彦根に「彦根リキシャ」なるものがあると聞いて、これは会いに行かないといけないと思ったのである。
彦根の商店街の一角にある「五環生活」というNGOの事務所に、そのリキシャはあった。外見は僕のリキシャとはずいぶん違う。和風なのである。屋根や柱には漆が塗られていて重厚感があり、両サイドのすだれを垂らせば平安時代の牛車のような優雅な外見になる。客席部分は地元彦根の仏壇職人の手によるもので、蒔絵を使うなど細部の作り込みもすごい。チャラチャラと人目を引くことばかりに重点を置いたバングラデシュのリキシャとは方向性が正反対なのである。 ![]() 【彦根リキシャは和風のリアカーをマウンテンバイクで引く構造】 彦根リキシャは「日本の風景に合ったオリジナルリキシャを作ろう」というコンセプトの元で開発された。「五環生活」ではドイツ製ベロタクシーも3台所有して走らせているのだが、その近代的なルックスが城下町彦根の景観にはそぐわないという意見もあった。それならば彦根の町に合うリキシャを自分たちで作ってしまおう、という思いから設計されたのだ。 2009年8月にはこの彦根リキシャで彦根から横浜まで走破したそうだ。おぉ、僕より先に東海道をリキシャで走っていた人がいたんですね。 「横浜のイベントに参加するために10日間で走り切らなくてはいけなかったから、体調管理にはすごく気を遣いましたね」 と彦根リキシャの製作と運転を担当する竹内さんは言う。旅の間は酒もタバコも一切断った。こまめに食事を取り、夜は早々に眠り、次の日に備えたそうだ。一番の難所である箱根越えには二日をかけた。傾斜のきついところでは後ろからスタッフに押してもらいながらペダルを漕いだという。そのときの苦労がありありと目に浮かぶ。あぁ、僕も数日後にはこの箱根越えにトライせねばならないのか。そう思うと若干気持ちが沈んでしまう。 竹内さんは僕のリキシャにも試乗された。 「こりゃペダルが重い」というのが第一声。「競技自転車の乗り方として主流になっているのは、なるべく負荷を軽くして、高回転で漕いでやる方法なんです。そうすれば筋肉に疲労物質がたまりにくい。このリキシャは正反対ですね。これは疲れるわ」 自転車のプロからの指摘はさすがに鋭い。やっぱりそうだったのである。リキシャのペダルの重さは運動生理学的に見ても非合理的なものだったのだ。バングラデシュで「もっと軽いギアはないのか」と聞き回って、そのたびに「そんなものはない。リキシャとはこういうものだ」と突っぱねられてきたのだが、やはり間違っているのは彼らの方だったのだ。 バングラ製リキシャは自転車の部品をそのまま流用しているというただそれだけの理由で、理不尽にペダルが重いのである。人間の特性に機械を合わせるのではなくて、機械の都合に人間の体を合わせているのだ。やれやれ。 ![]() 【自転車タクシー並び立つ。左からドイツ製ベロタクシー、カンボジア製シクロ、バングラデシュ製リキシャ、彦根リキシャ。壮観である】 お互いのリキシャに試乗し合った後、「五環生活」代表の近藤さんに話をうかがった。近藤さんは滋賀県立大学環境学部で教鞭をとりながら、この組織の運営を行っている。自転車タクシーの普及を進めることで、自動車に頼らないで環境に配慮したライフスタイルを提案できないかと考えているのだ。 「今、日本各地でベロタクシーが走っていますが、経営がうまく行っているところは少数なんです」と近藤さんは言う。「ベロタクシーは1台100万円と高価だし、メンテナンス費用も馬鹿にならない。電動アシスト部分が壊れやすいんです。一度壊れるとドイツから部品を取り寄せて交換するしかない。運賃だけではとてもやっていけないのが現実です」 運賃だけでなく広告で収益を上げているところもあるが、不況になるとスポンサーが降りてしまうし、そもそも人口の多い大都市でしか行えないモデルだ。彦根の場合には、お年寄りが外出時に気軽に利用できる「福祉輪タク」という試みを始めている。これは自家用車を持たず、バスも一日何本かしかないようなところに住んでいる人の足として好評だという。さほど急がない、いやむしろゆっくりと移動したいというお客のニーズに応えることができているのだ。 「利用したお年寄りが『風の匂いを感じた』って言ってくれるんです。