因島の土生港からフェリーに乗って弓削島(ゆげしま)に渡る。対岸に島があったから、それじゃ渡ってみようかという例の行き当たりばったりの船旅である。
フェリーを降りると、誰かの見送りに来ているスーツ姿のおじさんたちに遭遇。その中に弓削島が属する上島町の町長さんがいた。せっかくだからと一緒に写真を撮ってもらった。硫黄島の元村長さんもそうだが、島の首長というは政治家っぽくない気さくな人のようだ。 ![]() 【上島町の気さくな町長さんとの記念写真】 町役場の広報の方もさっそく取材に来られた。町を挙げて歓迎していただいて(ってほどのことではないが)恐縮です。 「産業といえば漁業ぐらいなもので、これといって何があるわけではないんです」と広報の今井さんは言う。「名産品といえばレモン。でも農業も漁業も後継者がいなくて困っているんです」 島には弓削商船高専があって、以前はこの学校を出た若者が船乗りになって全国に散っていくというのがひとつの定番コースになっていたようだが、今は船員を目指す若者も少なくなっているという。 ![]() 弓削島で出会った有田おばあちゃんは、リキシャを見るなり畑仕事の手を止めて、エプロンのポケットから携帯電話を取りだした。リキシャの写真を撮ろうというのである。しかし普段はカメラ機能を使っていないのか、撮り方がよくわからない様子。 「一番下のボタンやと思うけど、違う?」 結局、僕が写真を撮ってあげることになった。 「私は昔から機械が苦手でよう触らんのです。携帯だけはなんかあったときのために持ってるけど」 ![]() ちょうど畑仕事が一段落したから一緒にお茶でも飲みませんかと誘われたので、近くのおうちにお邪魔することになった。 有田さんはご主人に先立たれたので、今は一人で暮らしている。もともとは兵庫県姫路の生まれで、獣医だったご主人と見合い結婚をして、この島にやってきた。終戦後間もない頃で、どの家もとても貧しく、嫁入り道具として持ってきた着物を闇市で売ってお米を手に入れるような生活が続いた。 「この島にお嫁に来るまでは、草一本取ったことなかったんですよ。洋裁の学校へ行っていたから針仕事はできるけど、畑仕事は全然できんかったんです。だから最初はもう大変でしたよ。どんなに頑張っても他の人がする仕事の3分の1もできないの。仕事が遅いって怒られて、毎日泣いて暮らしてましたよ」 しかしそうやって泣いて覚えた百姓仕事が、今では有田さんの生き甲斐になっている。今日も収穫したばかりのグリーンピースの皮を剥き、豆ご飯を炊いてご近所に配るつもりだという。 「こうやって畑で取れたもんをみんなに送るんが楽しみなのよ。ミカンとかキャベツとかタマネギとか、いろんなものを段ボールに詰めて親戚とか友達に送ってやるんです。段ボールに50個も送るんですよ」 「50個! それは大変ですね」 「そうですよ。送り賃だってかかりますしね。でも届いた先からお礼の電話がかかってきたり、お返しが送られてきたりするのが嬉しいの。それだけが私の楽しみ」 おばあちゃんはグリーンピースの皮を剥く作業をやめて、手元をじっと見つめながら言った。 「今年同級生が4人亡くなったんですよ。次は自分の番か思って、身辺整理をして、いらんもんは捨ててるんです。一日の締めくくりに必ず堤防に出て、夕日に向かって手を合わせるんですよ。今日も一日ありがとうございましたって。それだけが私の日課。自分が今日一日幸せだったことに感謝して、自分の子や孫の健康を願うの」 ![]() おばあちゃんは別れ際にミカンをたくさんもたせてくれた。新生柑、安政柑、はっさく、甘夏。いろんな種類のミカンを袋にぎっしり詰めてくれた。 「あんたも健康で頑張りなさい。日本縦断してらっしゃい」 「ありがとうございます。お元気で」 離島の集落にはあまり似つかわしくない上品なおばあさんだった。出身が姫路ということもあるのだろう。