朝から雨混じりの強い風が吹く悪天候。窓の外を眺めてため息をつく。
しかし9時前に雨が上がったので出発する。昨日と同じ展開だ。 雨は止んだもののの、風は止まなかった。進行方向のちょうど真向かい、西から強い風が吹き付ける。リキシャは全然前に進まない。平地ですらリキシャを押して歩かなければいけないほどだ。今日は試練の日になりそうだ。 国道8号線を西へと進むと、難所として知られる「親不知」が現れる。ここは切り立った斜面が海岸線ギリギリにまで迫っているせいで、落石防止用のトンネルの中をくぐりながら進まなければいけない。アップダウンも激しく、しかもトンネル内はクネクネと曲がりくねっていて見通しが悪い。しかも厄介なことに、この道は化学製品やセメントなどを積んだ大型トレーラーが数多く走っているのだった。 【親不知のトンネル】 このただでさえ危なっかしい道に、ノロノロと走るリキシャが混じることで、危険はさらに高まってしまう。もちろん僕はリキシャの後部に付けたLEDランプを点滅させながら進むわけだが、背後から「グググォー」という轟音を響かせながら迫ってくるトレーラーの圧迫感は、言葉では言い表せないぐらい怖かった。体中から汗が噴き出てきて、それを拭うこともできずに、とにかく一刻でも早くこの恐怖のトンネルを抜け出そうと、必死でリキシャを押した。 【これは旧道のトンネルか? 今は使われていないようだ】 恐怖の親不知をなんとか抜けて、境川を渡ると富山県に入る。通過するのに6日間を要した長い新潟県をようやく抜け出すことができたわけだ。 正午過ぎには雲が晴れ、日差しが出てきたのだが、西からの風はさらに勢いを増した。ペダルを踏みつけてもまったく前に進んでくれない。これだけの強風は北海道の稚内で経験して以来のものだ。 このままでは体力を闇雲に浪費するだけなので、目についたドライブインで「風宿り」をすることにした。食堂は定休日だったのだが、自動販売機の横に置いてあるソファに座って一休みする。それにしてもすさまじい風だ。ガソリンスタンドの入り口に並んだのぼりがちぎれそうなぐらい激しく揺れている。 1時間ほど風が止むのを待っていたが、いっこうに収まる気配がないので、諦めて出発することにした。漕げなかったら歩くまでだ。 宮崎という集落では、漁師のおじさんが飲みかけのアクエリアスをくれた。 「この辺はタラが名物でな。『タラ汁』って看板を見ただろう? 昔はタラがたくさんとれて、この辺も賑わったんだけど、今はとれんようになってしまってな。よそから仕入れてるんだ」 確かにここに来るまでのあいだ、『タラ汁』という看板をよく見かけた。ご当地グルメなのあろう。これを目当てに来る観光客もいるようだ。 それからこのあたりには『ヒスイ』という看板も多かった。縄文時代からヒスイが産出し、勾玉に加工されていた場所らしい。 海岸線を離れて入善町の平野部に入ると風はいくぶん弱まってきたが、それでもリキシャはノロノロとしか進まなかった。時速8キロから9キロ。ひどいときには5キロ台にまで落ち、そうなると歩いた方が速いのだった。 50キロあまりの道のりだったが、向かい風に体力を消耗させられて、魚津市に入った頃には12ラウンドを戦い抜いたボクサーのようにクタクタに疲れていた。もうすっかり日が暮れていたので、とにかく何か口に入れようとスーパーの駐車場にリキシャを止めようとしたときに、後ろからパトカーに呼び止められた。 「そこの人力車、ちょっと止まりなさい」 パトカーに乗った警官がわざわざマイクを使って命令した。今まさに駐車場に止めようとしているところに「止まりなさい」はないよなぁ、と既にこの時点でカチンと来ていた僕は、それでも素直に命令に従ってリキシャを止めた。 「あのー、君、これで国道を走ってたでしょ」 メガネをかけた背の低い警官がパトカーから出てきて言った。赤いパトランプを点滅させたパトカーからは、彼に引き続いてがっちりとした体格の若い警官と中年の警官が降りてきた。おー、なにやらものものしいですね。 「はい。さっきまで国道8号線を走っていましたよ」 「車道を」 「もちろん」 当たり前じゃないか。リキシャは軽車両だから車道を走らなければいけない。それは道路交通法に定められていることである。そんなことは交通課の警察官なら百も承知だろうに。 「実はさっき8号線を走っているドライバーから通報があってね。人力車が国道を走っているって」 「はぁ。それの何が問題なんですか? 軽車両が車道を走らなきゃいけないことぐらいご存じでしょう?」 「うん。ランプもちゃんとつけてるようだね。でもこれじゃ小さいな。もっと目立つようにしてくれないかな。