苫小牧市から海沿いを南下する。ここには国道36号線という幹線道路が走っているが、交通量が多くてつまらない道なので、海のすぐそばのローカルな道を走ることにした。
ここは出会いの多い道だった。まずは海岸に遊びに来ていた保育園児たち。そろいの帽子を被ってかわいらしい。 「リキシャに乗りたい人!」 と言ってみると、全員が元気よく「はーい!」と手をあげた。素直である。 リキシャは二人乗りだが、4,5歳の子供たちなら3人乗れるので、3人ずつ順番に乗せてあげる。でも園児たちは全部で13人いたので5往復しなければいけなかった。「気持ちいー!」と歓声を上げる子、おとなしく黙って乗っている子など、反応は様々だ。 コンクリートで護岸された海岸では、自転車で流木を運んでいる老人に出会った。88歳の助川さん。流れ着いた流木をノコギリで適当な長さに切って、家に持って帰るのだという。ストーブの燃料として使うのだそうだ。 「こんなことをしてるのは苫小牧でも俺しかいねぇよ。1日に30往復するんだ。家にはもう2年分の薪が積んであるよ。流木は燃やすとあったけぇんだ」 流木は海岸を埋め尽くしているので、資源は無尽蔵にあると言ってもいい。しかしこれを個人の力で運ぶのはあまりにも面倒なので誰もやらない。そもそも今は灯油かガスのストーブが主流なので薪ストーブ自体が珍しくなった。昔は同じことをしていた人もいたらしいが、みんな亡くなってしまった。 「生き残ったのは俺だけだよ」と助川さんは笑う。 助川さんはかつて室蘭の製鉄所で働いていた。高度成長期の旺盛な鉄需要に支えられて製鉄業は伸び続け、年に三度もボーナスが出るほど景気が良かったが、鉄鋼ブームもやがて終わりを迎える。産業構造の変化と競争力の低下に伴って、室蘭にあった溶鉱炉は次々と閉鎖された。 その後、助川さんは苫小牧に移り住んで漁師になった。ニシンや鮭などをとって生計を立てていた。 「胃が半分ないんだ。胃潰瘍になったときに切っちまったんだ。それでもこの年まで生きてる」 「薪を運ぶのはいい運動になりますね」 「あぁ、いつも汗だくになるよ。何か仕事があるっていうのはいいもんだね」 助川さんと話をしているときに、軽自動車に乗った若い女性が声を掛けてきた。地元苫小牧のケーブルテレビ局からの取材の申し込みだった。たまたまここを通りかかったところ、妙な三輪車が走っているのを目にして車を止めたのだという。すぐにカメラマンを呼んでインタビューを撮ることになった。こういうフットワークの軽さがローカル局の良いところだ。 実は今日は札幌テレビの「どさんこワイド」という番組の密着取材も受けていたのだった。取材ラッシュの一日である。 【リキシャに乗る地元ケーブルTV局の山本さん。「今日はたまたますっぴんなんです。恥ずかしい」とのこと】 国道沿いの小さな畑の前で座り込んでいた89歳のおばあちゃんは、リサという名前だった。大正生まれの女性とは思えないハイカラな名前である。彼女のおじいさんが若い頃に「おりさ」という女性に片想いをしていたので(結局その恋は叶わなかった)、孫娘に「リサ」という名前を付けたのだそうだ。 リサおばあちゃんの畑にはネギやジャガイモやナスなど様々な野菜が植えられていた。一番のお気に入りは大根だという。 「朝起きると、まず大根に話しかけるのよ。『めご、おっきくなったか?』って」 「めごって何ですか?」 「めごってのは『めんこい』ってことよ。かわいいってこと。大根はほんとにめんこいから、大根って呼ばずに『めご』って呼んでるんだ。土ん中から一生懸命伸びようとするからな。その姿がめんこいんよ」 「でも最後には食べるんですね?」 「そう、食べるよ。抜いて洗って、たくあんにして食べる。『おまえらはなぁ、ババの腹に入るんだからな』って話すんだ。丹精込めて育ててるから、自分の子供みたいにかわいいよ。だから食べるんだ。葉っぱまで食べるよ。葉っぱは外に干しておいて、お湯でも戻してから味噌汁の具にするんだ。捨てるところなんてひとっつもない。めんこいからね、無駄にはしないんだ」 リサさんはそこまで話すと、ふーっと大きくひとつため息をついた。 「大根を盗む奴がいるんだ」 「盗む? この大根をですか?」 「そう。車で来た人間が、夜のうちにかっぱらって行くんだ。子供のようにだいじに育てた大根なのにね。もう泣きたいよ・・・」 とんでもない話である。どうしてわざわざ小さな家庭菜園にはえている大根を盗まなければいけないのか、理解に苦しむ。国道36号線は交通量の多い幹線道路なので、中には根性のひん曲がった奴も通るのかもしれないが、それにしてもひどすぎる。リサおばあちゃんがどれほど大切に大根を育てているのか。それを聞いた直後だったから、本当に腹が立った。 「9月の収穫時期になったら毎日心配で。朝になったら『ゆうべ抜かれなかったか?』ってまず話しかけるんよ。無事だったらほっとする。大根たちには『盗む奴が来たら、お前が囓ってやれ』って言ってるんだ」 「立て札とか立てておいたらいいんじゃないですか?」 「そんなことしたら『ここに野菜がある』って言ってるようなもんでしょ。