クランクシャフトが折れて漕げなくなったリキシャを函館まで押して歩くことにした。長万部から函館までは100キロ以上の距離があるが、これを二日間で歩き通すというのが当面の目標である。しかし実際にどれだけ進めるのかは歩いてみないことにはわからない。使う筋肉も違うし、体の反応も違ってくるだろうから。
宿を出発したのは6時過ぎ。この時期の北海道では5時にはもう夜が明け始めるのだが、まだ町は静寂に包まれていた。小鳥の声に見送られながらスタートする。 出だしは快調だった。長万部から南へ下る国道5号線は北海道でも屈指のフラットな道だから、一定のペースで歩くのにはもってこいだった。時速6キロのペースを維持しながらリズム良く進んでいく。大切なのは一定のペースを保つこと。反復に体を慣らし、リズムの中に自分を没入させることだ。 青い道路標識に「函館100km」と書かれているのを見たときには一瞬気持ちが萎えそうになったが、すぐに頭からその数字を追い出した。そんなに先のことは考える必要はない。まずはこの1キロ、この一歩だ。 長万部から八雲までの30キロほどの道のりは変化に乏しかった。草原と海に挟まれたスペースに、まっすぐな道が伸びている。たまに魚くさい水産加工場や、名産のカニ弁当を売る店などが現れるぐらいだ。ひたすら歩き続けるのはもってこいの道ではあった。 ![]() 【お祭りの山車に使われた木材を細かく切断していた人。冬場の燃料に使うのだそうだ。8月終わりにもう冬支度が始まっているのが北海道らしい】 今日は日本縦断や日本一周を試みている人たちと何度もすれ違った。宗谷岬周辺と同じように、函館から長万部までの道のりも日本を縦断する人がほぼ間違いなく通るルートなのである。 大阪から自転車で日本一周をしている宇都宮君は名前を「リキ」といった。彼はリキシャという乗り物を見たのは初めてだったが、自分の名前と重なる部分があるので、大いに親近感を持ってくれたようだ。リキ君は「夢ノート」というものをバッグに入れて旅をしていた。出会った人に自分の夢を書いてもらうためのノートだという。 ![]() リキ君は友達がバックパッカーとして世界一周をやり遂げたことに刺激を受けて、自転車の旅を始めたと言った。このあと出会った京都の大学生はチャリダーだったお兄さんの影響で日本縦断を始めた。子供の頃から自転車が好きで、できるだけ遠くまで行きたいという思いから北海道まで来た人もいたし、「ただなんとなく」沖縄から北海道まで来てしまったという人もいた。 動機はそれぞれに違う。しかしその根本には「自分の力だけでどこまで行けるんだろう」という純粋な好奇心があるように思う。みんな真っ黒に日焼けしていた。いい顔だった。 ![]() 国道5号線をさらに下った石倉では、道ばたのゴミを拾いながらリアカーで日本縦断をしている上村さんに出会った。実は上村さんとは4月に一緒に食事したことがあった。熊本市をリキシャで走っているときにたまたますれ違って、「実は僕もリアカーで日本縦断をするんです」と言われたのだった。 上村さんは以前、歌舞伎町でホストクラブやキャバクラをいくつも経営していたという変わった経歴の持ち主で、それがどうして各地のゴミを拾いながら日本縦断をしようなんてアイデアを実行に移すことになったのかはよくわからないのだが、とにかく重量が150キロを超えるリアカーを引っ張って毎日山道を歩くなんてことは並外れた精神力がないとできないことだけは確かだ。 「この夏は暑かったでしょう。旅を始めてから15キロも痩せちゃいましたよ」 4ヶ月ぶりに見る上村さんは、確かにスリムになっていた。学生時代にボクシングをやっていたのでがたいは大きい方だったが、そこに精悍さが加わった。旅は人を鍛える。余分なものを削り取っていく。 ![]() 上村さんと再会した場所からわずか2キロほど南で、またリアカーを引く旅人に出会った。今日は「リアカー・デイ」である。僕も今日はリキシャを自転車としてではなくリアカー的に使っていたから、類が友を呼んだのかもしれない。 このリアカー氏は「本当の」日本一周を試みているそうだ。一切ショートカットせずに海岸線に沿って一周をしている。そうすると日本一周は1万9000キロにもなるのだそうで、それを全て踏破するというのは気が遠くなるような話だ。 リアカーというのは徒歩で旅する人間にとっては比較的ポピュラーな道具で、重たいバックパックを背負って歩くよりも楽に移動できるようだ。平地を進む限り、タイヤのついた乗り物はその重さをほとんど感じないのである。それは僕が今日一日リキシャを押して実感したことでもあった。もちろん山道に入ると一気にキツくなるわけだが。 ![]() 順調だった徒歩の旅が辛くなり始めたのは、八雲の町で昼休憩を取ってからだった。一度休みを入れると、その間に太ももの筋肉が固まってしまうのだ。リキシャを漕いでいるときにはなかった反応だった。普通、筋肉は休ませると再び力を取り戻す。しかし長距離を歩き続けた場合には、むしろ休むことがさらなる疲労に繋がるようだった。 そんなわけで午後はかたときも立ち止まることなくずっと歩き続けた。水分をとったり、バナナを食べたりするときでさえ、筋肉が硬くならないように屈伸運動を続けた。人に話しかけられたときでさえ、「すみませんが歩きながら話しましょう」と言って決して立ち止まらなかった。泳ぎ続けないと死んでしまう回遊魚みたいだった。 スタートから40キロを過ぎたあたりから、ほとんど何も考えられなくなった。足の指と太もも、それから足の付け根の筋肉が常に悲鳴を上げていたが、そんなものにいちいち耳を貸すわけにはいかなかった。痛みの感覚を一時的に遮断し、一歩ずつ左右の足を踏み出すことだけに集中する。まさに忘我の状態だった。 その姿をたまたま見かけた人が後でメールを送ってくれたのだが、そこには「修行僧のような顔で歩いていた」と書かれていた。なるほど。何かについて突き詰めて考えている人と、まったく何も考えていない人は、同じ顔をしているのかもしれない。山伏の縦走ではないけれど、無我夢中で歩くというのはそれだけで「修行」になるのかもしれない。「歩く動物」としての人間の限界や、可能性を知るための修行。 ![]() 長万部から63キロ離れた森町に到着したのは午後7時過ぎ。あたりはすっかり暗くなっていた。13時間ほぼぶっ続けて歩いてきたが、ここら辺が限界のようだ。駅前のビジネスホテルに転がり込むようにチェックインした。 63キロ。 サイクルコンピューターの数字を見て改めて驚く。 この旅を始めた頃は、リキシャを漕いで一日60キロ以上進むことすら難しかったのだ。 よくやったと思う。 *********************************************** 本日の走行距離:63.6km (総計:5185.1km) 本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:64815円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-09-08 20:42
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 ![]() 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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