北海道でリキシャのクランクシャフトが折れたことは既に書いたが、その代替品がバングラデシュから届いたので、2週間ぶりに旅を再開することになった。今回もサポートしてくださった「ショブジョバングラ」の三田さん、本当にありがとうございます。
東京駅から夜行バスに乗って青森市に向かう。夏休みが終わったからか、乗客はたった6人。がらがらであった。隣のシートもゆったり使えて快適だったが、これでは走らせるだけ赤字ではないか。バス会社は大丈夫なのだろうか。 青森は今年12月に東北新幹線の開通を控えて大いに盛り上がっている。ローカルニュースは毎日その話題で持ちきりだ。東京まで3時間で繋がる。日帰り出張だって可能になる。観光客も増えるだろう。今から皮算用が始まっている。 でも新幹線が開通すれば、きっと高速バスの利用者はさらに減るだろうし、いくつかのバス会社は撤退を余儀なくされるだろう。なんて心配を僕がしてもしょうがないんだけど。 朝8時半に青森駅に到着。さっそくリキシャを預けていた長崎さんのお宅に向かう。 長崎家から歩いて10分ほどのところにあるバイク屋兼自転車屋「中村輪業」のご主人は、リキシャの登場に目を丸くした。僕が事の経緯を説明してクランクを手渡すと、 「こりゃお粗末な部品だなぁ」 と言った。その通りなんです。新品なのに加工精度は悪く、すでに溶接跡でデコボコしている。でもバングラデシュではみんなこれを使っているのである。 「まぁ、やってみんべぇ」 中村さんが作業に取りかかる。さほど複雑な作業ではない。ペダルを外し、ベアリングを抑えているリングピンを外し、ベアリングとクランクを外す。それから新しいクランクに付け替えて、元の位置に戻すだけだ。 しかし部品の加工精度が悪いことが問題だった。金属部品同士がガタつかず「ぴったりと合う」ためには、0.1ミリ単位の精度が必要なのだが、バングラデシュの工場ではその技術がない。だから少し大きめに作っておいて、現場で少しずつ削りながら手作業で合わせていくしかないのである。日本では考えられないようなアバウトさだが、これがバングラ流なのである。 「でもよぉ、よくこんなもんを手作業で作るよなぁ」 中村さんは感心したように言う。 中村さんは初めてのリキシャに悪戦苦闘しながらも、なんとかベアリングをはめ込むことに成功した。さっそく試乗してみたのだが、微妙に違和感があった。ベアリングとフレームとのあいだにわずかな隙間があって、クランクがスムーズに回らないのである。これは回転するベアリングがフレームの金属を少しずつ削り取っていったために生じたガタのようで、応急処置で直すのは不可能のようだった。フレーム部をそっくり交換するしかない。だから多少の違和感には目をつぶって走り続けるしかないのである。これ以上悪化することがないように祈りながら。 「修理代おいくらですか?」 「あー、500円でいいよ」 「本当ですか?」 500円とは安い。ほとんどタダみたいなものである。 「あぁ、いいよ。今日は珍しいもんを直させてもらったからな」 と中村さんはうまそうにタバコを吹かせながら言った。中村輪業、実に太っ腹だった。 そんなこんなで青森市を出発したのは11時。ここから国道7号線を通って弘前市に向かう。 昼休憩のために立ち寄った峠道のコンビニで、女性チャリダーの山田さんと出会った。日本一周を目指して東京を出発し、北海道を走った後、函館からフェリーに乗って青森にやってきたという。自転車で一人旅をする女性は珍しい。ものすごく珍しい。僕はもう4ヶ月以上こうして旅を続けているが、単独女性チャリダーに出会ったのは今回が初めてである。 「ええ、よく珍しいって言われます。ツーリングしているグループの中に女性が混じっていることはあっても、女一人っていうのは見ませんね」 山田さんは最近になって自転車にはまり、重量7キロの軽量ロードバイクを購入。仲間たちとあちこちツーリングしていたという。それが子供の頃からの夢である「日本一周」に挑戦しようというきっかけになった。 「この自転車は軽量でスピードが出るんですけど、荷物がまったく積めないんですよ。だから必要な荷物は全部リュックに入れて背負っているんです」 「リュックに?」 「だから足よりも背中や肩の方が痛くなって大変なんです」 普通、日本一周を行うチャリダーは山田さんが乗っているような競技用バイクには乗らない。フレームもタイヤも頑丈で、両サイドに荷物が積めるようになっている自転車を選ぶ。スピードはあまり出ないが、実用性でははるかに勝っているのだ。 山田さんは東京で歌舞伎関係の仕事をしているそうだ。だから何週間もぶっ続けで休むわけにもいかず、何日か走っては東京に戻って仕事をし、そのあとまた旅に戻るということを繰り返している。ショートトリップを繋げる旅だからこそ、荷物を少なくできるということもあるのかもしれない。 「仕事関係の人には『最近日焼けしたねぇ。