将来的には集落に一台ずつ輪タクがあって、それで若い人がお年寄りを運んであげる、というような光景が実現したらいいなと考えているんです」 ![]() 【「五環生活」代表の近藤さん】 普段見慣れた風景が違って見える。僕もリキシャに乗った人からそんな感想を聞くことが多かった。開放的でスローペースな乗り物だから、周りの景色をじっくりと見ながら移動できる。風を感じ、匂いを感じ、音を感じる。スピードが遅いことは自転車タクシーの弱点だが、それが長所にもなり得る。 遅いからこそ見えてくるものがある。それがこのリキシャの旅で得た僕の実感だ。遅いからこそ立ち止まれるし、立ち止まれるからこそ人との出会いが生まれる。 「五環生活」の皆さんに別れを告げて、彦根城に向かう。彦根と言えば彦根城。立派なお堀と石垣に囲まれた美しい城だ。 堀の外からお城の写真を撮っているおじさんがいた。中判カメラを三脚に据えて、レリーズを持って撮影している。本格的である。城を囲むように生い茂った木々がちょうど切れているスポットを狙っている様子。 「お城が好きなんですか?」と訊ねると、 「城はそんなに好きじゃないんやけど。自然が好き、古いもんが好き。だから今日は名古屋から撮影に来たんや」とのこと。 天気も良く、絶好の撮影日和になることだろう。 ![]() 琵琶湖は荒れていた。西からの強い風が吹いていて、波が高い。まるで日本海を思わせるような波がざっばーん、ざっばーんと打ち寄せている。湖とは思えない荒れっぷり。実際、瀬戸内海の方がはるかに穏やかで静かだった。 ![]() 米原から中山道を通って関ヶ原に向かう。滋賀県から東海地方に抜けるルートは二つある。南の鈴鹿峠を抜けるルートと、北の関ヶ原を超えるルート。いずれにしても一山超えることになるのだが、関ヶ原ルートは予想以上に楽だった。傾斜の緩い上り坂がだらだらと続くので、リキシャを降りて歩く場面も少なくて済んだ。こういうのは実際に走ってみないことにはわからない。 柏原は宿場町として栄えた江戸時代の建物が残る歴史地区だった。国道から一本それただけなのに車もほとんど通らずにとても静かだった。まさに東海道のオアシス。こういうところをリキシャでゆっくりと走るのは旅の醍醐味だ。 ![]() 【関ヶ原で見つけた看板。「エッチな人」の表情がいいですね。ちなみに「H」というのは「変態」の頭文字なので、「エッチな人が出る」というのは元の意味に忠実な表現である】 関ヶ原周辺は交通の要衝で、東海道新幹線、東海道本線、東名高速道路、国道21号線など主要幹線が折り重なるようにして通っている場所である。しかし集落自体は昔のままで、茅葺きの古い農家のすぐそばを新幹線「のぞみ」が時速200キロ超で突き抜けていく。その一方で、集落を走るバスは一日たったの4本しかない。 自宅の裏でゴミを焼いていたおじさんによれば、このあたりも高齢化と過疎化が進み、今や家屋の3分の1は空き家になっているという。昔は公共事業を請け負う建設業者が多かったのだが、ここ数年は仕事も激減している。平地の少ない山間の村にはこれといった産業もなく、幹線の整備が一段落した後には仕事の口もなく、若い人はみんな都会へ出て行ってしまったのだ。 「こういう旅ができるんも今のうちだけやからな。しっかり伝えてくれよ」 おじさんは僕の目を睨みつけるようにして言った。しっかり伝えるといっても、いったい何を伝えればいいのだろう。公共事業がその役割を終えたという事実だろうか。人や物がこの村を素通りしていくだけで何も残さないという寂しい現実だろうか。 ![]() *********************************************** 本日の走行距離:49.8km (総計:2820.5km) 本日の「5円タクシー」の収益:1010円 (総計:52310円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-06-03 05:05
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 ![]() 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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