「午後の紅茶」の故郷へ (スリランカ旅行記1)
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 スリランカは赤道にほど近い常夏の島国だ。最大都市コロンボの最高気温は、一年を通じて30度から33度程度で一定している。要するにどの季節でも暑いのだが、インドの内陸部のように40度を超える猛暑に襲われることはない。

 しかし標高が高い山岳地域に入ると、空気の質はがらりと変化する。ねっとりとまとわりつくような南国の風が、ひんやりと軽やかな高原の風に変わるのだ。特に標高1900メートルにあるヌワラ・エリヤという避暑地は、「リトル・イングランド」と呼ばれているだけあって、日中でもジャンパーが必要なほど涼しかった。朝晩の冷え込みも相当なもので、宿では毛布を二枚重ねてもまだ足りないぐらい寒かった。



 そんな冷涼な山岳地域で栽培されているのが、あの有名なセイロンティーである。ここには英国植民地時代から続く大規模な茶農園がいくつもあって、丘という丘、斜面という斜面がすべてお茶の木で覆い尽くされているのだ。


[お茶の木が植わった斜面がどこまでも続いている。きちんと管理された統一感のある眺めは、お茶の栽培を始めた英国人の律儀さとも重なって見える。]







 紅茶は昔も今もスリランカの主要な商品作物だ。生産高はインドに次いで世界第二位で、世界100ヶ国以上に輸出されているという。特にウバ州で作られているウバ茶は高級品として知られていて、あの『午後の紅茶』のミルクティーにも使われている。

 お茶の葉の摘み取りは女たちの仕事だ。素早い手つきで茶葉を摘み、背中に背負った袋の中にひょいひょいと放り込んでいく。マハウバ茶農園のマネージャーであるナゼレスさんによれば、茶摘みは7時半に始まって4時半に終わるという。一日にとれる茶葉の量は季節によって差があり、1月は一人あたり10キロほどだが、3月から5月にかけての最盛期には一人あたり40キロもの茶葉を収穫するという。


[収穫した茶葉を計量する]

 労働者の日給は300ルピー(300円)。摘んだ量に応じたボーナスが支払われることもあるが、それでも生活は楽ではない。世界的なインフレと原油価格の高騰のあおりを受けて、ここスリランカでもモノの値段が急激に上がっているからだ。


[茶葉を摘んでいるのは女ばかりだった。]









 茶農園で働く労働者の多くはタミル人だ。英国植民地時代にスリランカで本格的な紅茶の生産が始まったときに、インド南部のタミル州から海を渡って移住してきた労働者の末裔である。そしてスリランカで国を二分する内戦が始まったのも、このタミル人移民の問題がきっかけだった。

 しかし茶農園で働くタミル人たちは、内戦やテロとは無縁の穏やかな日常を送っていた。スリランカ北部を旅したときには数キロごとに軍による検問所が設けられていたのだが、中部山岳地域にはそういったものは一切なかった。ここには低賃金ながらも毎日きちんとした仕事があり、日々の暮らしは安定している。だから政府に強い不満を持つ人は少ないようだ。


[昼間働いている女性たちのために、農園内には託児所が設けられていた。子供たちは繭の中の蚕のように、ハンモックの中で静かに寝息を立てていた。]


 農園の敷地内には、茶葉を紅茶に加工する工場もあった。100年以上の歴史を持つ古い工場もいまだに現役で活躍している。そんな歴史ある工場のひとつを見学することができた。レヴァロンの紅茶工場は1880年に操業を始めたスリランカでももっとも古い紅茶工場のひとつである。高い煙突とレンガ作りの外観は古めかしく、中の設備もクラシックそのものだった。


[茶農園には紅茶工場と人々が住む集落と学校がひと揃いになっている。]