どこか南の島でも行ってきたの?』なんて言われるんです。面倒だから『はい』って答えてるんだけど。『自転車で日本一周しています』なんて言えないですからね」 3時を過ぎると、下校途中の小学生たちと頻繁にすれ違うようになった。 「こんにちわー」 みんな元気よく挨拶をする。知っている人でも知らない人でもすれ違ったときにはまず挨拶、という教えが行き届いているのだろう。気持ちのいい習慣だ。 「何やってるんですかー?」 一人の女の子がすれ違いざまに叫んだ。とっさのことだったので、うまく言葉が出てこなかった。 僕はいったい何をやっているんだろう。リキシャで日本一周のだ、と言ったところで、リキシャとはなんぞやと言うところから話を始めなければいけない。それはすれ違いざまの2秒で説明できることではない。 【村に置いてあった「子供ねぷた」。小さいがカッコいい】 青森では子供たちだけでなく、大人もとても気さくに話しかけてきた。 車の窓から顔を出して、「ごくろうさま!」と声を掛けてくる人も何人かいた。 何しているの、どこから来たの、どこに行くの。このあたりの質問は定番だし、「頑張ってー!」と手を振られることも多いのだが、そういうのを抜きにして、いきなり「ごくろうさま」と労をねぎらってくれたのは青森県民が初めてだった。 【少し早いが刈り取りを始めている田んぼもあった。刈り取った稲穂を吊して乾かしている】 ママチャリに乗って国道を走っていた葛西さんも、出会ってまず最初に「ごくろうさま」と言ってくれた。被っていた帽子を脱いで、深々と頭を下げた。そこまでされるとちょっと困ってしまう。 「いや、俺も青森から弘前まで行ってきて、今帰るところなんだけど、こんな重そうな自転車で走るのは大変だなぁ。ほんとに頭が下がるなぁ」 「弘前まで自転車で何しに行ったんですか?」 「このあいだ『土俵の鬼』が亡くなったでしょ。初代の若乃花。今の貴乃花親方のおじさんだべな。若乃花が活躍した昭和35,6年はテレビがねぇ時代でさ、よっぽどのお金持ちじゃないとテレビで相撲なんて見られなかったわけさ。みんな社長の家に集まって相撲中継を見たもんさ」 なぜいきなり若乃花の話が始まったのかよくわからないまま、僕は葛西さんの語る昔話を聞き続けた。 初代若乃花は弘前のリンゴ農家の長男として生まれた。巡業相撲が青森にやってきたときに、力自慢の若乃花が飛び入り参加して本職の力士を倒し、それがきっかけで相撲界に入門し、ついに横綱まで登りつめた。その鮮やかな出世街道は当時の青森県民を大いに熱狂させた。郷土が誇るヒーローだったわけだ。 「若乃花の活躍にはずいぶん励まされたなぁ。よく巡業を見に行ったもんだよ。だもんで、いま弘前で開かれている若乃花のパネル展を見に行ったのさ」 なるほど、やっと話の筋が見えてきた。故郷の弘前で初代若乃花の回顧展が開かれていたのである。 「でも青森市から弘前市まで40キロはあるでしょう?」 「そんだな。2時間半かかったな。往復で5時間だ」 「元気ですねぇ」 「まぁ他にやることもねぇからな。去年まで東京で働いていたんだけどもよぉ、退職してこっちさ戻ってきたから暇なんだ。一日どうして暮らしたらいいか困ってるところなのさ」 葛西さんは24年間江東区の倉庫街で働いていた。家族は青森に置いての単身赴任である。お盆と正月に帰省するだけ。 「昔は酒ばかり飲んでよ、アル中になって肝硬変にまでなったことがあるんだ。もう命は短いって医者に言われて酒をやめてよ、それから36年間一滴もアルコールは飲んでない」 「そうなんですか」 「アルコール依存症っていうのは心の病なんだ。だからいくら医者が禁酒しろと言っても、本人にその気がなかったらやめられねぇ。俺は断酒会ってところで、ずっと他の人が酒をやめるのを手伝ってたんだ。ずいぶん大勢の人が助かったよ」 「青森にはアル中の人が多いんですか?」 「んだな。酒を飲むぐらいしか楽しみがないのかもしれん」 冬になると雪に閉ざされてしまう東北地方では、アルコール依存症や自殺者の割合が特に多いという話を聞いたことがある。ロシアや東欧でも同じような傾向が見られるというから、寒さや日照時間の少なさが人に与える影響は大きいのだろう。 *********************************************** 本日の走行距離:48.8km (総計:5276.6km) 本日の「5円タクシー」の収益:1000円 (総計:65815円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-09-11 18:42
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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