よけい盗られるよ」 「逆効果か」 「でもね、人のものを盗むより、盗まれる方がいいと思う。盗った人間もね、あまりいい気持ちではないと思うね。悪いことやってるって自覚があるんだったらね」 リサさんは20代の頃に肋膜炎を患い、医者には「もう長くはない」とまで言われた。でも薬が効いて一命を取り留めた。そのあと漁師と見合い結婚して、4人の子を産んだ。 「おどうは漁師だったから、酒飲んで威張ってた。よく喧嘩もしたねぇ。おどうは口では負けるもんだから、ゲンコツを出してくるんだ。そうすると畑に来て、野菜に話しかけた。大根はくちごたえしないからねぇ」 その旦那さんを亡くしたのは、リサさんがまだ30代の頃だった。脳溢血で倒れて、そのままぽっくり逝ってしまった。後に残されたのはリサさんは生活保護を受けながら畑仕事をして、育ち盛りの子供たち4人を女手ひとつで育て上げた。 「周りの人は『旦那を早く亡くして大変だね』なんて言ってたけど、私は苦労だなんて思わなかった。ただ子供たちに腹一杯食わせるために必死で生きていただけ」 「再婚はしなかったんですか?」 「そんな話もあったけどね、しなかった。これが良くないっしょ」 リサさんは自分の顔を指さして笑った。 「そんなことないでしょう」 「でもやっぱりうちのおどうは他の男とは違うんよ。喧嘩してもしたけど、優しかったからね」 おばあちゃんの旦那さんに対する愛情は、ひとことでは言い切れない複雑なもののようだった。好きだけど嫌い。会いたいけれど、会いたくない。ぶつくさ文句も言うけれど、大切に想い続けてもいる。 「90まで生きたら、もうたくさん。このぐらいで十分だ」 「いつ死んでもいいんですか?」 「いやだよ、まだ逝きたくない!」 リサさんははっきりとそう宣言してから、顔をくしゃくしゃにして笑った。本当にいい笑顔だ。 「おどうのとこにはまだ行きたくないんだ。いつお迎えが来てもいいけどね、おどうのところに行って、また喧嘩したくないもん」 「旦那さんは向こうで待ってるんじゃないですか?」 「そうだね。でも別な女を見つけてるかもしれないね」 「それも腹が立つでしょう?」 「そうだね。私は毎日仏壇に話しかけてたからね。『おどう、元気か?』って」 どこからともなく二匹の白い蝶が現れた。蝶はもつれ合いながらリサおばあちゃんの周りを二回三回とまわり、またどこかに飛び去っていった。 「命あるものは、みんなめんこいよ」 リサさんは目を細めて言った。頭からひねり出した言葉ではなく、彼女のからだから自然に湧いてきた言葉だった。だから重みがある。染みてくる。 別れ際にリサさんにカメラを向けた。よく日に焼けたお百姓の顔。89年分の苦労や喜びや悲しみがしっかりと刻まれた顔だった。 「こうやって誰かと話をするのはすっごく嬉しいんだ。でもね、別れたあと泣きたくなるんだ。寂しくてな・・・」 一瞬、おばあちゃんの肩を抱きしめたくなった。本当にめんこい人だ。 「また会えますよ。おばあちゃんが元気でいてくれたら」 虎杖浜では堤防に座って海を眺めている漁師のおじさんと話をした。このあたりは鮭で有名だそうだ。 「秋になると、ここら辺は鮭でびっしりになるよ。海が黒くなるぐらいだよ」 「手づかみできますね」 「できるよ。違法になるけどな。誰がどれだけとっていいのかは漁協で決められてるんだ。去年はここだけで3億円の水揚げがあったんだ」 この漁師さんは正確に言うと「元漁師」で、70歳を迎えた10年前に船を下りたのだそうだ。 「この年になると、船に乗るのがこわい」 「怖い?」 「いやいや、内地の言葉だと違う意味になるんだな。『こわい』っていうのは北海道では『疲れる』っていう意味になるんだ」 「そうなんですか」 「ソ連の漁船がこの近海まで来たことがあったんだ。スケトウダラをとるためにな。そんなに昔じゃないよ。最近のことだよ」 「でも『ソ連』の時代ですよね? ロシアじゃなくて」 「あぁ、30年ぐらい前かな」 「十分昔のことじゃないですか!」 「まぁそうかな。『日ソ漁業交渉』なんてやっていた時代だ。ここの組合長もソ連まで行って交渉したんだ」 今日は室蘭まで行くつもりだったが、いい出会いが重なってリキシャのスピードが上がらず、途中の幌別の町に泊まることにした。幌別の手前10キロには有名な登別温泉があるのだが、温泉街はかなり急な坂道を上らなければ行けないということなので断念した。 *********************************************** 本日の走行距離:53.4km (総計:5022.5km) 本日の「5円タクシー」の収益:600円 (総計:64815円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-09-07 08:00
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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