危ないから。これを後ろに貼るなりして」 そう言って警官は細長い反射板を貼り付けたテープを手渡した。100円ショップで売っているような安物くさい安全グッズだ。 「目立たない?」 僕は驚いて言った。まさか。僕のLEDライトはかなり強力で、普通の自転車よりはるかに目立つはずなのだ。言いがかりもいいところである。だいたいこんなチープな反射板を取り付けたところで、リキシャがより目立つようになるなんてあり得ない。 「あのね、事故で死ぬのは僕なんですよ。僕だってこの年で死にたくなんてない。だからトンネルでも夜道でも、できるだけ目立つように工夫して走っているんです。だいたい僕のリキシャが本当に目立たないんだったら、通報したドライバーはどうしてこれが人力車だとわかったんですか?」 「まぁまぁ、あなたの言い分もわかりますけどね、もっと目立つようにしてくださいよ。それから一応、名前と住所だけ教えてもらえますか?」 「どうして? なにも違反なんてしてないでしょう? 軽車両で国道の車両を走った。有灯火で。それのどこが問題なんですか?」 語気が荒くなってきたのは、疲れていたからである。肉体的な疲労がピークに達していて、イライラしていたのだ。これ以上無意味なことに時間を割きたくなかったのである。 ここではっきりさせておきたいのは、道路交通法のどこを読んでも僕の行為は100%ノープロブレムであるということだ。完全無罪。一人のお調子者ドライバーがリキシャの出現にびっくりして、警察に110番しただけなのだ。お節介市民。文句があるのなら直接言えばいいのに。 「いや、だからですね、こっちも仕事でやっているんですよ」と警官は苦笑いを浮かべて言った。「なにも尋問しているわけじゃありません。ご協力をお願いしているんですよ」 「だから何のために!」 「市民から通報があってパトカーが出動したからには、手ぶらで帰るわけにはいかんのですよ。上司にも事の経緯を報告しなくちゃいけない。だからですね、名前と住所だけ教えてもらえませんか。お願いしますよ」 「わかった。わかりましたよ」 これ以上突っ張っていても時間の無駄だと思ったので、僕は名前と住所を言った。若い警官はそれをきちんと手帳に記入した。 「それじゃ、気をつけて旅を続けてください」 そう言って警官はパトカーに乗って去っていった。それはどうも。 ふー。なんだか急に疲れを感じて、深いため息が口から漏れた。俺は今、何をしていたんだっけ。そうだ、スーパーで食べ物を買うつもりだったんだ。 スーパーの入り口に向かって歩き出そうとすると、ひょろっと背の高い若者二人が近づいてきた。金髪にピアス、だぶっとしたズボン。年の頃なら18,9だろうか。 「お兄さん、いま警察と喧嘩しとったでしょ」 一人がちょっと嬉しそうに言った。 「喧嘩はしてないよ。事情を説明していただけ。こっちは何も違反なんてしてないから」 二人はリキシャに興味津々の様子で、シートを触ってみたりギアをのぞき込んだりしていた。 「これで日本一周しているの? マジすげぇね。カッケェ。これ、いくらしたの?」 「2万円。バングラデシュって国で作って持ってきたんだよ。カッコいいでしょ?」 「うん。マジ格好いいよ。俺も乗りてぇよ」 「でも大変だよ。今日みたいに向かい風が強いときにはね」 「そうか。頑張ってね。日本一周、絶対成功させてね」 「ありがとう」 格好はやんちゃだったけれど、素直ないい子たちであった。彼らと話していると、警官とのやりとりでささくれ立っていた気持ちがなんとなく落ち着いてくるのがわかった。 あの警官は「こっちも仕事でやっているんですよ」と言った。実際その通りなのだろう。彼だって彼なりに公僕としての職務を果たそうとしているのだ。それは僕にもわかる。 でも、こっちだって仕事でやってんだ。と僕は思う。 しかも命張ってんだ。トンネルの恐怖とも戦ってんだ。 そこんとこ、わかってくれよな。頼むよ。 *********************************************** 本日の走行距離:54.6km (総計:5986.5km) 本日の「5円タクシー」の収益:15円 (総計:71665円) ***********************************************
by butterfly-life
| 2010-09-24 00:25
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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