心配していた雨もあがって、雲間から日差しがさんさんと降り注ぐ天気になった。
今日は京都の実家を出発して奈良に向かう予定だったが、最初からつまづいてしまった。右リアのタイヤがパンクしていたのだ。真夏の猛暑で立て続けにパンクして以来のタイヤトラブルである。さっそく近くの自転車屋で修理をお願いする。 京都には自転車屋さんが多い。もちろん自転車に乗っている人が多いからである。市街地は平坦だし、地下鉄網も発達していないし、街の規模もさほど大きくないので、自転車で移動するのにうってつけの街なのだ。もちろん京大生はみんなチャリ通である。 僕がリキシャを持ち込んだのは京都大学にほど近い自転車屋で、若いお兄さんが4,5人体制で働いている忙しそうな店だった。お客さんもひっきりなしにやってくる。他の地方都市では老後の趣味でやっているような自転車屋も多いのだが、そういうところとはまるで雰囲気が違う。 自転車屋のお兄さんによれば、リキシャのタイヤは三輪とも溝が見えないぐらいすり減っているが、相当に分厚いタイヤなのでまだまだ使えるだろうとのことである。 「この状態でも、普通の自転車用タイヤの二倍ぐらいの厚さがあると思いますよ」 それならば安心だ。ゴールまで持ってくれることだろう。 ![]() 【京都タワーとリキシャ。案外マッチしている】 出町柳から鴨川沿いの川端通りを下って、三条、祇園、京都駅を通り過ぎ、伏見に向かう。今日のリキシャは追い風を受けているので快調だ。 伏見ではど派手な原付バイクに乗ったおじさんに出会った。阪神タイガースの旗を何本も立て、ヘルメットもタイガースのシールで埋め尽くされている。誰がどう見てもトラ党である。 ![]() 「今年のタイガースは調子いいんじゃないですか?」 と水を向けると、おじさんは嬉しそうに顔をほころばせた。 「そやなぁ、昨日マジックも点灯したからな。でもこれからの試合8勝1敗のペースで行かんと厳しいんや」 「それは難しいですね」 「そうやなぁ。明日は甲子園に行くんや。阪神巨人戦があるからな。にぃちゃんも応援しに来てくれたらええわ。あぁ、でも当日券はもうないやろうなぁ・・・」 「もしタイガースが優勝したらどうするんですか?」 「川に飛び込むよ。道頓堀やないよ、鴨川や。それからみんなで酒飲んで騒ぐ」 おじさんはタイガースファン歴は50年以上の大ベテランだが、このトラキチバイクに乗り始めたのは2年前からだという。 「いや、俺のバイクも派手やけどな、にぃちゃんのには負けるで。みんな写メ撮りよるやろう? ほやけど、どうやってこんなもんこさえたんや?」 「これは自分で作ったんじゃないんです。バングラデシュって国から持ってきたんです」 「へぇ、バングラデシュ。そうか。俺はよう知らんけど、バングラデシュには野球あるんか?」 「いや、野球は誰もやってないですね。その代わりクリケットが盛んです」 「クリケット? そんなのがあるんか。聞いたことないなぁ。でもにぃちゃん、今年は絶対に阪神優勝や! 間違いないわ」 そんなかみ合っているのかかみ合っていないのかわからないような会話をしばらく続けた後、おじさんはタイガース旗をなびかせながら走り去っていった。 ![]() 【理髪店のご主人】 順調に走っていたリキシャに異変が起こったのは、城陽市から京田辺市に入ったところだった。 ペダルを踏み込んでも、その力がタイヤに伝わらずに空回りするようになったのだ。それまでに経験したことがないトラブルだった。 まず疑ったのは一度折れているクランク周りだが、これには異常がなさそうだった。ペダルの力はクランクを通じてギアを回し、それがチェーンを駆動させて、後輪のフリーホイールを回し、車軸を回転させている。ここまでは問題ない。しかし車軸は回転するのに、タイヤに駆動力が伝わっていない。 僕の知識と装備では手に負えそうになかったので、自転車屋を探すことにした。故障が発生した場所から3キロほど離れたところにバイク屋兼自転車屋があって、そこのお兄さんにリキシャを見てもらった。しかし反応は芳しくなかった。 「これはちょっとバラしてみんとわからへんなぁ。どういう仕組みになっとるかがわからへんから、修理のしようがない。仮にバラしたとして、これに合うような部品はたぶんうちにはないですよ」 「そうですか・・・」 予想通りお手上げのようだった。 