朝起きると雨がざーざーと降っていたので、しばらく部屋で様子を見て過ごし、10時のチェックアウトギリギリになって宿を出る。するとさっきまでの雨が嘘のように晴れ上がっていた。
ラッキー。たまにはこういうことがあってもいいよね。 直江津の港から海沿いの道を西へと進む。三連休最後の日だからか、国道8号線は混み合っていた。 坂の途中に止めた車から降りてきたのは板垣さん。ずいぶん前に僕のブログを見たことはあったが、新潟に来るとは思っていなかったので(当初は「日本を縦断する」と書いてあったから)、リキシャとすれ違ったときには「まさか」と思ったそうだ。しかしリキシャで日本を走っている人が他にいるはずはないと、慌てて車をUターンさせたのだという。 「僕は俳句が好きで、松尾芭蕉のことを調べていたんです。あの『奥の細道』の旅で、芭蕉はちょうどこの道を通ったんですよ。江戸を出発して、奥州から越後を通って大垣まで、150日で歩いているんですね。たったの150日ですよ。昔は道がもっと悪かったから大変だったと思うんですが、それでも5ヶ月で歩けるって事に驚きました」 45歳の芭蕉が150日間で歩いた距離は約600里(2400キロ)。普段、車や電車での移動に慣れていると、1000キロや2000キロなんて人が歩ける距離でないように思ってしまうが、1000キロの道のりだって、一日50キロ歩けるとしたら20日しかかからないのである。 人力は確かに遅い。でもコツコツと積み重ねていけば、意外なほど遠くまで行くことができる。千里の道も一歩から。僕はリキシャの旅でこの言葉の持つ意味を実感している。 名立という漁村にある小さな食堂で、オダさん夫婦にお昼をご馳走してもらった。 「今からうまい食堂で昼飯を食べるんだけど、一緒にどう?」と誘われたのだ。 建設会社と運送会社を営むオダさん夫婦は、仕事が休みの日には海が見える食堂に出かけて昼間からお酒を飲むのだという。ここは24時間営業しているトラック野郎向けの食堂なので、仮に酔っぱらっても酔いが醒めるまで座敷にごろんと横になって仮眠を取ることができるのだ。どうやらアジア的おおらかさに包まれた食堂のようだ。 なんでも好きなものを注文しなさいと言われたので、サンマ定食とカニとイカの天ぷらキムチと野沢菜とを頼んだ。特に天ぷらは一夜干ししたイカをカリッと揚げてあってうまかった。 「あの『5円タクシー』っての、あれ1キロ5円なの?」とオダさんが聞いた。 「いや、違いますよ。特に値段を決めているわけではないんです。これも何かの『ご縁』ってことで、たくさんの人に乗ってもらっているだけです」 「そうなのか。いや、さっきうちのやつと話してたんだけどよ、トラックの運転手は1キロ走ると20円もらえることになっているんだ。基本給プラス歩合制だな。だから500キロ走ったら1万円と基本給がもらえる。それを考えると、1キロ5円っていうのは安すぎるよなぁ」 もちろん安すぎる。はっきり言えばタダみたいなものである。だから「5円タクシー」を普通のタクシーだと勘違いされると(そういうことはまずないが)困ってしまうのだ。 建設業も運送業もバブルの頃には信じられないほど儲かったそうだ。仕事は山のようにあり、札束がぼんぼん飛び交っていた。しかし儲かった分、使い方も荒かった。夜の町で豪遊して、一晩で100万使うなんて事もざらだった。今から考えれば馬鹿なことをしたなぁと後悔もしている。 「俺はいま51だけどよ、50年なんてあっという間だぞ。特に40歳から50歳までは本当にすぐに過ぎる。だから今のうちに後悔のないように、腹を決めてやった方がいいぞ」 オダさん夫婦に別れを告げて、再びリキシャにまたがる。いつまでものんびりしたい気分だったが、そういうわけにもいかない。 午後からは向かい風が強くなり、平地でもリキシャを押して歩かなければいけないほどだった。直江津から糸魚川までは40キロあまりと距離的には短かったが、お昼にたっぷり休憩したせいで到着は日暮れ間近になった。 糸魚川の商店街の外れに店を構える近藤時計店のご主人は、なんと90歳だった。 「この時計屋は父親が始めたもんなんだ。大正の初めだから、今から100年ぐらい前になるかね。馴染みのお客さんもいるもんだから、閉めるわけにはいかないんだよ」 近藤さんはもともと国鉄の職員だったのだが、時計屋を営んでいた父親が病気になったので、50過ぎで退職して店を継いだそうだ。それ以来40年、ずっとここで時計の販売と修理を行っている。 お店の壁には古めかしい振り子時計がいくつも架けられていた。一日に一度ゼンマイを回してやらないと動かない大きなのっぽの古時計。ボーン、ボーンと重々しい音で鳴る、存在感のある時計。 「こういう時計って売れるんですか?」 「まぁ、ぼちぼちだなぁ。あんまりたくさんは売れないよ。でもうちは時計の修理もしているから、それでなんとかやっているんだ」 腕時計の電池交換や故障した時計の修理など、馴染みのお客さんから依頼された仕事をこなすことで、なんとか店を続けられているようだった。 それにしても、時計の修理という細かな手仕事を、90歳のおじいさんが現役でやっているというのはすごい。目も手も、もちろん頭もしっかりしていなければつとまらない。 「周りの人間は100歳までやりゃいいなんて言うけどな、そりゃちょっと無理だな。さて、あと何年続けられるか・・・」 近藤さんは怪盗ルパンが使っていたようなルーペを右目にはめ、手元をライトで照らしながら腕時計の裏蓋をピンセットで外した。慣れた手つきだった。 壁に掛けられた古時計はコッチコッチと律儀に時を刻んでいた。 *********************************************** 本日の走行距離:43.8km (総計:5931.9km) 本日の「5円タクシー」の収益:100円 (総計:71650円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-09-23 14:58
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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