朝、ホテルを出発して、串木野港で開かれている「まぐろフェスティバル」に行った。これは昔から遠洋マグロ漁船の基地として栄えていた串木野をより多くの人に知ってもらおうと、20年前から始まったお祭りである。最初はマグロを安く売るだけの物販イベントだったが、ゲストに鳥羽一郎(海の男だね)を呼んだり、ステージで伝統舞踊を踊ったりするようになった結果、今では2日間で10万人を集める一大イベントに成長した。
今年の「まぐろフェスティバル」の呼び物のひとつが「SASUKE」ショーである。「SASUKE」は一般人が高難度のフィールドアスレチックに挑戦するテレビ番組で、13年前から半年に一度のペースで放送されている。SASUKEはとにかくクリアするのが難しいことで知られていて、制限時間内に全てのステージをクリアする「完全制覇者」は過去に3人しかいない。そのうちの一人が串木野で漁師をしている長野誠さん。今日のショーには長野さんも参加されていたので、話を聞くことができた。 長野さんがSASUKEに出場するようになったのは、たまたま漁師仲間と一緒にテレビを見ていたときに「あれだったら長野さんもできるんじゃない?」と冗談半分で言われたのがきっかけだった。体操選手でもスタントマンでもなく、漁師というプロフィールも視聴者の心をつかみ、番組で活躍するようになると地元のヒーローとして鹿児島では広く人気を集めるようになった。今日のイベントでもサインや握手を求める人が後を絶たなかった。漁師町が生んだマッスルヒーローである。 「SASUKEをクリアするために一番必要なのはハートなんですよ。トレーニングをすればかなりのところまでは行けるけど、心が弱いと大事なところでミスをしてしまう。自分より前のチャレンジャーが次々に脱落していくのを見ると、『あそこは気をつけなきゃ』と余計なことを考えて、結果的になんでもないところでミスしたりする。ほんとに難しいんです」 ![]() 【SASUKEの長野誠さん。さわやかな海の男である】 会場では様々な特産品が売られていた。僕が昼食に食べたのは「まぐろラーメン」と「ぽんカレー」。どちらも地元の飲食店の人たちが知恵を絞って作り出したご当地メニューである。まぐろの刺身がふた切れ載った「まぐろラーメン」は、魚のくさみを消すためにスープに特別な工夫が凝らされている。「ぽんカレー」は特産のポンカンの果汁をカレーに混ぜたという一品で、後味がさっぱりとして美味しい。 こういう新メニューを食べるときにいつも感じるのは、日本人の食に対する探求心の強さである。意外なものの組み合わせから、独創的なメニューを作り出そうとする。たとえばインドやバングラデシュの食堂ではどこでもほぼ同じメニューで統一されていて、それぞれの店の個性なんてないのが実情だ。カレーに柑橘果汁を入れようなんて発想をした人はたぶんいないと思う。インドの外食産業はまだ「とにかく腹を満たせれば満足」というレベルにとどまっていて、オリジナルの味を探求しようとする人は少ないのだ。 ![]() 【農作業用の運搬車に乗るおじいさん。タマネギの収穫に向かう】 腹ごしらえをしてから国道3号線を北上する。今日は薩摩川内市を通って阿久根市まで行くのが目標だ。 薩摩川内市は比較的大きな町だが、国道沿いにある商店街は軒並みシャッターを下ろしている。ここも郊外化の波にはあらがえないようだ。洋服屋を営むイマイさんも今年限りで店を閉める予定だという。 「もうここらが限界でしょう。私も66ですからねぇ。あとは年金をもらいながらゆっくり暮らしますよ。心配なのは店をやめたら急に老け込むんじゃないかってことでね。うちの親父がそうでしたから。郊外のスーパーにお客を取られてしまうのは、世の中の流れとして仕方がないでしょうなぁ。資本力が違いすぎる。でもね、ほんとはコミュニケーションを取りながら商売する個人商店が残った方が町のためにはいいんです。こういうところで買い物をすることで、若いもんはルールやマナーを学んでいったんですから」 川内の町を北上しているときに、車から降りてきたおじさんが冷えたアクエリアス渡してくれた。おぉ、私の命の水! ありがたい! 「俺も昔、自転車で旅をしたことがあるんよ。あれは昭和41年、18のときやったかな。15で大阪に働きに出て、お金を貯めて自転車を買ったんよ。10段変速で当時3万8000円したな。すごい高級品よ。それで大阪から鹿児島まで12日で来たよ」 「12日ですか。速いですねぇ」 と僕は言った。リキシャでは到底不可能な速さだ。羨ましい。 「初日は200キロ走ったな。それからは150キロペースやったけどな」 ふーん、それを聞くと日本は案外狭いんだなぁという気もする。 おじさんの旅の思い出をもっと詳しく聞いてみたかったが、先を急いでいるらしく、「それじゃ頑張ってな」と言い残して、慌ただしく去っていった。 ![]() 【薩摩高城駅で見かけたお風呂に入る西郷さんの像。鹿児島県民は西郷さんをこよなく愛しているが、人形をお風呂に入れるのはやり過ぎのような気もする。ちょっとミャンマーっぽいセンスだ】 西方の海岸では、軽トラックに乗った漁師から声を掛けられた。 「これ、バングラデシュから持ってきたの?」と彼は言う。 「ええ、そうですよ」 「あのさ、俺バングラデシュに行きたいんだよな」 今までに遭遇したことのない珍しいリアクションだった。バングラに行きたい? なんでまた。 「あそこには世界で一番長い砂浜があるんでしょう?」 「コックスバザールね」 「そう。そこで波乗りがしたいんだよ」 彼はサーファーだったのである。