リキシャを押して63キロも歩き続けた翌日は、どんなにひどい筋肉痛に襲われるのだろうかとおそるおそるベッドから起き上がったのだが、体へのダメージは意外なほど少なかった。もちろん体に痛みはあった。足の裏や足首、股の付け根など、歩くときに酷使される筋肉は痛んでいる。けれども歩けないというほどの痛みではなかった。
マットレスの上でゆっくりとストレッチを行う。うん、これならば今日も歩けそうだ。そう確信してから準備に取りかかった。 7時半に出発。森町から国道5号線を南下して函館に向かう。 駒ヶ岳を左手に見ながら緩やかな上り坂を上っていく。やがて大沼という湖の脇を通り過ぎ、長いトンネルを抜けると一気の下り坂になった。まったく平坦だった昨日の道のりに比べると、今日はいくらかアップダウンがあったが、少しも苦にならなかった。むしろ坂道の方がリキシャと歩くのに向いていたのかもしれない。平地だとずっと同じペースで歩き続けなければいけないが、坂道だと上り坂さえ気合いでしのげば、あとはため込んだ位置エネルギーを一気に解放できる下り坂が待っているからだ。 【北斗市の農協が作った看板。北斗の農? アタタタタ、アタッ!】 【ユ、ユリアー! これってコピーライトは大丈夫なんでしょうか】 函館のフェリー乗り場に着いたのは3時半。昨日ほど疲れていないのは、距離が短いということもあるし、リキシャを押して歩くことに体が順応した結果でもあるのだろう。人間の体というのは予想以上に適応力が高いようだ。 津軽海峡フェリーは家族連れで混み合っていた。先月就航したばかりという新造船で、ソファも喫茶室もぴかぴかで居心地が良かった。この航路は二つの船会社がそれぞれ一日8往復ずつ船を出しているという。それだけの需要があるのだろう。 北海道の20日間は猛烈な勢いで移動し続けた。 雨で休んだ一日以外はひたすらリキシャを漕いでいた(または歩いていた)。北海道の大地はあくまでも広く、道はまっすぐで、家はまばらだった。その広さを自分の足で感じられたのは大きな収穫だった。流した汗によって、味わった疲労によって、喉の乾きによって、この大地のスケールを自分の体に刻みつけることができた。 【函館港から見える海。北海道では最後まで晴天に恵まれなかった】 フェリーが青森港に接岸したのは午後9時10分。3時間40分の船旅だった。 青森港には長崎さんが自転車で迎えに来てくれていた。長年小学校の先生をしていて、今は県の教育委員会で働いている方だ。青森市内でリキシャを預かってもらえないかと告知したところ、いち早く名乗り出てくださった。 今夜は船着き場から歩いて20分ほどの所にある長崎さんのお宅に泊めていただくことになった。家の庭にはレンガを並べて作ったバーベキュー専用のコンロがあり、そこで野外バーベキューを楽しんだ。肉に詳しい長崎さんが用意してくださったのは、豚の喉の軟骨や、牛タン入りのつくね、イカの一夜干しといった珍しい食材ばかりだった。 「青森の暮らしで一番大変なのは、なんといっても雪かきですよ。放っておけば1日で3,40センチ積もるんです。毎朝5時に起きて家の周りの雪かきをします。それから学校に早めに出勤して、また雪かき。除雪車の運転も上達しましたよ。一番困るのは一度溶けた雪がまた凍ったアイスバーンですね。これはツルハシでガシガシ砕いてやらないといけないんです。雪かきだけでも時間と労力を相当使っていますね」 僕は寒いところが苦手で、できることなら年中短パンとサンダルで過ごしたいと思っている(実際それに近い生活をしている)お気楽な南国気質の人間である。だからこそ、青森の雪かきの大変さや、まつげまで凍るという北海道の冬の話を聞くだけで、これはかなわないなぁと白旗を揚げたくなってしまうのだ。 「本当に函館まで歩いてきたんですね」 長崎さんが缶ビールを手渡しながら言った。 「リキシャが壊れたっていうのをツイッターで見て、『これは予定通り青森に来るのは無理だなぁ』って妻と話していたんです。2日で100キロ歩くなんて不可能だよって」 「かなり無理はしました。でも何とかなるものですよ」 「私は小学校の先生を相手に講義をしたりセミナーを開いたりするのが仕事なんだけど、若い先生には『頑張りすぎるなよ』『無理はするなよ』って繰り返し言っているんです。真面目な子ほど頑張りすぎて、体を壊してしまうから。そうなってはいけないよって」 「最近、鬱になる先生が多いという話は僕も聞きました。確かにそういう場合には無理は禁物ですね。自分で自分を追い込んでしまうから。でも僕の場合はそれとはちょっと違うんです。体には無理をさせているけど、精神的なストレスはないんです。純粋にフィジカルな負荷なんですよ。だから耐えられる」 鬱を患う人は生真面目な性格で、他人から期待される自分像と現実の自分とのギャップに苦しんでいる。期待に応えたい自分と、そうできない自分とに引き裂かれている。 僕は基本的に自分勝手な人間だ。本当にやりたいことしかやらない。自分が行きたい場所に行って、撮りたいものを撮る。 その代わり、自分がやると決めたことに対しては過剰なほど真剣に取り組んできた。自分の限界を超えたいと思ってきた。そのためにはおそらく「無理」をすることが必要なのだ。絶対にできないと思い込んでいたその「思い込みの殻」を破ったとき、確実な手応えを伴った自信を手に入れることができる。 リキシャを100キロ漕いだ日。リキシャと共に60キロを歩いた日。 肉体的な痛みと引き替えに、僕はかけがえのないものを手に入れたのだと思う。 *********************************************** 本日の走行距離:48.8km (総計:5276.6km) 本日の「5円タクシー」の収益:1000円 (総計:65815円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-09-09 19:55
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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