「私が元祖リキシャワラです」
と溝上先生は言った。いただいた名刺には「大阪外国語大学名誉教授」とある。大変立派な肩書きである。もちろんインドにもバングラデシュにもこれほど立派な肩書きを持つリキシャワラ(リキシャを引く車夫)はいない。 溝上先生がインドからリキシャを輸入したのは1982年のこと。留学先のデリーでリキシャを気に入り、手間とお金をかけて西宮まで持ち帰ったのだ。購入に900ルピー、デリーからボンベイまで運ぶのに5000円、日本までの船賃が10万円、神戸の税関費用が5000円。30年前の物価水準を考慮に入れると、今の2~30万円もの費用をかけたことになる。 そうやって持ち帰ったリキシャに子供たちを乗せて、元祖リキシャワラは休日の河原を走った。もちろん子供たちは大喜びだった。軽量化のために幌や余分な装飾を外してしまったので、リキシャ自体はあまり目立つ代物ではなかったようだが、それでも三輪自転車タクシーなんて日本にはほとんどなかったのでおおいに人目を引いたようだ。ちょうど公害や交通事故が大きな社会問題になっていた頃だったので、今風に言えば「エコな乗り物」としてリキシャを取り上げた新聞もあったという。 ところがそのリキシャも数年後には処分されることになる。最初はリキシャに乗るのを楽しみにしていた子供たちも、成長するにつれて「恥ずかしい」と敬遠するようになり、倉庫にしまわれていたリキシャを何年かぶりに引っ張り出したときには錆だらけでとても乗れる状態ではなくなっていた。泣く泣く粗大ゴミに出さざるを得なかったのだ。 「動かないリキシャというのはただの鉄クズですからね。しかしあれは断腸の思いでしたよ」 僕のリキシャにまたがる溝上先生は、まるで子供のようにはしゃいでいた。リキシャを漕ぐのは20数年ぶりということで、最初はハンドルとペダルの重さに苦戦している様子だったが、しばらく経つとスムーズに走り回っておられた。さすがは元祖リキシャワラ。昔取った杵柄である。 ![]() 【20数年ぶりのリキシャとの再会にご満悦の溝上先生】 溝上先生を後部座席に乗せて、芦屋川沿いを下った。高級住宅地の一角に知り合いのインド人が住んでいるから、今からリキシャを持って行って驚かせてやりましょう、という溝上先生のいたずら心である。玄関先に出てきたインド人プリーティさんは我々の期待通りのリアクションを見せた。一体どうして日本にリキシャがあるの。事情がよく飲み込めないまま目を白黒させていた。 プリーティさんはIT技術者の夫と共に2年前に来日した。芦屋川沿いの瀟洒な一軒家を借りていることからも、かなりの上流階級に属するインド人であることが伺えるのだが、プリーティさんは取り澄ましたところのない気さくな女性だった。 「プリーティさんはとても歌が上手いんですよ」と溝上先生は言う。「プロ級と言ってもいい。ただの主婦にしておくのはもったいないぐらいです。だから来月彼女のコンサートを開くことにしたんです」 「コンサートですか?」 いくら歌が上手いといっても、まったく無名のインド人主婦がソロコンサートを開くなんて前代未聞である。しかも一人で2時間も歌い続けるという。大丈夫なのだろうか? しかし僕の疑いはプリーティさんの歌声を聞いた瞬間に消えてしまった。インド映画好きならお馴染みのあの甲高く伸びのある歌声が、彼女の口からそのまま再現されたのである。声量もすごいし、振り付けも決まっている。表情も豊かだ。聞き惚れるというか見とれてしまった。 ![]() ![]() プリーティさんは子供の頃から歌が好きで、本気でプロ歌手を目指していたという。テレビのちびっ子歌合戦にも何度も出場したし、大スターであるシャールク・カーンと一緒に映画に出たこともある。プロとしてやっていける自信もあった。でも親が決めた結婚に逆らってまで自分の生き方を貫き通すことはできなかった。インド女性にとって結婚は何よりも大切なことなのだ。 ![]() 溝上先生はプリーティさんに日本語の歌を覚えさせようとしている。坂本冬美の演歌。しかし低音を使いこぶしをきかせる演歌の歌唱法は、「スウィートネスが何よりも大事」というインドポップスの歌い方とはずいぶん違う。演歌をどのようにインド風にアレンジすべきか。試行錯誤を続けているようだ。 ![]() 【女性がリキシャを漕ぐ姿なんて、インドでもバングラデシュでも絶対にお目にかかることはない。日本だからこそできる「逸脱」である】 昼食にはプリーティさんが用意してくれたインド料理をいただいた。パニール(ヤギのチーズ)のカレーとダル(豆)スープ、ライスにチャパティ。一昨日のバングラ料理と韓国料理、昨日の中央アジア料理、そして今日のインド料理と、世界各地の味を楽しんでいる今日この頃。皆さんのご厚意に感謝。 12時すぎに、大阪に向けて出発する。 まずは芦屋から阪神沿線を通って甲子園球場へ。大学時代ずっと神戸に住んでいたにもかかわらず、甲子園球場を見るのは今回が初めてである。とりあえず球場入り口の前にリキシャを置いて記念撮影をしていると、制服姿の警察官がつかつかと近づいてきた。何か注意でもされるのかとも思ったがそうではなく、単に好奇心をそそられただけのようだった。 「これなに? すごい派手なもんやなぁ。これで日本縦断しとるんか? そりゃどえらいなぁ。ほんまかいなぁ」 制服に制帽姿ながら、中身は完全に大阪のおっちゃんである。全然警官らしくない。こういうところが大阪のええところや。ほんまに。 「甲子園の壁にツタがあったじゃないですか。あれはどうなったんですか?」 警官のおっちゃんに訊ねてみた。甲子園といえば緑のツタが絡まる外壁のイメージが強いが、それがきれいさっぱりなくなっていたのである。 「あれは3年前の工事で取り払われたんや。せやけど、あんなもんない方がええよ。虫も湧くし、蚊も多なるし、不衛生やしな。近代化っちゅうのか、そういう流れはしゃーないんと違うか」 ツタのない甲子園なんて、なんとかのないコーヒーみたいで、全然「らしくない」と思うのだが、実際には不都合なこともいろいろとあるようだ。 ![]() 警官のおっちゃんは変わった経歴の持ち主だった。スペインの大学に留学して、スペイン語の通訳をしていたというのである。スペイン人や南米出身者の通訳として警察に呼ばれることが何度かあり、それがきっかけで大阪府警に勤めることになった。 「でも、もうそろそろ警官をやめよう思てるんや。もう31年もやってるからな、十分やないかな」 「やめて何をするんですか?」 「うどん屋や」 「う、うどん屋?」 なかなか奇抜な答えである。もしうどんを食べながら聞いていたら、驚いて鼻からうどんを出してしまったことだろう。警官からうどん屋になろうという発想の飛躍は、ある意味では実に大阪らしい。自由でいいですね。 「2年ぐらい経ったら店出すからな。また遊びにおいで。うどんぐらいなんぼでもおごったるさかい」 冗談とも本気ともつかない口調で、おっちゃんは言うのだった。 はい、それじゃまた今度うかがいますね。 *********************************************** 本日の走行距離:34.2km (総計:2607.2km) 本日の「5円タクシー」の収益:4065円 (総計:42810円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-05-27 22:04
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 ![]() 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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