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育児について
 リキシャの旅を中断して1ヶ月。仕事でネパールに行った以外、ほとんどの時間を妻と娘と一緒に過ごしていた。都心に出ることも滅多になく、トレーニングのために自転車に乗る以外はほぼ八王子の自宅にいた。



 僕がリキシャの旅をお休みして育児を手伝うと言ったとき、何人かの方が「イクメンですね」という反応を返してくれた。
 育児する男。略してイクメン。でもメディアが想定するイクメンと僕の育児の実体とはずいぶんかけ離れたものだと思う。テレビ番組で紹介されている「今はやりのイクメン」とは、一流企業のサラリーマンでありながら育児と仕事を両立させるために効率的に仕事をこなし、残業をせずに退社して保育園に子供を迎えに行き、料理も家事もそつなくこなすという人物だった。仕事もできる良き父親。ポイントは両立である。

 それに対して僕がこの1ヶ月間していたのは、ただ家族と一緒にいることだった。イクメンならぬ、イルメン。
 もちろん食事を作ったり買い物に行ったりといった家事のサポート役はこなしたけれど、肝心の赤ん坊の世話となるとまるで勝手がわからず、まったくの役立たずだった。特に育休を始めたばかりの頃は、娘の方も僕のことを「素性のわからない人」とみなしているようで(2ヶ月も会ってないんだから当然だけど)、それまでおとなしくしていたのに僕に抱かれた途端に火が付いたように泣き出すということもしょっちゅうあった。まず「におい」を覚えてもらうところから始めなければいけなかったのだ。

 新生児の世話は本当に大変だ。特に生後2ヶ月ぐらいまでの赤ちゃんは、人間というよりも未知のエイリアンに近い。理由もなく突然泣き出すし、理由もなく突然泣き止む。基本的に理不尽な存在だ。どうやったら泣き止ませることができるのか、いろいろ試してみた挙げ句、縦抱きで上下に揺らせば泣き止みそうだとわかると、ひたすらスクワットを続けてみる。しかしその方法が次の日も通用するとは限らないのだ。赤ちゃんの行動パターンは日々変化していて、正解も毎日ころころと変わるのである。

 赤ちゃんという理不尽な生きものにようやく慣れてきたのは、育休に入って2週間ほど経った頃だった。ぐずったときのあやし方や、おむつの替え方や、おしゃぶりのくわえさせ方のコツがやっとこさ掴めてきたのだ。赤ちゃんにとってなにが快でなにが不快なのか、そのとっかかりのようなものがわかってきた。
 娘の方も日々成長を続けていた。お乳や排泄といった生理的な欲求だけでなく、周囲の環境やこちらの呼びかけに対してリアクションを返すようになってきた。未知のエイリアンだったものが、意志らしきものを通じ合わせることのできるヒトへと変化してきたのだ。彼女が感じているらしい不安や、喜びや、驚きが僕にもなんとなく理解できるようになった。



 娘が口を大きく開けて笑っただけで、僕らは幸せな気持ちになることができた。「アー」とか「ウー」とかまだ言葉にならない声を発しただけで歓喜した。絶妙のタイミングでオナラをしただけで腹を抱えて笑い、この世の終わりかと思うぐらいに泣き叫んだあとやっと眠りについてくれたときには深い安堵のため息をついた。その小さな小さな手が僕の人差し指をしっかりと握りしめたときには、手を叩いて褒めたたえた。

 ベビーカーを押して近くのホームセンターに行くだけで、ちょっとした冒険だった。近所の人がお愛想で「まぁかわいらしい赤ちゃんね」と言ってくれると、「やっぱりうちの子はかわいいんだね」なんて確信犯的な親バカトークを交わした。生活のリズムは体重6キロにも満たない小さな暴君のご機嫌に完全に左右されるようになったが、それはそれでとても愉快な日々だった。



 僕はきっと優秀なイクメンにはなれないだろう。仕事とプライベートとをきっちりと仕分けしたり、家事の分担を明確にしてテキパキと雑務をこなしたりするのは、あまり得意な方ではないからだ。
 そもそも旅を生業としている人間に、世間的に「まとも」な育児か可能なのかよくわからない。家にいるときは四六時中家にいて、いないときには何ヶ月もいない。そういう男が「良き父親」となれるのだろうか。なれるかもしれない。なれないかもしれない。それはたぶん誰にもわからない。

 けれどこの1ヶ月の育休で得たものは、決して小さくはなかった。子育てがいかに大変なものなのかを間近で感じられただけでも、「理不尽な生きもの」が「人らしきもの」に変わっていく様をしっかりと見届けられただけでも、旅を休んだ価値はあった。

 分かち合うべきものを、分かち合うことができる。それが家族なのだと思う。
 この1ヶ月を通して、僕らは本当の家族になった。




by butterfly-life | 2010-07-12 21:33 | リキシャで日本一周


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