慣れない田舎暮らしに苦労を重ねてきたことが言葉の端々からうかがえた。 有田おばあちゃんの人となりや暮らしぶりは、映画「魔女の宅急便」に出てくるおばあちゃんを思い出させた。孫のパーティーのためにニシンのパイを焼いて主人公のキキに届けてもらう、あのおばあちゃんである。上品で世話好きで、でもちょっと寂しげな雰囲気も漂わせている。映画では、おばあちゃんが焼いたニシンのパイは孫娘に「これ嫌いなのよね」と不機嫌な顔で受け取られてしまう。切ないエピソードだった。 有田さんのような世話好きのおばあちゃんはきっと日本中にたくさんいることだろう。毎日せっせと畑仕事をし、その収穫を都会にいる子や孫に送り、一日の終わりに夕日に向かって手を合わせる。そういう田舎のおばあちゃんに対して、ちゃんと感謝の気持ちを伝えてきただろうか。そう問いかけてみて、素直にイエスと言えない自分がいた。 上弓削港からフェリーに乗って再び因島に戻る。因島側の港には一隻の船が停泊していた。船腹に赤いペンキがぶちまけられたような跡が残っている。 「あれが例の事件でやられた捕鯨船や」とフェリーの船員が言う。 「例の事件?」 「シーシェパード。ほら、日本の調査捕鯨に抗議して逮捕された船長」 その事件なら一時期頻繁に報道されたので知っている。確か逮捕された船長は裁判にかけられているはずだ。そのシーシェパードの標的にされた捕鯨船は、いま保守点検のためにこのドックに入っているという。 ![]() 因島東部の海沿いの道・県道366号はとんでもない峠道だった。峻険な山が海辺にまでせり出しているので、道路が山を越えるかたちで作られているのだ。そんな道とはつゆ知らず、ノコノコと入り込んでしまった無謀さをさっそく後悔することになった。リキシャがもっとも苦手とするきつい角度の上り坂が延々と続く。一気に全身から噴き出した汗がぽたぽたと落ちて、アスファルトに黒いしみを作る。右手をサドルにかけ、左手でハンドルを握っているので、汗をぬぐうこともできない。一歩一歩じりじりと進んでいくしかない。 途中でタケノコ掘りに来ているおじさんに出会う。このあたりではイノシシがタケノコを食べてしまうので、いま罠を仕掛けているところだという。 「この先はきついぞ。まだほんの序の口や」 あまり耳に入れたくないインフォメーションをいただく。 「そ、そうですかぁ」 息を切らせながら僕は言う。 「あんた、こんな道やと知ってて来たんか?」 そんなわけないじゃないですか。もし事前にわかっていたら、間違いなく迂回して島の西部を通っていましたよ。無知ゆえの苦役なのですよ、これは。 そんな風にしてきつい上り坂の休み休みのぼること40分、ようやく頂にたどり着いた。視界がぱっと開けて海が見下ろせる。苦労してのぼった甲斐のある絶景だ。正面の海にお椀を伏せたようなかたちの無人島がぽつんと浮かんでいる。百貫島だ。その昔、銭百貫で売買されたのが名前の由来だとか。大きな亀が日向ぼっこをしているようにも見える。 頂上からは一気の下り。しかし下り道の傾斜も当然すさまじい急角度なので、ブレーキを握りしめながらそろそろと降りないといけなかった。「下りボーナス」の効果も薄し。その後も上っては下り、また上っては下りの連続で激しく消耗した。まったくもう。 ![]() 【因島東部の峠道から見える風景。遠くに浮かぶのが百貫島だ】 因島大橋を渡って向島へ。向島から小型フェリーで尾道に渡る。人と自転車だけを運ぶ小さな渡し船だ。料金係のおばさんが「写真撮ってもええ?」とポーチから写ルンですを出してリキシャに向けた。どうぞどうぞ。同乗した下校途中の女子高生三人組が、リキシャとそれを写すおばさんとを面白そうに見比べている。5分ほどで対岸の尾道に到着。おばさんは「がんばりんしゃい!」と手を振ってくれた。はい、がんばりまっす! 尾道は素敵な町だったが、ほとんど素通りで福山に向かうことにする。