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103日目:降のこしてや光堂(宮城県大崎市→岩手県奥州市)
 昨日は一日雨模様だったので、久しぶりに完全休養を取った。休んだからといって次の日に体が軽くなっているかといえばそういうことはなくて、むしろ余計に気怠さを感じてしまうのだが、これはもうこういうものだと思って諦めるしかない。

 昨日に引き続き今日もはっきりしない空。朝から雨がざっと降っては止むというのを繰り返している。
 雨が止んだ頃合いを見計らって宿を出たのだが、30分も走らないうちにまた強く降り始めてしまった。雨宿りできそうな場所をきょろきょろと探していると、国道沿いにある大きなガレージからつなぎ姿のおじさんが出てきて、「こっちで休んでけよ」と手招きしてくれた。
 そこは自動車の電気部品の修理工場で、おじさんたちはまだ仕事を始めていないらしく、リキシャを興味深そうに観察していた。
「これ、あんたが自作したの?」
「違いますよ。バングラデシュっていう国から持ってきたものです」
「へぇ、舶来品かぁ」
 リキシャは確かに海を渡ってやってきたんだけど、「舶来品」という言葉の持つ希少かつ高級なイメージとはかなりかけ離れている。
 工場はずいぶん旧式だった。30年以上前からほとんど設備が更新されていないのではないか。仕事に取りかかったおじさんはハンダごてを手にして、故障した大きなダイナモ(発電機)の絶縁素子を交換した。
「ほら、今年はやたら暑いべ。だからエアコンの修理が多くってよ。まぁ景気は悪くないわな」
 おじさんが子供の頃に比べると、冬は暖かくなり、夏は暑くなったという。昔みたいに雪がどっさり降らなくなったのは助かるけど、この夏の暑さは東北の人にはかなり堪えるようだ。





 国道4号線を北上していると、野外のスピーカーからアナウンスの声が聞こえてきた。
「ピンポンパンポン・・・栗原市役所からのお知らせです。昨日の午後から58歳の女性が行方不明になっています。身長155センチ、やせ形、灰色のブラウスにベージュのズボンを履いています。お心当たりのある方は栗原市役所までご一報ください・・・ピンポンパンポン」
 デパートの迷子のお知らせを思い出させるような緊張感のないアナウンスだったが、58歳の女性が一晩行方がわからないというのはただ事ではない。しかしこんな人捜しみたいなのを市役所が全市に向けて放送しちゃうというのは、なかなかすごいことである。都市部ではまずあり得ない。


【シュールな看板。くどいようですが・・・なんなんだ?】

 お昼ご飯は栗原市金成にある農家でご馳走になった。ちょうど車で通りかかったおばさんが「ちょっとうちさ寄ってお昼さ食べていぐー?」と誘ってくださったのだ。
「4号線にはさぁ、よく大学生が自転車に乗って日本一周していたりするんだども、こういうのははずめて見たねぇ」
 おばさんは感心した様子でリキシャを眺めていた。

 菅原さんはバイタリティ溢れる人で、とても小学生の孫がいるようには見えないのだが、実際には立派な「おばあちゃん」である。この家に住んでいるのは全部で7人。菅原さん夫婦と息子夫婦と孫二人、それに「ぴーちゃん」である。
「このあたりではよー、ひいおばあちゃんのことを『ぴーばあちゃん』っていうのよ。だからこの人はぴーちゃんなの」
「なんか小鳥みたいですね。かわいい」
「そう? ぴーちゃん、かわいいって。良かったねぇ」
 菅原さんが話しかけると隣のぴーちゃん(つまり姑さん)はニコニコと笑う。ぴーちゃんは87歳。お嫁さんが気安く「ぴーちゃん、ぴーちゃん」と呼べるということは、きっと嫁姑問題なんてものはないのだろう。