 紅茶の製造工程は次のようなものだ。まず収穫した茶葉が工場に運ばれてくると、それを網の上に均等に広げて、扇風機で風を送って水分を飛ばし、茶葉をしおれさせる。乾季には自然の風を、雨季には熱風を12時間ほど送ることで、茶葉の重さを収穫時の半分程度にまで減らす。それから250キロの荷重をかけて茶葉をもむ揉捻(じゅうねん)という作業を行う。そうすると茶葉は自然に発酵しはじめ、あの紅茶独特の香りを放つようになる。最後にカラカラになるまで茶葉を乾燥させれば完成である。


[摘んだばかりの茶葉に風を送って水分を飛ばす。]


[マネージャーのロドリゴさんが親切に案内してくれた。]

 紅茶工場はさほど広くはなかった。いくつかの大がかりな機械はあるものの、一目見るだけで何を行っているのかわかるようなシンプルな機械ばかりだった。部外者に見せてはいけない「企業秘密」とは縁がなさそうに見えた。75人もの従業員が働いているというから、オートメーション化もあまり進んでいないのだろう。

「この工場では10種類ほどの茶葉を作っています」
 工場の管理者であるロドリゴさんが教えてくれた。
「だいたい1キロあたり300から400ルピーで業者に卸します。一番の輸出先はロシアです。その次がアラブの国々。イランやイラクにも輸出しています。うちの紅茶が日本人に飲まれているかどうかは、残念ながら知りません」





 セイロンティーの輸出先にロシアの名前が挙がったのはちょっと意外だった。確かにロシア人は紅茶をよく飲んでいる。それも紅茶にジャムを混ぜて飲むという、ちょっと変わった習慣を持っている。もちろん中東の人々も紅茶が大好きである。家の中でも外でも四六時中チャイを飲んでいる。

「ムスリムはお酒を飲まないから、代わりに紅茶を飲むんだそうですよ」
 とロドリゴさんは言う。それは確かにその通りなのだろうが、飲酒が禁じられている中東諸国と、無類の酒好きで知られるロシアとが、共に紅茶を大量に消費しているというのは、なかなか興味深い事実だなぁと思った。

 ある茶農園を訪ねたときに目にしたのが、村を挙げての運動会だった。子供たちが徒競走やパン食い競争をする姿は、日本の運動会とそっくりだったので、なんだか懐かしくなってしまった。


[パン食い競争って、手を使っちゃいけないんだよね…]

 この運動会のフィナーレを飾った綱引きがすごかった。力自慢の男たちが左右に分かれて綱を引き合うのだが、その盛り上がり方が尋常じゃなかったのだ。意地と意地、プライドとプライドが激突するダービーマッチのような荒々しい雰囲気で、綱を引く男たちは血管が切れそうなほど全身に力を込めているし、取り囲んだ人々もあらん限りの大声を張り上げて応援していたのだ。





 実はこの運動会はお互いにライバル意識の強い「農園労働者」と「工場労働者」がチームを組む対抗戦形式で行われている。茶葉を摘み取る人も、茶葉を加工する人も、普段は同じ村で仲良く暮らしているのだが、この日だけは「あいつらには負けたくない」という対抗意識をむき出しにするのだという。

 体格的には工場労働者の方が勝っているように見えた。1本目は予想通り工場労働者チームの勝利だったが、2本目は農園労働者が意地を見せ、結局は一勝一敗の引き分けという結果に終わった。




[勝利に沸く農園チーム。これで1勝1敗の引き分けに持ち込んだ。]

 ときにはエキサイトしすぎて殴り合いの喧嘩に発展することもあるというから(そういうところもサッカーのダービーマッチとそっくりである)、引き分けに終わったのはお互いにとって良かったのだろう。

 試合が終わると、男たちはお互いの健闘をたたえ合ってがっちりと握手を交わした。
 そしてそのあとはもちろん、美味しいセイロンティーで乾杯したのだった。


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by butterfly-life | 2012-10-09 12:40 | 南アジア旅行記


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