尾道は去年訪れていたからだ。 新婚旅行だった。趣のある料理旅館に泊まって、海の幸をたっぷり食べた。渋い選択だと思う。もちろん僕のアイデアではない。妻が言い出したのである。彼女は大林宣彦監督のファンで、特に「ふたり」という映画が好きで繰り返し何度も見ている。そのロケ地を訪ねたいというので、尾道にやってきたのだ。 尾道に滞在した二日間、ずっと雨が降っていた。傘を差しても足がずぶ濡れになるほどの激しい雨の中を、二人してロケ地巡りをした。尾道は坂の町だった。急な坂道にしがみつくように住宅が続いている。路地は複雑に入り組み、簡単に迷ってしまう。僕らは駅でもらったロケ地マップを持って歩き回ったのだが、このマップが不親切きわまりない代物で、なかなか目的の場所に辿り着けないのだった。「尾道で町迷いを楽しんでもらうため、わざと地図を曖昧にしたのです」とはこの地図を監修した大林監督の言葉だが、それにしてもやり過ぎだと思う。 雨と坂と猫とお墓が多い町。それが僕らにとっての尾道だった。雨に濡れながら歩いても楽しい町というのはあまり多くないと思うが、尾道はそんな町のひとつだった。 ![]() 尾道から福山まではほぼ平坦な道のりで走りやすかった。 夕方だったので下校途中の中高生とよくすれ違った。リキシャに対する高校生たちの反応は様々だった。けげんな顔で見送る子、「がんばってぇ」と声を掛けてくれる子、マンガみたいに口を思いっきり開けて「ンガァ」という表情でこっちを見る子などなど。広島の高校生は表情が豊かでいい。 ちょっとやんちゃそうな男子高校生二人組が猛ダッシュでリキシャを追いかけてきた。 「写メらせて!」 と息を切らせながら携帯を取り出す。「写メる」。ほー、そんな動詞があるんだ、と感心する。二人はリキシャの座席に座ってお互いを写メりあった。 「俺らマジでラッキーやね。こんなんに乗れるなんて、自慢できるぞ」 ええ、とてもラッキーですよ。大いに自慢してちょうだいね。 ![]() 東尾道の近くでは3人の男の子が「5円タクシー」の乗客になった。二人は顔がそっくりで、もう一人も似ている。 「もしかして三つ子ですか?」 「ええ、そうなんです」と3人の父親である倉本さんが言う。 おお、三つ子をリキシャに乗せるなんて初めてである。アメージング! 二卵性の双子として受精した卵子の一方が二つに分割した結果、「二卵性+一卵性」というややこしい三つ子ちゃんが誕生したという。 倉本さん夫婦にとって初めての子供がいきなり三つ子の男の子だったわけで、子育ての苦労は並大抵のことではないと思う。わんぱくな三人が同時に別のことを始めると、収拾が付かなくなってしまうのではないだろうか。 実際、リキシャに興味津々の三人は、ベルを鳴らしてみたり、ハンドルの飾りをいじってみたり、ペダルを回してみたりと大騒ぎだった。 「うわー、鯉のぼりみたい!」 という感想を漏らす子もいた。なるほど、そう言われてみればリキシャの派手さは鯉のぼりと共通するところがあるよね。 ![]() 【好奇心いっぱいの三つ子ちゃんたち】 *********************************************** 本日の走行距離:56.8km (総計:2330.9km) 本日の「5円タクシー」の収益:310円 (総計:36110円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-05-23 13:49
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 ![]() 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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