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57日目:佐賀牛で昼食を(佐賀県基山町)
 久留米市を出発して、国道3号線を北上する。
 途中で横断歩道を渡るアジア系の若者を発見。声を掛けてみた。ポマードべたべたの髪の毛と、黒い革ジャン、おでこにつけた赤い印「ティカ」。たぶんネパール人だろうと思っていたら、やっぱりそうだった。
 シャビラル君は近くのインド料理屋で働く21歳の青年。日本に来てまだ1年だ。ブッダ生誕の地ルンビニー出身だという。福岡にはネパール人がたくさん働いているのだそうだ。
「あなた日本人? なぜリキシャ?」
 シャビラル君は終始不思議そうな顔をしていた。

 北に進むと、福岡県をいったん離れて佐賀県に入った。
 基山町では和牛農家の梁井さんに昼食をご馳走になった。肉厚の和牛と採れたてのアスパラガスを炭火で焼いたバーベキュー。お昼にこんなご馳走をいただいてもいいのだろうか。
「リキシャを漕ぐのは大変でしょうから、どんどん食べてくださいね」
 と勧められるままにお肉をパクつく。最近、遠慮というものをしなくなった自分が怖い。ゆず胡椒と塩だけのシンプルな味付けだが、それが肉の持つ旨みをより引き出している。うーん、うまい!



 梁井さんご夫婦は30年前から牛飼いを始めた。畜産農家だった奥さんの実家を継ぐかたちだった。現在、牛舎には50頭ほどの肉牛がいる。ここは他から子牛を買ってきて大きく育てる肥育専門の牧場だ。
 出荷する直前の牛は軽自動車並みの巨体だった。体重が800から900キロもあるという。インドやネパールで見慣れているガリガリに痩せた使役用の牛とは全然違う。
「一番気を遣うのは病気ですね。特に子牛は風邪にもよくかかるし、手間がかかります。人間の子育てと同じですよ」
 今、梁井さんたちがもっとも怖れているのが、今年4月から宮崎県で発生した「口蹄疫(こうていえき)」という伝染病だ。口蹄疫は牛や豚などの家畜に感染するウィルス性の病気で、根本的な治療法はないので、もし一頭でも感染した牛が見つかれば、その牧場の牛すべてを速やかに殺さなければいけなくなる。
 もちろん感染牛を出した農家にとっては大打撃だが、それ以上に恐ろしいのが風評被害だ。病気が広範囲に広まることによってマスコミが騒ぎ出すと、消費者の「牛は危ない」「牛は食べるな」というヒステリックな反応を引き起こしかねない。実際には口蹄疫は人には感染しないし、たとえ感染牛の肉を食べたとしても人体には影響がないのだが、そういう科学的見地からの意見よりも、「危ない」「危ない」と連呼するマスコミの方がはるかに強い影響力がある。
「狂牛病騒動のときは本当に大変だったんです。あれで何人の畜産農家が首をくくったことか。まったく牛が売れなくなったので、農家が育てられずに捨てた『捨て牛』が出たほどです」
 消費者の食の安全に対する過敏な反応は、僕の目にも異常に見える。被害者が誰もいないのに、賞味期限を書き換えただけで倒産寸前まで追い詰められる菓子メーカー。ほんのわずかな不具合が見つかっただけで、何百万個もの商品を一斉回収して廃棄処分にせざるを得ない食品会社。次々と報じられる食肉の感染症に右往左往する消費者。
「生産の現場と消費者との距離が離れすぎているのが、問題の根っこにあるんじゃないかと思います」と梁井さんは言う。「スーパーでパック入りの肉を買っている人は、農家がどんな風に牛を育てて、どんな思いで出荷しているのかなんてまったく知らないでしょう?」
 消費者として耳の痛い言葉だった。僕らもスーパーで買い物をするときに、生産者の立場まで想像して選ぶことはまずない。値段と生産地を記号的に見比べるだけだ。





「農家1戸あたり200頭の牛を飼え、というのが農水省の奨励する基準なんです。うちは50頭だから少なすぎるんですね。それなのにもっと牛を減らそうかとも思っている。うちは篤農家ではないんです。農が好きでたまらんというわけではない。朝の7時に起きるなんていうのは、専業農家ではあり得ないことなんです。みんな5時に起きて畑を見回っている。うちの牧場の別名は『マイペンライ牧場』っていうんです。タイ語で『気楽にいきましょう』みたいな意味の言葉でね。200頭の牛を世話して休む暇もなく働き続けるよりは、のんびりと人生を楽しみたいんです」
 がんばりすぎない農業。仕事をほどほどにやりながら人生を楽しむ生き方。梁井さん夫婦がそれを選ぶようになった理由のひとつが、奥さんのB型肝炎だった。
 ウィルス性の感染症であるB型肝炎は決定的な治療法がなく、慢性化して肝硬変、肝臓がんを引き起こす。梁井さんの場合は子供の頃に受けた集団予防接種で注射針を使い回したことから感染した。同じように予防接種でウィルスに感染した人は確認されているだけで全国に6万人、推計では120万人に達するという。梁井さんは2008年に始まったB型肝炎訴訟の原告の一人で、注射針使い回しの危険を知りながら放置していた国を相手に被害の補償を求める運動を続けている。
「B型肝炎の感染がわかったときは目の前が真っ暗になりました。でも肝炎がわかって、自分がいつかガンで死ぬと知ったときに、『この先の人生を精一杯楽しもう』という気持ちになったんです。もう嫌いな人とは付き合わないし、誰にでもいい顔はしない。自分のやりたいことをやる。そう思えるようになったんです。30歳の頃なんて、人生は限りなく続くものだと思っているじゃないですか。自分の死を意識することは少ない。でも本当はそうではないんですよね。人生は有限だと知ったときに、私の生き方は変わったんです」
 B型肝炎の発覚とともに、梁井さんの人生を変えたのはパソコンだった。インターネットが普及する以前「パソコン通信」と呼ばれていた時代からネットを使って遠く離れた人との交流を楽しんできた。ネットの世界に触れることで、農家の娘として土地に縛られているという重荷がなくなったという。
「佐賀の田舎で牛飼いをしていても、三井さんのように世界中を旅している人と知り合うことができる。ネットがなかったら、こんなことは絶対に起こらなかったですよね」



 暖かな日差しの中でお肉を食べながらいつまでも話していたい気分だったが、そうもしていられない。福岡市までの道のりはまだまだ遠い。梁井さんご夫妻に別れを告げて、先に進むことにした。
 福岡市周辺は大都会だった。マンション、商業ビル、工場が延々と続く。これまで旅してきた南九州や四国とは、街の広がりと厚みがまったく違う。停滞する九州経済の中で、福岡だけは唯一成長を続けているそうだが、それもよくわかる。

 太宰府市では駐車場でブラスバンドの練習をしている女子中学生たちに出会った。ホルンやトロンボーンを大音量で吹き鳴らしている女の子たちが、リキシャの登場に「うぁー、すげー」と集まってきた。
「これで日本を縦断しているんですか。スゲェー。触っとこう。なんか頭が良くなりそうじゃないっすか」
 そう言うと彼女たちはリキシャの幌や座席をべたべたと触り始めた。オー、そんなリアクションは初めてである。さすがは女子中学生、発想が柔軟だ。
 好きなだけお触りなさい。でもリキシャに頭を良くする効能は(たぶん)ありません。あしからず。


【やたら元気が良かった中学生たち】

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本日の走行距離:48.1km (総計:1792.2km)
本日の「5円タクシー」の収益:2010円 (総計:27180円)

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by butterfly-life | 2010-05-05 07:32 | リキシャで日本一周


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