確かにバングラデシュには全長100キロを超える砂浜がある。けれどサーフィン文化は皆無で、おそらくバングラ人は誰もやらないはずだ。サーファーというのは「いい波がある」と聞けばどこへでも行く種族なのだろう。バングラデシュだろうがスリランカだろうがパプアニューギニアだろうが。 ![]() 【面白いバス停名シリーズ「尻無(しりなし)」。第一弾のトトロケに匹敵するインパクトだ】 これはきっと偶然なのだろうが、西方からさらに北に進んだところで、「うちの娘がバングラデシュに興味を持っているので、ぜひ話をさせてもらえませんか」と話しかけられたのには驚いた。このあたりではバングラデシュがブームになっているのだろうか。事情はよくわからなかったが、お母さんがあまりにも熱心だったので、それではと娘さんと三人でしばらく話をすることになった。 高校2年生のさつきさんがバングラデシュに興味を持つようになったきっかけは、小学校の社会の授業で「どこかひとつの国を調べなさい」という自由課題が与えられたときに、たまたまバングラデシュを選んだことだった。それ以来、彼女の中に「バングラデシュ」という言葉の持つ響きがずっと残っていた。やがて彼女は将来途上国の開発援助をしたいと思うようになる。そのために大学で経済を学ぼうというところまでは決めた。バングラデシュで働くかどうかまではまだわからないが、近い将来必ず行ってみたいと思っている。まだ高校2年生なのにずいぶんはっきりとした将来像を持っていることに感心してしまった 僕はあくまでも一介の旅行者としてバングラデシュを訪れているだけなので、彼女にしてあげられるアドバイスは限られている。貧しい国であること。イスラム国なので女性がほとんど表に出ないこと。人懐っこくて好奇心の強い人々。そんなことを話した。 「大学生になったら行ってみたらいいよ。話に聞くのと現地に行くのとではまったく印象が違うから。自分の足で歩いて、それでもバングラデシュのことが好きだと思ったら、もっと深く関わったらいい。今急いで決めることはないよ」 ![]() 【海沿いの集落には猫が多い。青果店の店先にも置物のような猫がいた。招き猫か?】 阿久根市に到着したのは7時前。最後の10キロはかなりへばっていて、ノロノロとしか進めなかった。 泊まったのは阿久根駅のすぐ前にあるライダーハウス「あくねツーリングSTAYtion」というところ。中古の寝台列車「ブルートレインなは」の客室をそのまま宿に使っているというユニークな施設である。オープンは2009年1月とまだ新しいが、口コミで徐々にお客さんが増えているそうだ。 「引退したブルートレインに泊まれる」なんて話に飛びつくのは鉄道オタクばかりなのかと思いきや、泊まり客の大半はバイクや自転車で旅をしている人だという。鉄ちゃん(鉄道オタクのことね)は写真を撮るだけで帰っていくそうだ。鉄道模型マニアは普段は見られない車体の底の部分にもぐり込んで熱心に観察していく。マニアというのは不思議な人種ですね。 客室はベッドが二つ置かれたコンパートメントルームになっていて、一人ひとつずつの部屋が与えられる。一泊は1500円で、毛布とシーツはプラス600円である。簡易ベッドなので狭く、背の高い人間にはちょっと窮屈だ。シャワールームはないので、お風呂は近くの温泉に行くことになる。安いことは安いけれど、不便といえば不便だ。 そんなわけで、この宿に集まってくるのは少々不便でも安い方を望むライダー&チャリダー(自転車旅行者)たち。数日前もオランダ人のチャリダーが泊まりに来たそうだ。 ![]() ![]() 【外観も内装も現役当時のまま宿として使っている。窓の外の景色は動かないけれど】 夜はあり合わせの材料で作った鍋を囲みながら、みんなで酒を飲んだ。泊まり客とスタッフだけでなく、近所の居酒屋の主人や中学校の英語補助教員のアメリカ人など、雑多な人々が集まっての大宴会。夜が賑やかに更けるのがライダーハウス・ルールのようだ。 自転車で日本一周をしている箕野君は、この宿がすっかり気に入ってもう10日も泊まっているという。去年の9月に大阪を出てから野宿しながら南下を続け、冬は沖縄でアルバイトをしてお金を貯めて、春になってから再び北上を始めたそうだ。今年中には日本一周を達成するつもりだが、今のペースでは厳しいかもしれない。でも最近では急がずマイペースの旅を続けるのもいいかなと思うようになってきた。今まで見えていなかったものが見えるようになってきたからだ。 彼はギターを弾きながら「スタンドバイミー」を歌ってくれた。薪ストーブのある部屋と、壁一面に並べられた焼酎の酒瓶。若者の歌声と、おじさんのだみ声。いろんなものが混ざり合いながら、阿久根の夜は賑やかに更けていった。 *********************************************** 本日の走行距離:51.7km (総計:1496.9km) 本日の「5円タクシー」の収益:335円 (総計:24020円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-04-28 08:13
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 ![]() 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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