昨日は大雨だったのでリキシャはお休みして、宿で休養を取った。
今日は雨も上がったので張り切って出発する。 能代市から秋田市まではほぼ平坦な道のりだった。向かい風が多少強かったが、リキシャは順調に進んだ。クランクの「ガタ」にも慣れつつある。 国道7号線で奇妙な自転車を見かけた。普通のマウンテンバイクが小さなリアカーを引っ張って走っているのだ。「リアカー・チャリダー」とでも言ったらいいだろうか。リキシャの仲間である。僕も驚いたが、向こうはもっと驚いたようで(当たり前か)、歩道にリアカーとリキシャを並べて立ち話をした。 リアカーのやなっち君は4ヶ月前に沖縄を出発して日本を一周している。走ってきたルートも旅の期間もこれまでの走行距離も、僕のそれとそっくりだった。彼が引いているリアカーは「ハコンブンダー」という名前のれっきとした市販品で、アタッチメントの金具でがっちり自転車に固定されている。これだと普通の自転車よりずっと多くの荷物を積むことができる。やなっち君はサーファーなのだが、サーフボードを自転車に積む方法を考えているときに、この製品に出会ったのだそうだ。 「僕は横浜出身なんですけど、沖縄の海が気に入って沖縄に移住したんです。でも沖縄以外の波にも乗りたいと思い始めて、この旅を計画したんです」 まず「波」ありき。まことにサーファー的発想である。北にいい波があると聞けばそこに向かう。気ままな旅だ。 「一番怖いのはトンネルですね」 とやなっち君は言う。 「そうだね。あれは本当に怖い」 すかさず僕も同意する。 リキシャでのトンネル走行の恐怖はここでもたびたび書いてきたが、それを本当の意味でわかってくれたのは彼が初めてだった。そのほかにも後輪は右よりも左のタイヤの方が減るのが早いことや、自転車と徒歩とでは使う筋肉が違うこと、特に何もない土地ではいつも以上に長い距離を走ってしまうことなど、「リキシャあるある」ネタでしばらく盛り上がった。 僕らは20分ほど並走していたが、しだいに向かい風が強まってリキシャのスピードが落ちてきたので、やなっち君が先に行くことになった。 【国道沿いで見かけた看板。「昔の美人」というところがいいですね】 八郎潟に面した三種町では、衣料品店を営む平塚さんのもてなしを受けた。新鮮な桃とナシ、それに高度900メートルの泉から汲んできたという冷たい水をご馳走になり、さらに「5円タクシー」の運賃として5000円をいただいた。 平塚さんは若い頃に八王子の呉服屋で修行していたという。荒井呉服店。あのユーミンの実家として知られている店である。もちろん八王子に住む僕もよく知っている。 「八王子は呉服の激戦区だから揉まれてこいって言われて修行に行ったんです。当時は秋田にも呉服屋がたくさんあったんだ。裕福だったんです。秋田には鉱山もあったし、林業もよかったし、米もたくさんとれた。でも今ではみんなダメになってしまった。仕事がないんです」 肥沃な泥に覆われていた八郎潟を干拓して農地に変えるという大工事が行われた昭和30年代に、町は繁栄のピークを迎えた。工事のために大勢の人が移住してきて人口も急増した。活気もあったから商売も上手くいった。干拓事業の終了後はメーカーの工場を誘致して雇用を確保した。しかしグローバル化の流れによって生産拠点を賃金の安い中国に移す企業が増え、どこも軒並み閉鎖に追い込まれている。 平塚さんのお店も経営は厳しいようだ。車社会の到来と地元商店街の衰退、それに「ユニクロ」や「しまむら」といったチェーン店の台頭によって、地方の衣料品店はどこも苦しいようだ。倒産して首をくくった人も何人もいる、と平塚さんは言う。 「うちの店は卒業生ばっかりで新入生の入ってこない学校みたいなもんです」 「卒業っていうのは?」 「亡くなったり、なんとかホームに入ったりする人たちのこと。そうなったら二度と戻ってこられないでしょう。昔なじみのお客さんは今でもうちに来てくれるけど、その人たちがみんな卒業したら店をたたまないといけないだろうなぁ。これが時代の流れだっていえばそれまでだけど」 【道で出会ったおばあさん。ポーズがかわいい】 平塚さんと別れてから八郎潟干拓地を走ってみた。干拓地は北海道を思わせるようなだだっ広い平地だった。収穫を待つ黄金色の稲穂が一面に広がる光景はいかにも米どころ秋田らしいが、食糧増産を目的とした干拓工事が完成した直後から「米余り」「減反」へと農業政策が転換したのは歴史の皮肉である。 大半が農地になった八郎潟だが、一部は「調整池」として干拓されずに残されていて、そこで細々と漁を続けている人たちもいた。小さなボートを出して、シラウオやワカサギをとっているのだそうだ。透明なシラウオは佃煮にしたり、そのまま生で食べたりする。生きたまま食べる「踊り食い」をすることもあるという。干拓される前は淡水と海水が混じる汽水湖だったためにシジミが多くとれたそうだ。 【水揚げされたシラウオを選別する】 【透明なシラウオはそのままでも食べられる】 秋田市ではチカさんとフキさんという女の子二人に出会った。 チカさんはなんと一人でリアカーを引っ張って海岸のゴミ拾いをしてきたばかりだった。道の駅で野宿しながら、40日かけて秋田県内の浜辺を歩き回ったそうだ。あっぱれです。 彼女が行動を起こすきっかけになったのは、広島に住んでいる友達が何気なく言った「秋田の海って汚いね」というひとことだった。秋田の海岸には漂着物やゴミが散乱していて、今まではそれが当たり前だと思っていたのだが、県外の人には異様に見えた。これはなんとかしたい。よし、それじゃまず自分がゴミを拾うところから始めようじゃないか。そう心に決めて介護士の仕事も辞めた。 「こんな野宿の旅をしたのは初めてだったんですよ。だから最初はどうすればいいのかまったくわからなくて、スーツケースをごろごろ引っ張って歩いていたんです。それが途中からリアカーを貸してくれる友達が現れて、ずいぶん楽になりました」 目的はゴミ拾いだったけれど、それを通じて地元の人と知り合いになれたり、お年寄りから昔話を聞かせてもらったりしたのが一番の収穫だった。無償のボランティア活動だったけれど、そこから得たものはすごく大きかった。 「ゴミ拾いはこれからも続けていきたいですね。来年は仲間たちと一緒に鳥海山の清掃登山をやるつもりです。一人だとできることは限られているけど、大勢の人を巻き込んでやれば大きな力になりますから」 自分たちの町を、海を、山を、少しでも住みやすいところに変えるためには、ああだこうだ理屈を並べ立てるより前に、ます目の前に落ちているゴミを拾う。とても大切な心がけだ。そしてそれをただの心がけに終わらせずに、最後までやり遂げたチカさんの行動力に拍手をお送りたい。 *********************************************** 本日の走行距離:62.8km (総計:5450.8km) 本日の「5円タクシー」の収益:5005円 (総計:71140円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-09-14 22:40
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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