昨日に引き続き快晴の空のもと、リキシャ日和の一日がスタートした。
泊まっていたブルートレイン宿のそばで、「空を飛ぶおじさん」と話をした。と言っても別に危ない人ではなく、モーターパラグライダーを趣味にしているおじさんである。今から7年前、60歳の時にパラグライダーに出会ってから、空を飛ぶことに夢中になってしまったそうだ。 「最初に試乗したときに飛んだ瞬間が忘れられんのですわ。わずか1メートルぐらい浮いただけなんやけど、これが気持ちよくてねぇ。すっかりはまってしまったんです」 空を飛ぶときの気持ちよさを語るおじさんの表情は子供のように無邪気だ。しかし空を飛ぶスポーツには危険がつきもので、ついこの間も左手をプロペラに巻き込まれて大怪我を負ってしまったという。すぐに近くの病院で処置してもらったから壊死・切断の危機は免れたが、2週間の入院が必要だった。今も分厚く巻かれた包帯が痛々しい。 ![]() 【白い包帯が痛々しいパラグライダーおじさん】 「見舞いに来た息子に散々小言を言われてしもうた。いい年して何をやっているのかと。でもこれだけは誰に何を言われてもやめられんのです。左手が治ったらまた飛びますよ。今度はね、足に鯉のぼりをくくり付けて、こどもの日に飛ぼうと思ってるんです」 空を飛び回る鯉のぼり。すてきなアイデアだと思う。おじさんには去年のクリスマスに子供たちを喜ばせるためにサンタクロースの衣装を着て空を飛ぼうとしたのだが、強風が吹いたために断念したという苦い記憶がある。だからこどもの日までに何としても左手を治さなければいけないのだ。がんばれ。 ![]() 【出水の町に舞う鯉のぼり】 阿久根から海沿いの道を北上し、しばらく「肥薩おれんじ鉄道」というローカル線と並走する。この路線は列車の本数が極めて少ないようで、列車が走るのを見かけたのは30分に一度ぐらいだった。しかも1両編成。地方の鉄道はどこもそうだが、経営は厳しそうだった。 出水市に入り、海沿いの堤防の上を走ってみた。雲ひとつない青空と、遠浅の海が一望にできる気持ちのいい道だ。今は干潮らしく、砂浜にはズボンの裾をたくし上げて潮干狩りをする家族連れの姿が目立った。この時期はマテ貝がよく採れるという。 潮干狩り浜の隣には、長い竹竿が何百本も林立する不思議な光景が広がっていた。遠くの方で一人作業をしているウェットスーツ姿のおじさんがいたので、近づいて話を聞いてみた。 「こんにちは。何をしているんですか?」 「こがん・・・たい、・・・っととー、・・・もんで、・・・どんかん」 ど、どんかん? ちんぷんかんぷんだった。おじさんの言っていることの3割も聞き取れなかったのである。これはお国訛りのレベルを完全に超えている。ほとんど別の言語だ。はぁ、すごかねぇ。日本は広かぁ・・・。 おじさんは僕の言葉はちゃんと理解しているものの、口から出るのは「ネイティブの薩摩弁」の範囲から一歩も外に出ないガチガチの方言ばかりだった。もしテレビで放送するなら絶対に字幕が必要だ。 というわけで以後の会話は海苔漁師シマナカさんの薩摩弁を僕なりに意訳したものであり、実際の口調とはずいぶん違うことをご了承いただきたい。本格的な薩摩弁は僕ごときが文字に起こすのは不可能なのである。 ![]() 「ここでは海苔を作っとるんよ。この網はな、カモが海苔を食べよるんを防ぐもんよ。ほら、この近くには鶴が越冬に来よるやろう。鶴は天然記念物で保護されておるから、それにくっついてくるカモも増えてなぁ。こうして網を張らんといかんとよ」 ここ出水は日本の海苔生産地の中ではもっとも南に位置している。以前は鹿児島県内各地で海苔養殖が行われていたが、水質の悪化と温暖化の進行にともなって(海苔は水温が高いと成長できない)、今も養殖を続けているのはここだけになってしまったそうだ。 「出水浅草海苔っちゅう品種があるんやけど、これは28年間途絶えとったんよ。環境が変わったせいで作れんようになってしもた。わしらは何とかこの出水浅草を復活させようと何年も試しよったけど、ずっと失敗続きでなぁ。それが今年やっと成功したわけよ。嬉しかったなぁ。ほんとに嬉しかった。女房と二人で涙を流しよったもんなぁ。本物の浅草海苔っていうんは香りも味も全然違うとよ。火であぶると磯の香りがぷーんとしよる。口に入れたら甘いんよ」 今年の養殖が成功したのは、今までとやり方を変えて海苔の種を海底近くに沈めたのが功を奏しただろうとシマナカさんは分析する。 「まぁ結局まぐれが当たったんやろうなぁ。この仕事は自然が相手やから難しい。冬に長く雨が降ったら海苔は全滅してしまうし、カモに食べられてもダメになる。今はぬくいけど、冬場の海っちゅうのはほんとに寒いんよ。でも苦労した分、それが報われたときの嬉しさも格別よ。わしは10年間サラリーマンもしとったけどな、やっぱりハコの中の生活は性に合わんのやろうなぁ、また海苔作りに戻ってきたんよ。うまく行ったときの手応えが違うんやなぁ」 ![]() ![]() 竿を握りしめるシマナカさんの手は野球のグローブのように大きくごつごつしていた。毎日網を引く中で鍛えられ、分厚くなったのだろう。まさに働き者の手だ。その手を見ているだけで、なんだか少し胸が熱くなった。 「娘は4人、息子は1人おる。でも息子は海苔の仕事は継がんよ。このあたりでも若いもんは誰もやりたがらん仕事よ。きついからな。息子はいま眼鏡屋で働いとる。ああ、息子の手はわしみたいんじゃなかとよ」 シマナカさんは僕がリキシャで日本を縦断していると知ると、顔を思いっきり空に向けて笑った。 「ほんのか、よかなぁ。わかかときしかできんこっちゃもん。(本当にいいなぁ。若いときしかできないことだから)」 そう言って顔をくしゃくしゃにして笑うのだった。若いときに旅をしたら、きっといい年の取り方ができるはず。今の旅は将来のあんたにとってかけがえのない財産になる。シマナカさんはそう言ってくれた。 分厚い人だった。手だけでなく、人間そのものが分厚い。自分の仕事に自信と誇りを持っているからこそ、彼の言葉にはしっかりとした重みがあった。 シマナカさんと別れて国道3号線を走り続けた。出水市からの道のりはほぼ平坦なので、すいすいと走ることができた。やがて県境を越えて熊本県水俣市に入った。 鹿児島県にはずいぶん長い間いた。奄美諸島、桜島、硫黄島、そして薩摩地方。いくつもの出会いを繋ぐことができ、密度の濃い時間を過ごすことができた。その鹿児島とも今日でお別れかと思うと、少し寂しかった。 *********************************************** 本日の走行距離:43.1km (総計:1540.1km) 本日の「5円タクシー」の収益:80円 (総計:24100円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-04-29 08:54
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 ![]() 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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