岩国市の海岸線は化学系のプラントで埋め尽くされていた。日本製紙、三井化学、三菱レーヨンなどなど。銀色のタンクと高い煙突が続く工業地帯だ。
昔、三菱レーヨンで働いていたというおじさんが話しかけてきた。釣り人が着ていそうなジャケットに派手なキャップを被っている。しかし足取りは重たい。最近、脳梗塞で倒れたばかりで、後遺症が残っているのだという。 「もう3回目やからなぁ、脳梗塞やったのは。飲み屋を3軒はしごして、4軒目で倒れたらしい。気が付いたときにはもう病院のベッドの上やった。4日間意識が戻らんかったけど、まぁ何とか回復したけ、良かったけどな。もし健康じゃったら、わしもこなして旅がしたかったな・・・」 リキシャを漕いでいると「若いときしかできないことだから頑張りなさい」と言われることがよくある。確かに旅は体が資本だと思う。40になっても50になってももちろん旅はできるが、こういうギリギリまで肉体を酷使する旅は難しくなってくる。自分が「まだ若い」と思っていられるうちでないとできない。 大竹市から宮島までの海岸線は牡蠣の養殖が盛んだった。あちこちに牡蠣の加工工場があり、「生かき売ります」という看板を掲げた産直所があった。しかし残念なことに牡蠣のシーズンは冬なので、5月になると新鮮な牡蠣はほとんど出回っていないということだった。「焼きかき食べ放題」なんて魅力的だったんだけどなぁ。 ![]() 【牡蠣漁の後片付けをする漁師たち】 世界遺産・宮島の厳島神社をパスして、一路広島市を目指す。昨日の錦帯橋のようにふらっと寄れたら行ってみようかと思っていたのだが、宮島への連絡船乗り場周辺の「ザ・観光地」的な外観に圧倒されて、行く気を無くしてしまったのだ。地方の有名観光地はどこもそうだけど、センスの悪そうな土産物屋や、相場よりも相当高そうな郷土料理屋や、ソフトクリーム屋が軒の連ねる町並みが、僕はどうしても好きになれないのだ。 からっと晴れ上がった広島の街は美しかった。平和大通りの街路樹は目に痛いぐらいまぶしく、橋の上から眺める天満川沿いの町並みも整然としてきれいだった。街の主要道路はどれも幅が広く、交通量もほどほどなので走りやすい。全体的にゆったりと作られた街だ。 このような美しい街並みが徹底的な破壊と地獄絵図の上に築かれたという皮肉。それを感じさせるのが原爆ドームだ。テレビでは何十回、何百回と見ているが、実物を見るのは初めてだった。意外に小さいというのが第一印象。周囲を取り囲むビル群に見下ろされているような格好だ。それでも壁が崩れ鉄骨がむき出しになったドームには、過酷な歴史を感じさせる威厳と、周囲を圧倒する静謐さがあった。 ![]() 奇跡的に倒壊を免れたこの建物をそのまま保存するか否かで、当時議論があったらしい。悲惨な記憶を思い出させる建物を残すべきではないという意見もあったようだが、結果的に保存されることになって本当に良かったと思う。一瞬にして14万人の命を奪った悲惨な記憶、人類の犯した過ちを後世に伝えるために、原爆ドームという存在が果たす役割は大きい。 原爆ドームの前で、修学旅行生たちから写真を撮ってくれと頼まれた。写ルンですを手渡され、ドームの前で整列して記念撮影。シャッターを切るぐらいおやすいご用なのだが、原爆ドームを背にした高校生たちが笑顔でピースサインを作るのには呆れてしまった。「ピース」とはもちろん平和の意味だから、「平和記念公園」にふさわしいポーズと言えなくはない。でも彼女たちがそういう意味で「ピース」しているとは到底思えない。ただなんとなく観光バスで連れて来られて、どうやら有名な観光地らしいからとりあえずピースをして写真に収まっておこう。そういう考えの浅さが透けて見えるのである。 ![]() 原爆関係の資料と写真が展示してある「平和記念資料館」でも、修学旅行生たちの騒ぎっぷりはひどかった。 「これ、ヤバくねぇ」「うわ、気持ちわりぃ」 彼らの口から出てくるのは、そういう「借り物」の言葉ばかり。目の前の資料から65年前に現実に起こった悲劇を想像しようという姿勢はかけらも見られない。隣のドイツ人は明らかに迷惑そうな顔でキャーキャー騒ぎまくる高校生たちをぎっと睨みつけていた。同じ日本人として恥ずかしかった。 修学旅行先に広島を選んだ先生たちは、「こういう猿みたいにわーわー騒ぐ高校生たちだって、原爆ドームに連れて行けば何かを感じとってくれるのではないか」というポジティブな展望を抱いておられるのかもしれないが、彼らの言動を見る限り、それは無理な望みだと思う。一人一人の高校生に被爆地の現実を受け止める感受性がないとは思わないが、ああいう風に団体行動している限り、彼らは「ヤバくねぇ」「すごくねぇ」という言葉しか口にできない。みんなの前では決して「マジ」にはならずに、「バカ」を演じるようにマインドセットされてしまっているのだ。 だからもし資料館を見学させるのであれば、高校生たちをバラして、個人単位で資料に向かい合わせるしかない。そうすれば彼らだって自分の言葉で(あるいは言葉にならない言葉で)、目の前の現実に対峙しようとするだろう。 ![]() パキスタンやバングラデシュなどで地元の人と話しているときに、 「ヒロシマ、ナガサキは今どうなっているんだ?」 と聞かれることがよくある。イスラム圏でヒロシマ&ナガサキの知名度は極めて高いのは、原爆投下の事実が反米の旗印にもなっているからだ。「アメリカというのは一発の爆弾で10万人以上の市民を虐殺したひどい国なのだ」と教わってきたのだ。 だから「広島も長崎も、今はとても美しい街ですよ」と答えると彼らは若干うろたえることになる。「放射能汚染で人も住めなくなっている街」というイメージを持っている人も少なくないのだ。チェルノブイリ事故とごっちゃになっている部分もあるのだと思う。 広島の街は美しい。日本でももっとも美しい街のひとつだと思う。 しかしその美しさが原爆の悲惨な記憶を打ち消すことにはならない。むしろ整然としすぎた新しい街並みを通して、1945年8月6日に一瞬にして過去と分断された広島の悲惨を垣間見るような気がするのである。 *********************************************** 本日の走行距離:47.2km (総計:2137.6km) 本日の「5円タクシー」の収益:1070円 (総計:33585円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-05-12 20:43
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 ![]() 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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