 食卓に並んだのは採れたばかりの新鮮な野菜だった。すぐ隣のハウスで採ってきたプチトマトは甘く、キュウリの漬け物は歯ごたえがあってみずみずしい。ズッキーニの煮物もよく味が染みていた。それにナスとオクラの天ぷら、キュウリとわかめの酢の物、そして宮城米の「ひとめぼれ」である。こういう食材を毎日食べていたら誰でも健康になれそうだ。
「ここには何か特別な名産品っていうのはないけんど、米も野菜も美味しいでしょ? これが田舎ってもの。農家のいいところ余」

 田んぼを渡ってきた風が家の中を吹き抜けていく。40年前に建てられたこの家は、昔の日本の家らしくふすまを取り外してしまうとひとつの部屋みたいになって風通しが良くなるのだ。勝手口から食堂、子供部屋から居間、仏間から寝室へと涼しい風が抜けていく。
 菅原さんはもの持ちがいいらしく、なんと今でも黒電話を使っている。古道具屋ぐらいでしか見かけることのなくなったあの懐かしい黒電話が、ここでは現役で働いているのだ。
「このあいだNTTの人が来たらびっくりしてたよぉ。『いいよ、これは貴重だから、ぜひこれからも使ってて』だって」


【菅原さんが毎年作っているジャンボかぼちゃ。7,80キロはあり、二人がかりでないと持ち運べないそうだ。人が食べるのではなく飼料用なのだそうだ】

 菅原さんの家を後にして、一路平泉を目指す。
 かの有名な奥州平泉・中尊寺が国道のすぐそばにあると知ったので、ぜひ立ち寄ろうと思っていたのだが、雨宿りに時間を取られたせいで、中尊寺に到着したときにはもう4時半を過ぎていた。お寺の拝観時間は5時まで。これは急がねば。参道の山道を早足に登った。その甲斐あって、なんとか5時5分前に金色堂の受付に滑り込んだ。ふー。



 まず讃衡蔵に入る。中尊寺に伝わる文化財や宝物を展示している建物だ。讃衡蔵の入り口には三体の木造大仏が鎮座していて、いきなりその大きさに圧倒される。でかい。高さ3メートル近くある仏像が三体である。阿弥陀如来坐像一体と薬師如来坐像二体。それぞれの仏像の前に立って表情をうかがってみる。どれも静けさに満ちた顔をしている。時間そのものを止めてしまったかのような静寂が仏像を包んでいる。すごい。知らないあいだに両手に鳥肌が立っていた。
 きっと見学した時間帯も良かったのだろう。閉館ぎりぎりだったために館内には誰もいなかったので、たった一人でじっくりと仏像に相対することができた。僕はとりたてて仏像に興味のある人間ではないし、仏教についての知識も断片的にしかないけれど、この場を支配しているぴりっと張り詰めた空気や、鎌倉時代から連綿と続く時間の重さははっきりと感じることができた。それだけでここに来た甲斐があると思った。



 もちろん金色堂も素晴らしかった。松尾芭蕉が「五月雨の 降のこしてや 光堂」と詠んだ金色に輝くお堂である。これが900年前の建立当時のまま今に伝えられているというのは、やはり奇跡的なことだと思う。
 もしこれが京都にあったら応仁の乱で焼かれていただろうし、他の土地にあったとしても地震や火事や略奪などで失われてしまった可能性が高い。鎌倉時代以降、奥州平泉が中央から遠く離れた「奥の地」になってしまったからこそ、この絢爛豪華な金色堂が21世紀まで生き延びることができたのではないか。



 中尊寺の見学を終えてリキシャを置いた場所に戻ってみると、サドルが濡れていることに気づいた。雨が降ったのだろう。しかし金色堂周辺ではまったく雨は降らなかった。雲の切れ間から青空さえ覗いていたのだ。駐車場と金色堂との距離はわずか800メートル。それなのに一方では雨が降って、もう一方では降らなかったわけだ。
「夏の雨 降のこしてや 光堂」



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本日の走行距離:76.4km (総計:3865.4km)
本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:59580円)

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by butterfly-life | 2010-07-31 22:08 | リキシャで日本一周


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