「ここで後輪のハブをバラして、直ったらいいですよ。でも無理に直そうとして、余計おかしな事になる可能性もあります。動かすことすらできなくなったら困るでしょう?」 もっともな意見である。仕組みもわからない機械をいきなり直せという方が間違っているのだ。バングラデシュにはリキシャ専門の職人が山ほどいて、どこをどうすれば直るのかみんなわかっている。しかしここは日本なのだ。ありもので何とかするしかない。 しばらくバイク屋さんと議論を重ねたが、なかなか突破口が見いだせなかった。これはリキシャを押して歩くことになるのか。そう覚悟を決めた。北海道で一日63キロ歩いたときの記憶が蘇ってくる。あんな辛い思いをするのは一度で十分だが、最悪のときにはそうするしかない。 でも待てよ、何かを見落としているかもしれない。そんな気がして、再びペダルと車軸の様子をじっくり観察してみた。やっぱりそうだ。ホイールの取り付けナットが緩んでいるんじゃないか。これを締めればうまく行くかもしれない。バイク屋さんにお願いして、特大のスパナでデカいナットを締め付けてもらった。 「でも常識的に考えたら、ここを締めたからって空回りが収まるとは思えんのやけどなぁ」とバイク屋さんは言う。「このナットはあくまでも脱輪防止用のために付いているもので、ここの締め付け圧力が車軸のトルクを受け止めてるとは考えにくいんです」 おっしゃる通りである。でも日本の常識はバングラデシュでは通用しないかもしれないのだ。 果たして、この「ナット締め」作戦は見事に成功した。空回りがなくなったのだ。バンザイ。こんなに簡単に直るとは。 「ほんとに直りましたねぇ。びっくりや。でもこれからも同じような故障が起きるかもしれませんよ。保証はできません」 「そうですね。でもとにかくあと100キロだけでいいからまともに走ってもらいたいんです」 ![]() 【これが問題のナット】 リキシャはもうボロボロである。クタクタのヨレヨレである。それは僕がよく知っている。 でもあと一息、何とか踏ん張ってもらいたい。 もうムチは入れない。いたわりながら一緒に進もう。 頼むぜバディ。 あとちょっとだ。 ほんとにちょっとなんだからさ。 *********************************************** 本日の走行距離:34.9km (総計:6366.3km) 本日の「5円タクシー」の収益:10円 (総計:73635円) *********************************************** #
by butterfly-life
| 2010-09-30 07:40
| リキシャで日本一周
快晴の朝。風もなく穏やかな琵琶湖の湖面が、朝日を受けてまぶしく輝いている。
文句のつけようのないリキシャ日和だった。少なくとも午前中までは。 本日は琵琶湖の北端から湖の西岸を南下して、大津市から京都市に向かう。5月には琵琶湖の東岸を走っているから、これでほぼ琵琶湖一周したことになる。ちなみに琵琶湖を自転車で一周することを業界(←何の?)では「びわいち」と言うらしいが、僕の場合は「ほぼいち」である。 ![]() マキノ町の湖西道路を走っていると、ヒガンバナが一面に咲く場所に出た。松の木漏れ日の中に、真っ赤なヒガンバナが何百本も並んでいる。地元の写真愛好家たちもヒガンバナにレンズを向けていた。 「ここは写真仲間のあいだでは有名なんですよ」 と愛用のペンタックスと重そうな三脚を抱えたおじさんが言った。 「ヒガンバナは撮るのが難しいんです。私なんかだとどうしてもクローズアップで撮ってしまう。上手い人だと全体の雰囲気を捉えるような写真を撮るんですけどね」 僕も花や自然を撮るのは苦手である。目で見たイメージと、撮った写真とのあいだにズレがある。まだまだ修行が足りないようだ。 ![]() 昼頃から向かい風が強まり、穏やかだった琵琶湖の湖面にも大きな波が立つようになった。いつの間にか空は暗い雲に覆われている。天気は下り坂のようだ。 堅田を通り過ぎ、雄琴にやってきた。雄琴には昔から名の通った歓楽街、いわゆるソープ街がある。ラブホテルやソープランド、飲み屋、アダルトショップなどがひしめく夜の街である。