朝から気持ちよく晴れ上がり、気温がぐんぐんと上がる。日差しが痛い。アジアのそれである。
今日は沖永良部島北部をぐるっと回ってからフェリーで与論島に渡る予定。急がない旅の一日だ。 汗をかきながら坂道を上っていると、若い女の子二人がスポーツドリンクを差し入れてくれた。島の出身だが、高校を卒業してからずっと大阪で働いているという。大阪に住んで6年が経ち、言葉もすっかり大阪弁になったが、たまに島に戻ってくると島の良さを実感する。誰とでもすぐに仲良くなること、近所同士が助け合うことが当たり前だと思っていたが、都会はそうではなかった。 「大阪にはいろいろ遊ぶ場所はあるから、それはいいですね。島にはなんにもないですから。海で泳ぐこととお酒を飲むことぐらいしかないんとちゃうかなぁ」 中学生の時に初めてデートした相手のことがすぐに近所中に知れ渡ったのも恥ずかしかった。みんなが顔見知りだというのはプライバシーがないということ。悪いこともできないが、人知れず愛をはぐくむことも難しい。 【沖永良部島のちょっとやんちゃな高校生】 そういえば昨日島の南部を走っているときに、徳之島でも出会った男子高校生から「あ、また見た!」と声を掛けられた。どうやら同じ船に乗って沖永良部島に上陸していたらしい。彼の目的はガールハント。わざわざ別の島に彼女を見つけに来たらしい。それはご苦労なことです。 「で、見つかったの?」 「うん。ひとつしたの高一の子と昨日遊んだ」 ふーん、すごいんだねぇ。島の人によれば彼のような「島越えナンパ」をする強者は珍しいようだが(付き合うようになっても、会うためには船に2時間揺られなくてはいけない)、島の中で付き合うとすぐさま周知の事実になるわけで、それが面倒だと思う気持ちもあるのかもしれない。 【これがフェリー乗り場の乗船券売り場】 今日も風が強いので、フェリーの発着はサブ・ポートの伊延港からになった。伊延港はコンクリートの船付き場以外には何もなく、乗船券の販売も荷物コンテナの中の木机で行っていた。 殺風景な港は大勢の人でごった返していた。3月終わりから4月にかけては異動のシーズンなので、人の行き来が活発なようだ。制服を着た学生が「○○先生、沖永良部島にようこそ!」と書かれた白い横断幕を持って港に並んでいる。新任の先生を港で迎えるのがこの島の習わしのようだ。歓迎のセレモニーの後に挨拶と校歌斉唱。それが4校同時並行に行われるからまことに賑やかである。 フェリーは予定時刻よりも1時間半遅れの1時50分に出港。青い海を進む。フェリーに乗ると夜でも昼でもすぐに眠くなるのはなぜだろうか。心地よい揺れと騒音が眠りを誘うのか。しばしの昼寝の後に船は与論島に到着した。 与論島は周囲23キロの小さな島である。美しい海と白い砂浜を求めて観光客も訪れる。坂のない「平坦な島」だと聞いていたのだが、実際には島の中央は丘になっていて、リキシャで走るのは意外に大変だった。 観光の島ではあるけれど、ハイシーズンは夏の一時期だけなので、4月の島は閑散としている。農家のおじさんがサトウキビや稲を植えている。与論島も基本的には農業の島なのだ。 【子供たちと一緒に田植えをする家族】 温暖な気候と美しい海に惹かれて、この地に移住してきた人は多い。犬を連れて散歩していたデザイナー氏もそんな一人だ。彼が家族を連れて東京から与論島に移ってきたのは10年前。「マクドナルドと武富士がない場所」を求めてやってきたそうだ。幸いなことにこの10年の間に外食チェーンやサラ金業者は進出してこなかった。一度宅配ピザチェーンが店を構えたことがあったが、半年も経たないうちに撤退した。人口6000人の島ではマーケットも限られているし、もともと島には外食する文化がないという。 与論島独特の風習として知られているのが「与論献奉(よろんけんぽう)」と呼ばれる儀式である。これは客人をもてなすときに焼酎を回し飲みするもので、20度の焼酎をそのまま盃一杯分飲み干さなければいけない。運動部の新歓コンパもびっくりの無茶な飲み方である。 デザイナー氏も最初に島にやってきた頃には島に溶け込もうと「与論献奉」にも付き合っていたが、これではとても体が持たないと、今では全て断っているそうだ。 「宴会に招かれると、普通は空きっ腹で行くじゃないですか。でも島の人はたらふく食べてから来るんだよね。献奉はひたすら飲むだけのもの。そりゃこっちの人は酒に強いけどねぇ、あんなの続けてたら死んじゃうよ。実際、肝硬変も多いっていうしね」 放浪画家のセニョール富田さんも与論島に長期滞在している。もっとも彼の場合は、与論が特に気に入っているわけではなくて、数ヶ月あるいは数年おきに住む場所を変えないと生きていけない性分のようだ。 「動いてるのが好きなんだね。もう40年以上もこうやって暮らしてるよ。一番長く住んでいたのはスペインで14年いた。そのときは路上でアクセサリーなんかを売っていたんだよ」 根っからの自由人である。一度もネクタイを締めたことはなく、革靴を履いたこともない。お金がなくなるとその地で働き、まとまった金が貯まると旅に出る。去年はバイクで日本中を旅していた。東北では人力車を引いて旅をしてるカップルと、竹馬で旅をしている夫婦に出会った。世の中、いろんな旅をしている人がいるもんだ。まぁ僕が言うことじゃないけど。 「与論はきれいな島だけど、僕はちょっときれいすぎるね。やっぱり観光地だからねぇ、生活感がなくて面白くない」 彼はいま港の近くにアパートを借りて油絵を描いている。腐ったカボチャやカニの甲羅などの静物画。描いている対象も変わっている。それが終わったらまたどこか別の土地に移る。身軽な根無し草的暮らしだ。 「ずっと寅さんをやってるんだよ」 セニョール富田さんはそう言って笑った。 【放浪の画家・富田さん】 *********************************************** 本日の走行距離:20.4km (総計:1094.4km) 本日の「5円タクシー」の収益:35円 (総計:22070円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-04-04 16:16
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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