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37日目:昭和が残る町(沖縄県コザ)
 コザの町は「沖縄度」が高かった。内地ではまず見られないような濃い世界がまだそこかしこに残っているのだ。
 定食屋「松屋食堂」も実に沖縄らしい場所だ。チープなコンクリート造りの平屋の家。入り口は狭く、ぱっと見には食堂だとは思えない。一見さんが気楽に入れるような雰囲気ではないのだが、一歩中に足を踏み入れると、やたら明るくてよく笑う丸っこいおばちゃんが客を迎えてくれる。テーブルがひとつとカウンター席が三つだけの小さな店を君子ねぇねぇが一人で切り盛りしている。



 僕はコンさん夫妻と一緒に昼食を食べようとこの食堂に入ったのだが、ちょうどねぇねぇは仕出し弁当作りに追われていて大忙しだった。この時期の沖縄では「清明(シーミー)祭」という法事が行われている。親戚一同がお墓の前に集まって、お弁当を広げてご先祖と一緒に飲み食いをするものらしい。ねぇねぇは汗だくになって10人分のお弁当を作っている。鶏の唐揚げ、揚げ豆腐、豚の角煮、いなり寿司など。豪華だ。これをお重に詰めて1時までにお墓まで運ばなくてはいけない。てんてこ舞いの忙しさだが、料理を作る間もおしゃべりをやめることはない。
「重曹っていうのが何にでも使えるって聞いたもんで、さっそく買ってきたわけさぁ」
「豆腐っていうのはすぐに悪くなるから、扇風機で冷やさんといけないわけさぁ」
 なんて「ねぇねぇの豆知識」を披露しながらせっせと料理を続けていた。弁当作りの合間にも僕らの昼食(豆腐チャンプルー、豚肉と野菜炒め、焼きソーメン、沖縄そば)を出してくれたのだが、これは3人分どころがゆうに5人分を超える量があって、とても食べきれなかったので残りは持ち帰りにしてもらった。


【明るくてかわいい君子ねぇねぇ】


 松屋食堂のすぐ近くにある雑貨屋「平良商店」もどこか懐かしくアジア的な店である。店の外に生鮮食料品が並び、中には駄菓子やパンや缶詰、カップラーメン、日用雑貨などが所狭しと並ぶ「何でも屋」だ。
 主の平良おじぃは85歳だが、毎日店番から仕入れまでをほぼ一人でこなしている。しかも朝の8時から夜の11時までずっと店頭に立つ。沖縄でもコンビニの台頭で昔ながらの何でも屋は次々と閉店に追い込まれているが、ここはおじぃ一人のがんばりで店を続けている。
「ここだったら車に乗らんでも歩いて来られるから便利なんよ。体が動かん人、目が見えん人には配達もするし、店にないものはすぐに仕入れる。ツケもきくよ。だからお客さんは減ってないよ」



 おじぃがここに店を構えたのは60年前。アメリカ占領時代に米軍から払い下げられたタバコや石鹸などを売ることから始めた。米兵からチップとしてもらったタバコを売りに来る人も多かった。みんな貧しくて生きていくのが精一杯だった。
 父親の仕事の関係で子供の頃大阪で過ごした平良おじぃが敗戦直後の沖縄に戻ったのは、ラジオで沖縄玉砕のニュースを聞いたからだった。沖縄には親を失って孤児になった子供がおおぜいいるという。もしかしたら自分の親戚もそのような境遇にあるのではないかと故郷に戻る決意をした。
「60年前はこの辺にはなんにもなかったんよ。家も少なくて、店も全然なかった。みんな変わったさぁ。変わっとらんのはこの店だけよ」
 立ち話をしているあいだも、ひっきりなしにお客がやってくる。駄菓子を買いに来た小学生、シャーベットシェイクを買いに来た高校生、ビールとタバコを買ったおじさん。足を引きずっているおばあさんは「ガッチャマンはない? ガッチャマン」とおじぃに訊ね、おじぃはちゃんと「チャッカマン」を棚の奥から引っ張り出してきた。店には昭和の匂いが濃密に漂っていた。


【平良おじぃが今でも使っているそろばん】


 市長選挙が近いということで、コザの街は選挙熱を帯びていた。あちこちに候補者の名前を書いたポスターや旗が並んでいる。中でも目を引いたのは「エス真吉」と「キャン満」である。エス? キャン? 日本人の名前とは思えないユニークさ。沖縄的だ。
 ちなみに「エス」は「江洲」、「キャン」は「喜屋武」と漢字で書くそうだ。エス氏の場合はスーパーマン風の「S」マークを付けた選挙カーを走らせ、キャン氏のキャッチフレーズは「Yes, I can」であった。お互いに自分の名前を利用するのに熱心なようだった。



 犬を連れたおばあさんが公園のベンチで眠りこけ、昼間から泡盛をあおったおじさんが充血した目でこちらを見る。そんなとろりとした南国の空気が流れる街を散歩していると、いきなりポルノ映画館が現れたのでびっくりした。住宅街に似つかわしくない成人映画館。うらぶれた外観ではあるが、まだちゃんと現役で上映を続けているようだ。当日・オールナイトともに1000円なり。
 ちなみに今日上映するのは「OL破れたエロ下着」と「狂った夜の営み」だそうだ。直球勝負のタイトルである。DVDやネットが普及した現代にも、こういう日活ロマンポルノ風映画を見るファンというのはちゃんと存在するんですね。ふむふむ。

 後で聞いたところによると、このあたりはベトナム戦争当時、米軍兵士相手の歓楽街として大いに栄えていたらしい。バーや売春宿が建ち並び、これから戦地へと赴く兵士たちがこの世への別れとばかりに有り金を全部はたいて遊び回っていたらしい。おそらくこのポルノ映画館もそのときに作られたものだろう。戦争が終わり、街の「戦争特需」もしぼみ、以降コザは長期的な衰退の道を歩むことになる。

 現在、コザを含む沖縄市の失業率は14%で、これは沖縄県の平均11%を超える高さである。特に20代30代の失業率は40%にもなるという。信じられないような数字だ。だからハローワークには職を求める人が列をなしている。お世話になったコンさんも求職中の身なのでハローワークに行くことがあるのだが、受付が40人待ち50人待ちという状態が当たり前なのだそうだ。
 仕事が少なく給料も安いために、若者たちはみんな内地に向かう。コンさんの友達ヒデ君の場合は愛知県の自動車関係の部品工場で契約社員として働いていた。沖縄では月給12万円ぐらいだが、愛知では25万から30万円ももらえた。しかしリーマンショック以降の急速な景気後退に伴って、ヒデ君も契約を打ち切られてしまった。いわゆる「派遣切り」である。沖縄にはこうした派遣切りにあって、やむなく実家に戻ってきた若者が多い。
「給料は良かったけど、その分使うからそれほどお金は貯まらんかったよ。でもやめるときに月給と退職金みたいなものが70万ほどもらえたから、それでしばらくはのんびり暮らせるさぁ。実家にいたら金使わんしね」
 ヒデ君のように内地で働いて、ある程度の金が貯まったところで地元に戻り、ギアをローに入れてのんびり暮らすという人は多いようだ。沖縄の温暖な気候や何ごとにおいても「てーげー」な空気は、人をレイジーな気分にさせるのかもしれない。だから若年失業率が4割なんて暴動が起きそうな状態にあっても、街には緊迫感も悲壮感も漂っていないのである。
by butterfly-life | 2010-04-15 18:00 | リキシャで日本一周


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