しかしぱっと見たところ、どれも一様にうらびれている様子だ。看板は色あせ、ホテルの壁には長いひびが入っている。今はあまり栄えてないようだ。 平日の午後2時過ぎだというのに、ソープ店の前にはちゃんと客引きの男が立っていた。スキンヘッドに口ひげを生やしている。見るからに堅気じゃなさそうだ。しかしこの客引きのおじさんは、僕のリキシャを見るなり両手を高々と挙げて「おー、がんばれよー!」と声援を送ってくれたのだった。笑顔は意外にチャーミングだった。 雄琴の外れでも明らかに「そっち系」のなりをした人に話しかけられた。昇り龍を刺繍したトレーナーを着て、濃いサングラスをかけ、頭はパンチパーマ。車は当然のようにベンツで、窓には全てスモークを貼っている。そういう「ミナミの帝王」からそのまま抜け出してきたような人が、映画の中ではなく現実にいるということにちょっと驚いてしまう。ある意味ではこれもコスプレだ。 「にぃちゃん何しとるんや?」 と銀次郎(勝手に命名)は言った。 「これで日本一周しているんです」 「これでって、このデコトラみたいな自転車でか? かー、シャレにならんなぁ、にぃちゃん。まぁ頑張って」 銀次郎はそう言うと、僕に缶コーヒーをひとつ放ってくれた。銘柄はBOSS。もちろんブラックだった。 ![]() 【安曇川という町では、扇子を作っている職人さんに出会った】 午後からは向かい風に邪魔されて、なかなかリキシャのスピードが上がらなかった。雲行きが怪しかったので、雨が降らないうちにできるだけ進もうと懸命にペダルを漕いでいたのだが、健闘もむなしく浜大津の手前で雨が降り始めてしまった。 最初はぽつぽつと、しかし30分もしないうちに本降りに変わった。カッパを被って走り続けるも、腕も足もズボンも靴も何もかもずぶ濡れになってしまった。雨宿りをしたところですぐには止まないだろうから、とにかく走り続けるしかない。 ![]() 浜大津から山科に向かう国道1号線は長い上り坂である。昨日の峠道に比べたらたいしたことないのだが、容赦なく降る雨に気力と体力を削がれた。 反対側の車線は帰宅ラッシュのための渋滞で車が列をなしていた。ハンドルにもたれかかった運転手が不思議そうな顔でリキシャを眺めている。降りしきる雨に打たれながら、やたら派手な三輪車を引っ張って歩いている男。こいつはいったい何をしているんだ、というクールな表情だ。 雨の日は下り坂も難所になる。リキシャのブレーキが効かなくなるからだ。フルブレーキをかけても止まらなくなる恐れがあるので、急な下りはリキシャを降りて歩く羽目になる。せっかく上ったのに、そのエネルギーを生かせないのは悲しい。 山科から蹴上まで下り、南禅寺の横を通って白川通りを北上する。 実家に到着したのは6時半。 体が芯から冷えてしまったので、熱い風呂に入って体を温めた。 *********************************************** 本日の走行距離:75.6km (総計:6331.4km) 本日の「5円タクシー」の収益:0円 (総計:73625円) *********************************************** #
by butterfly-life
| 2010-09-29 22:48
| リキシャで日本一周
すっきりと晴れ上がったリキシャ日和の朝だ。気温も20度前後と涼しくて、かいた汗もすぐに乾いていく。
越前市のおじさんの家を出発して、山を越えて敦賀に向かう。 国道8号線はアップダウンの激しい道。長いトンネルと、険しい上りが続く。 ![]() 坂道を下ると敦賀湾が見えてくる。穏やかな海に漁船がいくつか浮かんでいる。 国道沿いには越前ガニを出す巨大な食堂が並ぶ。そこに観光バスが何台も横付けされて、ぞろぞろとお客が降りてくる。「カニ食べ放題ツアー」かなにかのツアー客なのだろう。いいなぁ、カニ。 ![]() 【敦賀湾を望む】 敦賀は取り立てて面白味のある町ではなかった。道幅の広い商店街があるが、大半はシャッターを下ろしている。大音量でFM放送が流れていて、それがかえって寂寥感を増幅させている。 敦賀市を抜けて161号線に入ると、本日二度目の山越えだ。これがキツかった。本当にキツかった。午前中の山越えでかなり体力を消耗していただけに、よりハードに感じた。 