよう働きよるなぁ。大阪の会社やったら二日も休んだら、三日目には『もう来んでもええよ』と言われる。しまんちゅう(島の人)はのんびりしとるよ。夏になったら誰も働かんよ。昼間は暑いから昼寝しとるよ。それでも暮らしていけるんやからなぁ。島に戻ってきたときも、しばらくは釣りばっかりしとったもんなぁ」 村田さんは麦わら帽子を脱いでタオルで汗をぬぐい、また被りなおしてからクワを手にした。 「うちの親ももう年やからなぁ。静かに余生を送らせてやりたいのよ。基地みたいなもんができたら、島が島でなくなってしまう」 【島で出会ったおじいさん】 村田さんのように米軍基地の移設に反対する声は、島民の大多数を占めている。当然である。この静かな島に基地は似合わない。それ以上の言葉はいらない。 しかし、今のところあまり表立って意見を表明してはいないが、移設に賛成している島民も間違いなく存在する。賛成の理由は「経済の活性化」である。基地がやってくれば、その建設費や国からの補償費が島に落ち、一定の雇用も確保される。一種の公共事業である。それが小さな島の経済に与えるインパクトは大きい。 「あんたもフェリーに乗って島に来たんだろう? あのフェリーに積むコンテナを見ればよくわかるよ。徳之島に入ってくるコンテナは食料品から日用雑貨や機械なんかがぎっしり詰まってる。でも徳之島から積み出される荷物はほとんどない。空っぽじゃ。売るもんが何もない。それがこの島の現実よ」 基地移設に賛成の立場を取るAさんもまた中学卒業後に都会へ出た一人だった。高度成長まっただ中の昭和40年代の東京には、中卒者にも求人がいくらでもあったのだ。一年会社勤めをした後、Aさんは競馬の騎手になる試験を受けた。体の小さい自分にはそれが向いていると思ったからだった。しかし試験に落ち、騎手になる道を断たれた後は、上野公園でホームレス生活を送るようになった。花見客が残していった弁当をあさる日々。どん底まで落ちて、食い逃げや恐喝まがいのことまでやった。 「警察のお世話にならんかったのは運が良かっただけよ。でも俺はゼロから始めたからな。何も怖いもんはないよ。去年も大腸がんになって手術したんやけど、なんも怖くないよ。人間は誰でもいつかは死ぬんだから」 様々な職を転々としながら東京から三重に流れ着いたAさんは、故郷と縁を切るつもりで島に戻った。しかしそのときに島の農業にチャンスがあることを知る。特産であるビワの栽培を始め、流通業者を通さずに直接デパートに商品を卸し、それが成功した。他のビワ業者からはビワの市価を下げた奴として白い目で見られたが、そう言っていた人たちはみんなビワの栽培を諦めてしまった。 「農業は面白いなぁ。自分が手塩にかけて作ったものをお客さんが選んで買ってくれる。それが嬉しいんよ。島の農家は自分に甘い。作物の出来が悪いのをすぐに天候のせいにする。作ったものを評価するのは農家ではない。買ってくれる人、消費者よ」 彼は島の農家のビジネスマインドの低さを嘆く。買い付けに訪れた都会の業者にいいように騙されだけで、消費者が何を求めているのかわかっていない。柑橘類のタンカンやビワなどの果物は、本当に美味しいものを作れば必ず「本物を欲しがる客」に高い値段で売れる。自分はそう信じてやってきた。 「サトウキビ栽培は盛んだけど、あれは補助金をもらうためにやってるんよ。サトウキビ1トンの市価は4000円。それを2万円で製糖業者に売っている。差し引きの1万6000円は国の税金よ。どう考えてもおかしいだろう。そういう生活保護を受けとるような農業は恥ずかしいと思わないといけない。島の人には危機感っちゅうもんがないのよ」 ものごとは見る角度によってまったく違って見えるものだ。しまんちゅうの美点である「人の良さ」は裏を返せば「騙されやすさ」になるし、「のんびり」は「怠惰」に、「陽気」は「不真面目」になる。若い頃都会でもまれてきたAさんから見れば、徳之島の「しまんちゅうマインド」は「外の世界の厳しさを知らない島国根性」になる。 「島でただぼーっと過ごしてるのは人生を無駄にしていると思うよ。何か目的があればいいけど、何にも考えんと曜日も関係なく自由気ままに生活して、それで死ぬときに満足して死ねるんだろうか。このままでは徳之島はじわじわと衰退していくだけよ。だから基地が来るんだったら、来たらいいよ。いい刺激になるよ。仕事も生まれるし、お金も回るようになる。半分眠ったような島の人間も、目が覚めるんと違うか」 【平土野港に落ちる夕日】 僕は(きっと自分自身がそうだからなのだと思うが)南国の気質、「しまんちゅうマインド」が好きである。革靴よりサンダル、スーツよりTシャツ、過労よりも昼寝を選ぶ人間である。「なんとかせねば」という危機感を持つよりも、「なんくるないさー」と考える人間である。 それではダメだ、もっと経済を活性化させるべきだ、そのために米軍基地が来たらいい、というAさんの意見には傾聴すべき点もある。怠惰な島民よ目を覚ませ、とお尻をたたきたくなる人の気持ちもわからなくはない。確かに島の人はのんびりしすぎているところがある。 でも、あえて個人的な意見を述べさせてもらうなら、「島がこのままでいて何が悪いのか」と思うのである。この国の中に、こんなふうにのんびりと暮らせる島があるということ、それ自体すばらしいことではないかと思う。街ゆく他人を「障害物」ではなく「顔を持った人」として見てしまう。そういう優しい気持ちを持った人が日本という国にもいる。そのことを誇りに思ってもいいのではないか。なにも日本人全員が冷徹なビジネスマインドを持ち、携帯電話片手に早足で歩き、高い生産性を誇る必要なんてないじゃないか。 この美しい島に基地はいらない。 それがリキシャで徳之島を一周した僕の結論だ。 *********************************************** 本日の走行距離:25.0km (総計:1035.8km) 本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:21525円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-04-02 12:59
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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