ひたすらリキシャを引っ張って歩くこと2時間。曲がりくねった峠道がまるで永久に続くかのようだ。「このカーブを曲がったら、次は下りか」と期待するのだが、また一段と傾斜の急な上り坂が待っているのだった。期待するから裏切られると気落ちする。余計な期待は禁物だ。何も考えずに歩こう。 次第に足を休める時間が長くなる。 ペダルを左足に引っかけてリキシャを止め、乱れている呼吸を整える。汗がしたたり落ちる。ペットボトルの水を口に含む。深呼吸をする。 これが最後の難関なんだ。この峠を越えて関西に入れば、あとはゴールの徳島までたいした山はないはずだ。最後だ。頑張れ。そう自分を鼓舞する。 ![]() 一歩ずつ坂を上っていく。途中で右足のふくらはぎがつる。強い痛みが走る。両手でマッサージして、何とか痛みが治まる。また歩き始める。 これまで越えてきた数々の難所を思う。大分の九六位峠。あれはとんでもない傾斜だった。箱根越えはもちろんキツかった。北関東の猛暑。北海道の強い風。リキシャと歩いた63キロ。それぞれに違うキツさがあった。しかしそれを乗り越えて、ここまでやってきたんだ。ここでへこたれているわけにはいかない。 ようやく頂上らしき平坦な道に出た。しばらく走ると福井県と滋賀県の県境が見えてきた。ここが峠の頂点なのだろう。県境というのは、たいてい最も山深いところに設けられているものだ。 半分放心状態でゆっくりとペダルを漕いで進んでいると、突然近くの茂みからけものが飛び出してきた。鹿だった。慌ててブレーキをかける。鹿の方もリキシャに驚いたらしく、後ろ足を跳ね上げるようにして道路を横切って、反対側の藪の中に消えていった。 頂上を過ぎてしまえば、あとは楽ちんである。ため込んだ位置エネルギーを解放するだけだ。2時間かけて上った坂を20分で一気に駆け下りてくる。 ![]() 琵琶湖畔に到着したのは午後6時。ちょうど日が沈む頃で、肌寒い空気が流れていた。 マキノ駅の近くで夕食を食べようとお好み焼き屋さんに入った。すると客の一人がリキシャを見て「これなんや?」と声を掛けてきた。 「これであの峠を越えてきたんかいな。そら大変ですわ。せめて変速でもつけたらよろしいのに」 久しぶりに聞く関西弁は、気持ちをほっとさせてくれる。素直な驚きや気持ちの抑揚をそのまま言葉にしている感じ。飾り気のない言葉だ。 「これでどこまで行くんですか? ほぉ、徳島まで。ほなあと少しですな。いやぁ、それ聞いてほっとしましたわ。これから沖縄まで行く言われたらどないしようかと思うところやったわ。まぁ気ぃつけて。旅は最後の最後まで何があるかわからしまへんからな」 おっしゃる通りである。最後の難所を越えたからといって、簡単に気を抜いてはいけない。 ゴールまでおよそ200キロ。最後まで慎重かつ大胆にまいりましょう。 *********************************************** 本日の走行距離:64.0km (総計:6255.9km) 本日の「5円タクシー」の収益:1120円 (総計:73625円) *********************************************** #
by butterfly-life
| 2010-09-29 06:54
| リキシャで日本一周
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■ 新しいブログへ ■ 三井昌志プロフィール 写真家。1974年京都市生まれ。東京都在住。 機械メーカーで働いた後、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。 帰国後ホームページ「たびそら」を立ち上げ、大きな反響を得る。以降、アジアを中心に旅を続けながら、人々のありのままの表情を写真に撮り続けている。 出版した著作は8冊。旅した国は39ヶ国。 ■ 三井昌志の著作 ![]() 「渋イケメンの国」 本物の男がここにいる。アジアに生きる渋くてカッコいい男たちを集めた異色の写真集です。 (2015/12 雷鳥社) カテゴリ
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